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88.

兒玉遥は最後の最後まで下口ひななを振り切る事ができなかった。
いつ落ちるか…いつ落ちるか…
前を走る兒玉がハラハラするくらいの悲壮感を漂わせて下口は走っていた。

そっか…この子にも走らないといけん理由がちゃんとあるとね。

兒玉が下口を引き連れて…はっぱをかけるような事を言ってまで牽いてきたのには意味があった。
この子の持っている「何か」に追い立てられるように走れば…
ともすれば、もういいや…って思ってしまいそうな自分の弱さを消し去れるような気がしたからだ。

兒玉の感じていたとおり、下口には「走らなくてはならない」訳があった。
1区で転倒…慶育が途中棄権となる後藤の転倒を招いたのが、自分の無責任なけしかけによるもの…って気持ちはもう薄れてきた。スタート前に見た後藤萌咲の顔が浮かんできた。

「がんばって。」
もえきゅんはそう言ったんだ。
がんばろう…そう言われた事は何度もあった。
でも…あんな顔で「がんばって」なんて言われたのは初めてだったような気がする。

初めて会ったのは、入学前の合同練習。
憧れの慶育大。憧れの大島優子さんの母校からスカウトを受け、私は有頂天だった。
誰にも負けない…負ける訳がない。そんな風に思っていた私を衝撃が襲った。
はじけ飛ぶようなフォーム。躍動感というよりは、無駄に動きが大きい、中距離の選手かと思っていた。でも、顔合わせを兼ねたトラックでのタイムトライアル。5000mの間に私は周回遅れにされてしまった。衝撃というよりも屈辱だ。飛ばしすぎじゃない?張り切りすぎなんだよ…そんな風に思っていた自分が井の中の蛙って事を思い知らされた。

監督やコーチ、先輩からフォームの問題点を指摘されてもなかなか自分のものにする事ができない。何かというと「萌咲はね…」「萌咲はこうできたんだけどね…」。いつも萌咲と比べられてきた。
でも、一度も不貞腐れた事なんてない。むしろ、嬉しかった。
今まで「ひななは大丈夫だよね?」そんな風にばかり言われてきた。
誰かの背中を追いかける事に慣れていなかった。
でも…
堪らない。まだまだ私は速くなれる…そう思うとゾクゾクしてきた。

「よう走った。ひな!頑張ったな。でもな…ここまで来たら…前に出んかい!」
監督車から横山の声が飛ぶ。

前に出る?
そうか…兒玉さんは、私より確か10秒弱後ろで襷を受け取ってるはずだ。同着なら区間記録は私の負けになっちゃう。真子さんに言われたんだっけ。区間新狙えって。記録には残らないけど…
あれ?今、私、どれくらいのペースで走ってるんだっけ?

下口は手元の腕時計を見た。しかし、数字は目に入ってくるがそれを「読む」事まではできなかった。ただ目線を時計にやっただけだ。
「ひな!いいから。とにかく8秒!8秒だけでいい。その横で走ってる子を引き離すんや。ええな?それで真子との約束は守れるで?」

「由依…アンタいい指導者になる…いや、なったよね。そう…記録になるかならないかは関係ない。むしろ…関係ないからこそ、大事なんだよね。」
車中で隣に座っている指原がつぶやく。身を乗り出して声を枯らしている横山には届いてはいなかったが…指原は微かに笑って拡声器のマイクを手にした。
「はるっぴ。どうする?その1年ぼーず。アンタを引き離すってよ?舐められたもんだね~。いい?このまま行けば区間新は間違いない。でもさ…いいんか?『事実上の区間賞は慶育の1年生です』なんてテレビで言われるんだよ、きっと。そんなんで許せるんか?なあ、博多大のエースとして?」

中継所の手前、僅か数十メートルの所で兒玉が前に出た。
僅か3秒差で博多大の襷が9区に繋がる。
慶育の繰上げ襷がその後だ。



「だ…だめだった…」
下口が悔しそうに走っていく飯野雅の背中を見送った。
その背中を抱くようにして中野郁海がタオルをかける。
「だめじゃないよ。すごいよ。兒玉さんに11秒遅れの区間2位相当。二人とも区間新記録だってよ。」
「区間新…か。とりあえず、最低限真子さんに言われた事はできたって事でいいのかな?」
「うん。さっき真子さんから電話入ったよ。」
「真子さんから?何だって?」
「とっとと着替えて大手町迎えって。…待ってるよ…だって。」
中野がにやっと笑った。
何を言いたいのか、よくわかる。下口も同じような笑いを返した。
「それ…真子さんから?島田さんからじゃなくて?」
「ね…私も思った。」


肩を抱き合って笑う二人のすぐ脇を突風が吹きぬけた。
暖かい…いや、暑いほどまでに上がった気温にもかかわらず、冷たい吹き付けるような風だ。

「な…なに?今の?」
下口が目を細めるような仕草をした。
フィニッシュ地点では、秋英の中西智代梨が補助員や係員に囲まれていた。
タンカも運び込まれている。

「秋英学園にとっては、まさに試練の箱根となりました。8区・中西、最後の最後に力尽きました。前との差を着実につめてきていた中西。最後の最後、残り僅かでスローダウンしてしまいました。4人に抜かれて、15位での襷リレー。前を行く大東文化大との差は1分。シード権内の10位、立命館大との差は3分に広がりました。」

自分の最低限の仕事をする…
自分を押し殺す事でリスクを抑えていたつもりの中西だったが、箱根はそんな臆病な考えに牙をむいた。最後は失神状態になりながら中西は中継所にたどり着いた。
箱根でなければ、ここまでの消耗をする事はなかっただろう。
だが、箱根でなければ、ここまでたどり着く事はできなかっただろう。

それが、箱根の魔力であり、魅力なのだ。



8区→9区 戸塚中継所 (丸数字は個人区間順位 タイムはトップとの差)



1位グループ

   聖ヴィーナス大学    高橋朱里②      -
   四ツ谷大学        岩立沙穂③      -
   乃木坂大学        桜井玲香④      -
   栄京女子大学      北川綾巴⑤      -


8位  博多大          兒玉遥①     +10:18  ※区間新記録 
9番目 慶育大学        下口ひなな   +10:21

15位 秋英学園大学     中西智代梨⑱   +14:04 

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