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91.

「すごい…これが…まいやんの全力なん…?」
戸塚の中継所にはまだ熱気の余韻が残っていた。
全てのランナーが通過して、係員が撤収を始めても、設置されたモニターには二重三重の人だかりができていた。松村沙友理はその中に大写しになっている白石麻衣の姿に釘付けになっていた。

この走りだ…この姿なんだ。
長いストライド、微動だにしない頭の位置。完璧な弧を描いて左右対称に振られる腕。まるでアップテンポのポップスを歌っているかのような安定したリズム。表情はあくまでも穏やか…いや、美しいといってもいい。私は、これほどまでに美しい走りをするランナーを他に知らない。
これが…白石麻衣なんだ。

この姿をずっと見てきた。魅せられてきた。
「御三家」。そんな風に、この人と並び称される事が嬉しくて仕方なかった。
でも、それはいつしか重荷に変わっていった。
彼女と肩を並べるに相応しい力をつけなくては…
「ミス・パーフェクト」のまいやん。「クール・ビューティ」と呼ばれたななみん。
私にはいったい何があるんだろう…?

焦りもあった。迷いもあった。
でも、一番は自分の弱さだ。それを癒す薬は「毒」だった。
私は、毒に蝕まれた。

一言も慰めようともしてくれなかった。
励ます言葉じゃなかったのかもしれない。
きっと、怒ってたっていうよりも呆れていたんだろう。

沙友理なんて呼ばれたのは、出会ってちょっと仲良くなった頃以来だ。
まだ余所余所しい友情が結ばれたばかりの頃…


栄京の二村を引き連れるようにして、裏権太坂を登っていく。
先行した向井地と川本が驚いたように、横に並んだ白石を見る。
白石は二人の存在すらを無視するように、そのまま一気に前に出た。


『先頭がここで入れ替わりました。権太坂の頂上付近。9区の出だしでいったんは差をつけられた乃木坂大学の白石。登りに入ってギアを完全に入れ替えました。表情を変えません。変わりません。あーっと更に…更にペースを上げたのか?向井地と川本…そして、追走してきた栄京の二村を…置き去りにします。下りに入って…これは?こらはスパートなのか?早くも勝負に出るのか?乃木坂の白石!近年稀に見る接戦の箱根駅伝。終盤に切り札を残していたのは乃木坂大なのか?』


松村はそのシーンを見届けると、ゆっくりとモニターに背を向けた。

大手町に行かなきゃ。
きっと、私たちの襷は…あの紫の襷は、トップで帰ってくるんだ。



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「やられた。」

三人の指揮官は、監督車の中で同じタイミングで同じ思いを抱いた。
栄京の玲奈。四ツ谷の峯岸。そして、聖ヴィーナスの倉持。

ここが最大の勝負のヤマだ。
ここで遅れる事は、決定的なディスアドバンテージを負う事になる。
往復217.9kmに及ぶ箱根駅伝。その長丁場がほんの一瞬で勝負を決する瞬間というものがある。

今年は間違いなく…今だ。
駅伝は最後まで何が起こるかわからない。
しかし…必ず逃してはならないポイントがある。

それがわかっていながら、指揮官は誰も指示を的確に与える事ができなかった。

走ってる選手も同じだ。
白石に食いついて追い上げてきた二村は、権太坂の頂上で更にギアを入れ替えた白石についていこうとした。その背中に思わず手を伸ばしそうにさえなった。
先を争うように競り合っていた、向井地と川本は一瞬何が起きたのかすら理解できなかった。
そのまま、まるで沿道で声援を送る観衆になったかのように白石の後姿を見送った。

それほどまでに、白石のスパートは圧倒的だった。

長距離ランナーにとって「前が見える」という事はモチベーションを保つ上でとても大事な事だ。それまで見えていなかった前を走る姿を視界に捉えると、俄然追い上げる気力が湧いてくる。
しかし…さっきまで目の前にあった背中が見えなくなる…
トップとの差が開くと、間に第2中継車が入る。
その大きな姿で前を走る選手の姿が消えてしまう。

緩いカーブに入ると、中継車の陰から前を走る白石の姿が何とか見えていた。
しかし、その姿がやがて完全に視界から消えた。

誰もが思った。
「今年の箱根は…乃木坂のものだ。」


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