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93.

戸塚の中継所からタクシーを拾って大船駅まで。松村沙友理はそこから東海道線の電車に乗った。
一番近いのは東戸塚だが、まだ交通規制が敷かれている。大船に戻ったほうが時間的には早い。
「一緒に行けばいいじゃん?」
8区を走った桜井と一緒なら、駅まで運営車で行ける。
「ああ…私はいいよ。補助員はひめたんなんだから。」
そう言ったのは、もちろん遠慮もあった。一人で白石の事を考えたかったという事もある。
大船から東京駅まで行って歩いて大手町まで。
ゴールには間に合うだろう。その間、ゆっくりと先ほどの白石の姿を頭の中で思い起こしたかった。


電車は空いていた。7人がけのベンチシートには2人しか乗客がいない。
窓からは暖かな春の日差しが差し込んでくる。
松村はそっと目を閉じた。

すごかった。速い…というよりも、強い。
きっと、あの強さに私は憧れ…そして畏れたんだ。
たぶん、まいやんはあのまま圧倒的な走りで9区を終えるんだろう。
区間新…くらいは軽く出そうな感じだった。
10区…も、まなったんがいる。先頭で来て、あの子が張り切らないわけがない。
ましてや、大観衆の10区だ。観客が多ければ多いほど力を出す子だ。




「おいおい…これ、やばくね?」
「あー、こうなったらもう無理だよ。止めてやったほうがいいって。」
「故障?前半飛ばしすぎ?おい、音声出せよ。何がどうなってるかわからねーよ。」

うるさいなあ…
電車の中でワンセグ見るのはいいけど…

ちょっとウトウトしたのかもしれない。
松村は目を開けて、向かい側に3人並んで座っている同じ年くらいの男性3人組の方を見た。
結構目つきが悪くなってる事は自分でもわかっていた。

「あー。まだ残り5キロくらいあるんだろ?慶育に続いて乃木坂もかあ。」
「今年の箱根はきっついよなあ。なあ、やっぱ暑さのせいか?」

もう一度目を閉じようとした松村が、弾けるように席を立った。
自分の携帯を見る事なんて頭に浮かばなかった。
男たちの前に立ちはだかり、手を差し出す。
男たちは、一瞬何の事かわからず顔を見合わせたが、松村の鬼気迫る表情に慌てて自分たちが見ていた携帯を差し出した。

奪い取るようにしてそれを受け取った松村が、画面をにらみつける。
音量を上げた。社内にアナウンサーの絶叫が響く。

「あーっと…やはり駄目です。一度は走り出した白石ですが、再び歩き始めました。これは…瀬古さん、これはやはりどこか痛めてるんでしょうか?」
「そうですね。脱水症状…という感じではありませんね。表情はしっかりしています。これは…痛みを耐えている顔でしょう。」
「先ほど、横浜駅を通過する時に瀬古さんが指摘された所でしょうか?一瞬表情が曇ったというか、歪んだというか…」

アナウンサーと解説者が懸命にこの事態が引き起こされた原因について推理を深めていた。

故障?
そんな事があるのか?
いや、あるはずがない。いつもと同じ…いつも以上に綺麗なフォームだった。
決して無理なんかしていない。リラックスして、それでいて緊張感があって…
松村が先ほどまでモニター越しに見ていた白石の姿からは、今の姿は想像すらできなかった。

画面の右肩に表示されるキロ表示を見た。
19.8km…
9区は残り3キロ余りである事を知らせている。

「横浜~。横浜に到着します。お出口は左側です。」
社内アナウンスが流れた。
「ありがとな。あ…ごめんな。」
「あ…アンタ。乃木坂の…?」
恐らく松村が着ていたジャージの背中に書かれた大学名でわかったのかもしれない。
男に礼をして、松村は電車から飛び降りた。

京浜東北線に乗り換えた。
次の電車が来るのがひたすら長く感じる。
まるで、田舎のローカル線じゃないか?なんで電車来ないんだよ?
僅か2分の待ち時間が、そう思えるほど長く感じた。

横浜から新子安までは6分だ。
京浜東北の青いラインが走る電車を飛び降りると、松村は走った。
全力だ。混雑する歩道で何度も人にぶつかった。
怒鳴り声を上げる者もいた。それでも構わない。
松村の目線は、走りながらもワンセグに注がれている。

監督車から降りてきた設楽が覗き込むように白石の表情をうかがっている。
その横を、三人の選手が相次いで通りすぎていくのが見えた。
テレビ画面がその手段…トップ争いに切り替わる。白石の姿は、画面右下の小さなワイプの中に収納された。
四ツ谷大の向井地がほんの少しだけ前に出ている。それを追う、聖ヴィーナスの川本。栄京の二村はやや遅れた。前の二人とは10秒の差がある。
終盤を迎えた9区の先頭争い。総合優勝の行方を左右する場面だ。中継がそちらにシフトするのは仕方のない事だと思っても、松村は小さな画面の中で状況を確認し辛くなった事に舌打ちをした。

携帯をポケットに突っ込んだ。
全力で走る。
国道1号線が見えた。沿道では大観衆が旗を打ち振っている。
松村は、その人垣をまるで飛び越えるかのようにして掻き分けた。
係員の制止を振り切って、コースへと飛び出す。

右手を見た。
すぐそこに白石の姿があった。



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