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103.

「あー。彩さん!彩さんじゃないですか!どうしたんですか?あ。そっか、後輩の応援ですか?」
大手町のゴール付近、腕組みしながら大きなモニターを見つめていた山本彩にマスク姿の女性が声をかけた。所属している強豪実業団のネーム入りのジャージを見ずとも山本にはそれが誰の姿なのかすぐにわかった。

「応援って事でもないんやけどな。それより珠理奈、それ変装のつもり?」
「違いますよ。琵琶湖マラソンまでもうすぐなんで、単なる風邪の予防っす。」
かつて、箱根で襷を繋いだ仲間だ。8区を走った山本、9区を走った珠理奈。学連選抜の白い襷を繋いだ大切な仲間。
「木下って子、あの子もトライアスリートなんですか?」
山本は学生時代も今も、国内女子のトップトライアスリートだ。ワールドシリーズを転戦するプロのトライアスリートとして何度も世界の表彰台に登っている。学生時代も一人トライアスロン部からの抜擢だった。難波商科大はトライアスロンの名門校なのだ。

「そうなんよ。ワタシが勧めて駅伝走らせてるんやけどなあ…」
「って事は彩さん、期待の選手って事ですよね?」
「期待なあ…」
山本は小さくため息をついた。
確かに期待の選手だと思っている。普段から出身大学の場を借りてトレーニングしている山本の目に真っ先に留まったのが木下百花だった。トライアスロンは究極の個人競技だ。そして、何より寡黙なまでのストイックな姿勢が求められる。トップ選手には、食事や睡眠といった日常生活に及ぶ節制が求められる。
そんな競技にまさにぴったりはまる資質を持っているように見えた。どんなに苦しいトレーニングにも、どんなに苦しい場面でも表情を変えずひたすらまるで修行僧な表情で迎え立った。
しかし…あと一歩…何かが足りない。
山本は木下に駅伝を走る事を勧めた。
かつて、自分が何かを掴んだように。彼女も大切なものを見つけてくれるかもしれない。しかし、モニターに映る木下の顔は…いつもの彼女の顔だ。




しっかし、何をみんなムキになっとるんやろ?一つ抜かれたからって、人の顔恨みがましく見るのホンマ堪忍なんやけど…
そら、ウチだって駅伝って競技を馬鹿にしとるんやないで?ただなあ…しゃーないやん。一人ひとり力が違うんやから。必死な顔したってはよ走れる訳やないやん?
あー…しっかし、この襷ちゅうのは邪魔やわあ。肩にっていうか、体にまとわりついてくる感じが好かん。トライアスロンみたくゼッケンベルトにすればええやん。アタッチメントついとるから簡単にカチッってはめれるしな。第一、スタイリッシュや。

よっしゃ。追いついたで。秋英サンに博多サン。も一人は…へえ。スパートしたんか。でも、冷静に見てウチの方が持ってるスピードは上やな。ま、追いつけるやろ?


10区唯一といっていいアップダウン。八ツ山橋の登りの手前で木下は前の二人に追いついた。13キロを過ぎたあたり。残りは10キロだ。そのまま一気に追い抜きにかかる。しかし、博多大の穴井と秋英の岩田は、木下の後ろにぴったり張り付いた。


ちょ…ちょっと勘弁してえな。そんな近くに接近して走ると、足が絡んで転んでまうがな。荒い息がかかるのも気持ち悪いしな。だいたい、明らかに走っとるペースがちゃうんやから…


木下は二度三度と後ろを振り返った。追い抜いてペースを落とした訳ではない。むしろ、前の慶育・相笠を追おうとペースアップしたくらいだ。なのに、二人はしっかりと食いついてきている。表情はきつそうだ。しかし、木下にはわかった。まだこの二人…目が死んでない。

いったい、なんなんや?

木下が呆れたように首を横に振った瞬間だった。
まるで両脇を抱えられるような感覚を感じた。右から岩田が、左から穴井が、木下を挟み込むようにして横に並びかけたのだ。


二人の呼吸が聞こえる。と同時に、声が聞こえた気がした。
譲らない。ここは、絶対に譲れないんだ。


この三人の順位は9位、10位、11位。
つまり、この中の一人が…この争いに負けた一人だけが、シードを失う。
秋英は初出場以来守り続けたシード権。博多は、念願のシード権。絶対にここは引き下がれない。絶対に譲る事が出来ないのだ。


穴井が黒い襷を握りしめた。同じタイミングで岩田は汗で色が濃くなったピンクの襷に手を伸ばす。そして、何かそこから力を得ようと目を閉じた。


襷?この襷にいったいなにがある言うんや?
木下も思わず、自分のかけている白い襷に目をやった。ぐっと強く握りしめてみる。
汗で湿っているその襷。目を閉じてみた。
でも、何も伝わってこない。

彩さんが言うから、駅伝に出ることにした。あん人だけにはウチに有無を言わせん迫力と実績がある。きっと何かがある…そう思った。けど、ここまで…今日まで何もわからんまんまや。いったいウチに何を…


木下が目を開けると同時に、両脇の二人がぽんと前に出た。一瞬何が起きたのか木下には理解できなかった。油断はしていない。冷静に局面の分析もできていた。二人にスパートさせないだけのプレッシャーだってかけている。第一、そんな力はもう二人に残っているとは思えなかった。
それでも、二人は前に出た。そして、ぐんぐんその差を広げていく。
嘘やろ?この長い距離走ってきて、明らかに巡航ペースが違うのに…ここまで貯めておいたならともかく、この二人にそんな余裕はないはずや…


おいおい…ちょっと待てや。ここでウチが遅れたら、あかんやないかい。
下手したら繰上げ喰らいそうになった往路からここまで盛り返してきたんや。学連選抜は1年生や2年生ばっかや。シード権取ったら、来年あいつ等のチャンスが広がるやんか…

木下ははっとした。来年?あいつら?
なんで、この場面で他の連中の顔が浮かぶんや。8区を走ってきた同じガッコの藪下は、フラフラになりながらこの襷を運んできた。あいつとは、何度もショートのトラのレースで競ってきた。いつもヘラヘラしててあんな必死の顔できるんやって思った…他のガッコの子もみんなそうや。

木下はもう一度襷を握りしめた。
ダメだ。力なんて湧いてきやしない。
でも…だからこそ、あいつらに負ける訳にはいかない。

ウチがウチであるために…勝たなあなんのや。
そんな歌があったな…

木下が自分の頬を一度二度と張った。
再び三人が横一列に並んだ。

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