スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

62.

九十九折を繰り返す5区。ほとんど先行するランナーの姿を確認する事は出来ない。
情報戦が重視される近年の箱根では、監督車に次から次へと詳細な情報が入ってくる。
そしてその情報は逐一選手に送られる事になる。
しかし、岡田奈々はその情報を意識の中ですべて遮断していた。それを知ってか途中から峯岸も何も岡田に伝えなくなった。ただ…励ますだけだ。
峯岸もわかり始めていた。奈々が前を追わなかったのは、反応できなかったんじゃない。
チームオーダーを無視して自らの意志で判断する。これまでの岡田には考えられない事だった。

何かが変わるかもしれない…
予感にも似た感覚を峯岸が包んでいた。

来た。

意外と遅かったじゃない?もっと…そうだな。芦の湯辺りかと思ったけど。
まあ、いいや。残り5キロ。前との差は…2分無いんじゃない?
たった5キロか…

「お待たせ。」
「遅いよ。」
「何言ってるの。7分半だよ。」
「わかってるよ。ったく…あ、待っててやったんだけどね。」
小嶋の屈託のない笑顔に岡田が苦笑で応える。
7分半…まったく、どんだけなんだ。正直悔しい気持ちも強い。
こんな大差を詰められるほど、私と真子には力の差があるのか…
でも、岡田は笑った。苦笑を本当の笑顔に変えた。
レース中に岡田が笑うなんて…今まではなかった事だ。

「あのさ。疲れてるトコ悪いんだけど。休んでる暇はないよ?」
「疲れてる?アンタ、誰に言ってるの?そんな事より、行くよ。残り5キロ。あとは…」
「下るだけだしね。」
「下る?奈々、違うって。こっから先は…飛ぶんだよ!」

最高点を過ぎた。岡田は一瞬、小嶋の背中に羽根がはえたような錯覚を起こした。
急な下り坂を、落ちていくような…いや、違う。そう飛んでいくようなスピードだ。
岡田も飛んだ。

ここだ。
ここなんだ。

ぐんぐん加速していく。重力とこれまで選手を苦しめていた強い風が、今度は追い風となって背中を押す。
一歩一歩、着地のたびに激しい衝撃が身体を貫く。頭の先まで響いてくるようだ。
踵が、膝が、腰が…全身が悲鳴をあげ始める。
それでも、岡田は一歩一歩前に進むたびに全身に力が漲ってくる事を感じていた。
まるで、前を走る小嶋真子が発する強力なエネルギーにシンクロするかのように。

初めて会ったのは、高校入学前の秋だった。推薦で強豪四ツ谷大付属高への進学が決まった岡田は練習生として四ツ谷大グラウンドでの大学高校合同の練習に参加していた。そこで、ひときわ強いオーラを放っている子を見つけた。いつもニコニコしてる子だった。人の良さそうな・・・それでいて周りにいる人をすべて笑顔にするような太陽みたいな笑顔。
しかし走り出すとその顔つきが一変する。やはり練習生として参加していた西野未姫もそして岡田も、中学では敵なしの速さを誇っていた。しかし、小嶋は別格だった。高校のレギュラークラスと肩を並べて走る力を既に備えていた。
この子と一緒のチームで走れる…
その喜びは、どこか「憧れ」にも似た感情だった。

3年の冬。辛い形で最後の大会を終えた岡田たちは、更に大きなショックの中卒業式を迎える事になる。
小嶋…そして内山と橋本。全員で四ツ谷大に進むとばかり思っていた。
そして、行き場のないやりきれない気持ちを、いつしか小嶋への恨みのようなものにすり替えて誤魔化していた。

岡田の表情がゆがんでいた。今まで、こんな風になりふり構わない走りをした事があっただろうか?
最後までペースを崩さず…確実に次に繋ぐ。それが岡田の駅伝への「哲学」だった。
そのためには、冷静に確実な走りをする。生真面目すぎるって事は何度も何度も言われた。
でも、駅伝は個人種目じゃない。自らの感情のおもむくままに走るなんて、やっちゃいけないことだ。

岡田の走りを変えたのは、間違いなく小嶋だった。
終盤の失速…ここ数年、小嶋に貼られたレッテルだ。個人で走ってる時はまだしも、駅伝にかかわるととにかく萎縮した走りになってしまう。まるで、見えない足枷をかけられているように。

確かに襷をかけて走る事には「責任」ってものが伴う。でも、それは決して「重石」になるものじゃない。
逆だ。今日、私はどれくらいの力をこの襷から貰ったんだろう。デザインセンスの欠片もない、この変なストライプの襷。伝統のフラッシュグリーンが放つ輝きの数分の一すらの光もない。でも、今はこの襷がたまらなく愛おしい。
きっとゴールでは…芦ノ湖では、萌咲が待ってるはずだ。きっといたたまれない顔をして。
でも…だからこそ、私は精一杯の笑顔でゴールテープを切るんだ。
そして、明日からまた走るんだ。

奈々…言葉はかわさないけど。もっと早く、こうして一緒に走れればよかった。
あの日…次の日。なんとなくお互いを避けるようにしちゃった。
私はアンタ達に責められてると思い込んでいた。でも…そんな事なかったんだよね。
もっと素直になれば良かった。でも…ほら、私って不器用だからさ。
でもね、思うんだ。私たちは「ライバル」なんだ。一緒のチームで走るのもいいけど、こうして肩をぶつけ合いながら…先を競い合いながら走ってるほうがきっと楽しいと思うな。
アンタが前にいたからここまでこれた。自惚れかもしれないけど、アンタも今私と一緒に走ってるから、そんな風に熱くなれてるんでしょ?

行こう。もっと先へ。
行こう。あの光の差す方へ。

下りに入ってすぐ博多大の朝長を抜いた。
一度は伊豆田に食い下がるかに思えた朝長だが、大きく遅れてしまっていた。
小嶋と岡田、二人の勢いに一瞬並ぶことさえできなかった。
そして、次に聖ヴィーナスの伊豆田をかわす。
ここまで神がかり的な速さを見せていた伊豆田だったが、下りでの走りではその姿ではなかった。
足元を確かめるように下る伊豆田。足元どころか、着地したその足がそのまま宙に浮くように走る小嶋と岡田。
差は歴然だった。あっという間に伊豆田が見えなくなる。


先頭の惣田が箱根神社の鳥居をくぐった。残りは2キロだ。

「先頭で栄京の惣田。惣田が残り2キロの表示を通過しました。しかし…そう。もう惣田にも。沿道の観客にも。わかっています。感じています。そして…来ました。やって来ました。小嶋です。慶育大学の小嶋が…四ツ谷大の岡田とともに、やって来ました。その差は…11秒。見えます。箱根山中の九十九折。その姿がついに視界にとらえられました。慶育大学には順位はありません。このまま何番目でゴールしても、その走りに順位がつく事はありません。しかし…そんな事はどうでもいい。小嶋の表情がそんな風に言っているように見えます。あっと、ここで…岡田が。四ツ谷大の岡田が前に出ます。ものスゴイ表情だ。ものスゴイ表情だ。前は譲らない!譲らない!岡田の意思が…意思が脚を前へ運んでいるようだ!」

大歓声が降り注ぐ。ここまでの歓声もすごかった。でも、これは間違いなく今日一番の熱狂だ。
そして…ついに残り1キロ。三人が並んだ。

「並びました!ついに…ついに並びました!そして…いや、引かない!退かない!三人とも一歩も下がりません。横一列!横一列に並んだまま。栄京の惣田、四ツ谷の岡田、慶育の小嶋。まったく譲りません。これは…これは間違いない。間違いなく後世に語り継がれるデットヒートだ。5区23.4キロ、往路108.8キロの末に…なんというドラマ。最後の最後になんというドラマが用意されていたのか!」

中継車が真っ直ぐ進みコースから外れた。あの先を…あの先を右に曲がればゴールだ。
岡田と惣田が肩をぶつけ合いながら先を競る。小嶋の振る肘が惣田の胸辺りを叩く。
まったくお構いなしだ。お互いが全く横を見ない。

意地、プライド、闘争心…そして強い想い。
色んなものがぶつかりあっっていた。


お知らせ | Home | 61.

Comment

Post comment

Secret

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。