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77.

長距離ランナーにとってもっとも必要なものは何か?

余分なものは筋肉さえも削ぎ落とした、走るという機能だけに特化した身体なのか。
長丁場の稼動にも心拍数を一定に保つ心肺機能か。
肺に取り入れた酸素を効果的に血液中に送りこむヘモグロビンの保有数か?
鍛錬とも思える環境に耐えうる精神力か。

様々な要素を挙げる者はいるが、どんな者からでも必ず共通して求められる事がある。

それは「気持ち」だ。

もう止まろう…こんな苦しい思いから早く逃げ出したい。
もう少しならペースを落としてもいいんじゃないか。

オリンピックで金メダルを獲得した選手でも、突き出たお腹で喘ぎながら走っているサンデーランナーでも、そう思わなかった事はないだろう。

そういう意味で、西野七瀬は「長距離選手向け」ではなかった。
高い身体能力、バランスの取れたランナー体系に恵まれた西野は入学当初から期待された選手だった。乃木坂駅伝部強化の第一弾の世代として入学した西野は最初の合宿で大きな挫折を味わった。
「スピードクイーン」
高校時代はそう呼ばれていた。
専門は1500。駅伝では3キロ程度の「スピード区間」を任せられる事が多かった。
しかし、箱根は最短区間の4区でも20キロ弱を走らなくてはならない。西野に与えられた最初の課題は「長距離への対応」だった。

頭ではわかっていても、身体がなかなかついてこない。長距離対応のトレーニングは実は負荷的には中距離を走るよりも軽い。しかし、コーチの松井玲奈は西野に中距離のスピードを持ったまま、20キロ以上を走れる力をつける事を求めた。
「瞬発力は天性のもの」とよく言われる。
西野に備わっている天性は特筆すべきレベルのものだ。「トラックで世界を狙える素材」。玲奈は設楽や日村によくそう言っていた。だから、徹底的に鍛えた。玲奈は自分の過去を西野に重ね合わせていた。きっと、この子はいつか化ける…いや、自分が凄い選手なんだって事を知る日が来る。

西野は毎日泣いていた。でも、一度も辞めると言い出した事はない。
そして「その日」は突然やってきた。

昨年の4区。未だ西野は15キロ以上の距離でベストの走りを出来ずにいた。
エントリーを不安視する声が大きい中、玲奈は西野を起用した。
そして…結果は出た。
追い風に乗った事もある。しかし、湘南路を駆け抜けた西野を捉える事が出来た選手は他に一人もいなかった。堂々の区間賞。「大器」は本番の大舞台で覚醒した。


「寝た子を起こしちゃったかもしれないなあ…」
玲奈がそう小さく呟いて監督車から後方に目をやった。
後方の視界が開けていた。第2中継車がいなくなったという事は後ろとの差がなくなったという事だ。小田原では2分の差があった。亞美だって決して弱い選手ではない。事実、今年に入ってからの学生ランキングでは飛躍に近い程の伸びを見せていた。逸材揃いと言われている今の3年生の中では目立たない存在ではあったが、成績の伸びとともに顔つきが変わってきた。今では、十分栄京のエースとしての自覚を持ちえているといってもいいだろう。

しかし…
「つう。後ろも来たよ?そろそろ、じゃれあいっことはお別れしようか。」
玲奈の声が拡声器から響く。

三人の先頭争い…いや、これは「争い」じゃないな…
まんまと峯岸さんにしてやられたみたいだ。
先に苦しい顔をし始めたのは、ウチの亞美と聖ヴィーナスの亜衿さんだ。
そこで勝負に出てもよかったはずなんだ。でも、峯岸さんからその指示は出なかった。よほど8区以降に自信を持っているのか…そう思ってた。でも…これは違うな。
飛び出さないんじゃない。飛び出せないんだ…
なら…残り3キロ。仕掛けるならここだ。

「行けるよね?つう。行けないって言うなら…」
玲奈の声が響く前に岩永はスパートをかけていた。

玲奈さんが何を言いたいのかよくわかってる。
つうは玲奈さんを鬼と思ったことなんて一度もない。
確かに、すっごく厳しい人だ。でも…本当に優しい人だ。
厳しい練習だって、ちゃんとそれが厳しくて辛いことなんだって自分でわかってくれてる。
だから、ガンバった時にはちゃんとほめてくれる。
つうは玲奈さんの喜んでくれてる顔が大好き。
速く走りたいとか、記録を伸ばしたいとか、勝ちたいとか…そんな事は正直あんまり興味がない。
ただ、玲奈さんにほめられると嬉しいし、あの優しい顔を他の誰よりもつうに向けて欲しいだけ。
あの笑顔を見れるなら、つうはどんな苦しくてもがんばれるよ。

岩永のスパートは強烈だった。
玲奈の読みは当たった。限界に近かったであろう聖ヴィーナスの1年生、横島は反応すら出来なかった。四ツ谷大の佐々木は前に出た岩永を見るのではなく、後ろに視線をやった。監督車の峯岸が大きく頷くのが見えた。そのまま岩永を追う事無く横島と併走を続ける。

佐々木の安定感は揺らぎのない本物の力だ。本来、岩永と何ら力の差はない。
しかし、ロードは…いや、駅伝というものには、普段目に見えない特別な「何か」が求められる。
今の佐々木には爆発力は望んでいない。残り3キロ。十分に与えられた仕事をこなしてくれた。
昨夜エントリー変更を伝えたばかりで、今日ここまでの走りが出来たのは佐々木以外いなかっただろう。


岩永についていったのは…ついていけたのは、先頭を争っていた二人ではなかった。
後方から疾風のように二人を抜き去った西野だ。
「七瀬…来たね?」
監督車を抜いていく瞬間、玲奈が西野に目線だけで話しかけた。

確かに今の七瀬は速い。乃木坂で今一番速いのはあの子かもしれない。
でもね、七瀬。ウチのつうだって相当なモンだよ。
「つう。後ろから七瀬が来たよ。つうも知ってるよね?七瀬は私が見出して、私が可愛がってきた選手。いい?私に笑って欲しかったら…七瀬より前で襷を繋ぎなさい。」

西野が岩永に並んだ。スピードが違う。一気に前に出ようとした時だった。
岩永が更にギアを入れ替えた。
大きなストライドの西野。小さな身体で小刻みにピッチを刻む岩永。
二人の身体が重なるように前を競う。

「玲奈…アンタ、怖いオンナだねえ。」
峯岸が玲奈の肩に手をかけて笑った。
残りは僅かだ。後方に選手は下がってしまったが、監督車の入れ替えは中継所近辺までお預けになる。
「怖い…?そりゃ、鬼って呼ばれてますけどね。峯岸さん。」
「いや、そういう意味じゃないよ。オンナ心を手玉に取るのが上手いって言ってるの。亞美ちゃん、必死じゃない。七瀬ちゃんを見るあの目…あれは嫉妬だよ。ジェラシー。アンタが可愛がってる子には死んでも負けない…って顔だよ。」
「勝つためですよ。勝つ為なら…何でも私はやりますよ。」

玲奈の目が妖しく光った。

つう、嘘じゃないよ。私はあなたの事が可愛くてしかたない。
だから…勝ちなさい。
勝って私を喜ばせて。



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