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82.

「ちょっと、アンタ大丈夫なの?息荒いよ?おとなしく休んでろっての。」
「大丈夫ですよ。大丈夫…それより…朱里さん…?」
「わーってるって。心配すんなよ。ほら、切るよ?ちゃんとアップしとかないと…って言いたいんだろ、なっきー?」
まもなく襷がやってくる。ちゃんとスタート前に2回心拍を170以上まで上げておくこと。
内山に何度も何度も言われていた。

まったく可愛くない子だわ。いっつも私にくっついては、チクチクチクチク…言いたい事言いやがって。なんだよ、朱里さんは本気出したらスゴいんですって。今までだって本気で…
6区を走り終えた後の消耗は相当なものなのだろう。耳元から聞こえてくる内山の声は荒々しく乱れている。高橋朱里は思わず笑みを零した。

「ありがとね。」
「はい…?あの…今、なんて言いました?ありがとう…って聞こえたんですけど?」
「ったく…じゃな。後で大手町でな。」

襷を受けてしばらくの間、高橋はそれを肩にかけるのを忘れていた。
いかんいかん…思わず笑みを浮かべる。
スタート前に内山と電話で交わした言葉を思い出していたせいでもあった。

1年生の頃から「期待の星」そういわれ続けてきた。
慶育の田野優花などとは良く比べられたものだ。しかし、ここまでの3年間、高橋はその期待に決して応える成績を残したとはいえなかった。もちろん、コンスタントな記録を出してはいる。しかし、周りが期待したのは学生陸上会の次世代を担うに相応しい活躍だった。

大人しいタイプの選手が伝統的に多い聖ヴィーナスではあったが、特に高橋は闘志を表に出すことが苦手だった。決して燃えていない訳ではない。しかし、いつもどこか冷めている…そんな風に捉えられる事が多かった。そして、いつしか高橋自身も自分の事をそんな風に自己分析するようになっていた。
そんな高橋に幾度となく話しかけてくる後輩ができた。

「朱里さんは凄いんです。」
「何が?私、苦手なんだよね。アンタみたいな熱血タイプ。」
「熱血なんかじゃないですよぉ。ただ、朱里さんには…」
「汗かきたくないんだよね。余計な汗。」
「そうやってクールぶってるの似合わないですよ。ね?」
「だからさあ…これ以上速く走ろうって頑張るのなんてさ…」

うぜーよ。
そう言って追い払えばよかったんだ。
いくら封建主義が皆無といってもいい聖ヴィーナスだって、先輩後輩の上下関係は存在する。
でも、罪のない顔で目をキラキラさせてる内山をどうしても嫌いになれなかった。

「朱里さん。速く走ろうなんて思わなくてもいいですよ。朱里さんは。」
「は?何言ってんの?」
「速いって知ればいいんですよ。自分の事。」

たぶん…私は乗せられちゃったんだろうな?
まんまとあの子に釣られちゃったって事なんだろう。

でも、悪くない。
ほら、こうやって目の色を変えて…2分半も先にいるトップに追いつき…いや、追い抜いてやろうなんて思うのって。
せっかくこうやって箱根を走ってるんだ。一度くらいは襷を渡したあと、ぶっ倒れる姿をカメラに抜かれてやってもいいか。


あっという間に、前を行く四ツ谷大の岩立沙穂に追いついた。
30秒の差があったはずだ。まだ3キロも来ていない。

ん?もう?
確か、この子も決して力のない子じゃなかったはずだ。
3年生…学生ランキングに名前が入ってたのを見た覚えもある。
調子悪いのかな?

高橋は岩立の横に並び、一瞬横を見た。
一気に抜くつもりだった。明らかにペースが違う。
なのに、気になった。
違和感?いや、違う。もっと仰々しいというか、なんというか…
まるで罠を仕掛けた猟師が身を潜めているような感覚。

岩立は笑顔だった。そして、一言高橋に向かって言った。
「はーやーいー。もう来ちゃったんですか?うふふふっ。」

高橋の背中に一瞬冷たいものが流れた。
柔らかな笑顔。にこやかな表情。
そして、その裏に隠された確かな企み。

この子…わざと追いつかせたんだ?

「さ。いきましょ?二人でなら…きっとイケますよ。」
岩立のいたずらっ子のような顔に高橋がクールな笑顔を返した。
「私、速いけど?ついてこれるなら、ついといでよ。」

腕を振った。ストライドを伸ばした。
高橋がぐっと胸一つ前に出た。
岩立がまったく驚いた素振りもせずについてくる。

高橋は気づいていた。
こんなにワクワクしながら走るのは…

初めてだ。


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