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54.

箱根の山は天下の剣。箱根駅伝を語る上で欠く事の出来ないのが5区だ。
5区間最長の23.4km。標高差864mのコースは、ランナーとしての全てが試されるハードなものだ。
かつて、この5区は「スペシャリスト」達のステージだった。
しかし、近年箱根駅伝を制するために各校がエースを投入する区間となってきた。
湯元から始まる緩い登り。函嶺洞門を越えてから始まる山登り。強靭な心肺機能に鋼の筋力。そして何よりもいつ果てる事のない苦しいコースをねじ伏せてやろうという精神力。
脚力だけでない、真の力が問われる舞台だ。

かつてこの5区では数々のドラマが生まれてきた。そして、ヒロインを生んできた。
「山の女王」と言われ、4年連続で区間新をたたき出した大島優子。その大島を擁する慶育大の往路4連覇を直接対決で破り、一躍「山の女神」の名を冠した指原莉乃。その翌年、圧倒的なパワー走法で雪の箱根山中を駆け上がっていった「ブルドーザ」島田晴香。

沿道の観客も、30%を超す視聴率のファンも、常にドラマを求めてきた。
そして、選手はそれに応えてきた。

今年も何かが起きる。
ここまでの展開は、その予感を十分に孕んだものであった。

だから、岡田奈々が小田原名物、蒲鉾の鈴廣前を過ぎた後の3キロ地点を指原が作った区間記録を上回るタイムで通過したのを知って、沿道のボルテージが一層上がった。観客は、ある意味暖かくそして熱い。しかし、もっとも酷でもっとも厳しい。彼らが求めているのは、無難に走ってフィニッシュする5区ではない。熱くてドラマチックな展開なのだ。


「いやいや。岡田さん、無理っす。そんな張り切らないでも…ゆっくり箱根見物でもしながら行きましょうよ。先は長いんですし。まさか区間記録とか狙ってるんじゃないでしょ?」
隣から聞こえてくる暢気な声。何度か無視してきたけど、そろそろ鼻についてきた。
返事をするわけではないが、笑顔を作ってその声の方に向ける。

無理って…アンタ、そんな事思ってないくせに。
「私、初めてなんです。緊張しちゃってぇ。」
スタート前、握手を求めてきたこの子の顔を見て、思った。
この子は、そんなタマじゃない。あ…女の子に…はないか。
って、そんな事言ってる場合じゃない。この子は危険だ。
大体、私だってこのペースはかなり無理してるって自覚がある。
なのに、この子は何の違和感もなしにくっついてきている。
まだまだ余裕がある走りだ。

惣田紗莉渚…この子、ただのぽっと出の新人なんかじゃない…


岡田のハイペースについてきているのは、惣田だけではなかった。
隣に並んで走る惣田に対し、二人の背後に張り付くようにしているのが博多大の朝永美桜だ。
去年もこの5区を走っている。特に印象を残したわけではないが、ちゃんと上位の成績を残している。この1年学生長距離界のエースにのし上がってきた宮脇・兒玉を差し置いて5区にエントリーされているのは伊達ではないだろう。

湯元駅前には大観衆が押し寄せていた。いよいよ始まる山登りへの期待…いや、後押しだ。選手はこの声援に後押しされるとともに、追い立てられるかのように箱根の山へ入っていく。

5キロの通過は、区間記録とほぼ同じタイムだ。海沿いでは手ごわい敵となった強い風も、この山中では序盤それほど影響がない。



ふーん…ちょっとデータと違うな。岡田奈々…生真面目で与えられたミッションを的確にこなそうとするタイプだったはず。なんかスタート前に慶育の小嶋真子と何か談笑してたけど、あれが原因?まさか、コーチから区間新狙えって指示出てるなんて考えられないし。だいたい、峯岸さんにはまだそんな勝負勘はないでしょ?三つ巴のトップ争い。乃木坂は橋本が追ってきてる。伊豆田がエントリーしてる聖ヴィーナスはともかく、そこまで含めた往路優勝争いを考えるなら、序盤は様子見ってのがセオリーのはず。だとしたら、このハイペースは?記録を狙うようなタイプじゃないしね…
なんか、まるで後ろから来る誰かから必死で逃げてるような感じが伝わってくる…


惣田紗莉渚は異色の経歴を持つ選手だ。
高校時代はまったく無名だった。陸上が強い学校へのセレクションをいくつも受験したが、ことごとく失敗。平凡な高校で平凡な選手生活を送った。インターハイへの出場ももちろんなし。記録もごくごく平凡なものであった。卒業時には秋英や慶育、四ツ谷大のセレクションに参加した。しかし、主だった成績も残していない惣田を拾おうとする学校はどこもなかった。
普通なら、上での選手生活は諦めるものだ。しかし、惣田は強い意思を持つ強い人間だった。
アルバイトで生計を立てながら、地元のクラブチームで走り続けた。そして、各地でオープン参加の記録会を見つけては自費で参加するという日々を送ってきた。

先が見えないそんな日々。
決して惣田はくじけなかった。
小さいころからいつもテレビで見ていた。
あの箱根を走るまでは絶対に諦めない。

そんなある日、突然チャンスがやってきた。
愛知県の瑞穂競技場で行われた、東海地区の学生記録会。
ある一人の選手との同走が彼女の運命を変えた。

惣田にとって…いや、陸上をやっている人間にとって、彼女はスーパースターと言ってもいい存在だった。大学卒業後はロードから離れクロスカントリーに転向。日本人として始めて世界選手権で銀メダルを獲得し、次期オリンピックでは一躍金メダル候補に名乗りを上げている選手だ。

「惣田ちゃんって言ったっけ?どこの学校?」
「いえ…今はクラブチームで…浪人中です。なかなかどこの学校にも…」
「浪人かあ。ね、駅伝は走ったことある?」
「いえ。私、そんな強い高校じゃなくて…選手揃わなくて予選にも出れなかったんです。」
「そっかあ。ねえ、惣田ちゃん。あなたはもっともっと速くなれる。でもね、あなたが輝くのはトラックじゃないと思うな。」
「でも…トラックで記録出さないと…」

憧れの選手の前で惣田は直立不動の姿勢のまま話を聞いていた。
駅伝…そりゃ、私だって。そもそも、強い大学に進みたいのだって箱根を走りたいからだ。
でも、それにはトラックで記録を出さなくちゃ…

「そうかなあ…だって、亜香里だって10000の記録なんて、今でも国際大会のB標準にも届かないレベルだよ?関係ないって。」
「でも…須田さんは…」
「少なくとも、さっき途中まで私を引っ張って走ってる姿には、鬼気迫るものがあったよ。なんていうのかな…月並みな言葉かもしれないけど、熱があった。久しぶりだよ。記録会でこんな血相変えて走ってる後姿を見るのは。」
須田亜香里が顔を崩して笑った。
とても、世界を取ろうかって人の顔ではない。
無邪気な少女の笑顔のままだ。

それはそうだ。須田さんにとっては単なる調整の為の記録会かもしれない。
でも…私にとっては、一つ一つが運命を変えるかもしれないレースなんだから。

「ね。あなたが真剣に駅伝をやってみたい…そう思うなら、私が推薦してあげる。きっと、あなたを速くしてくれる環境がある場だと思うよ。」
「え?私を…ですか?お願いします!須田さん!ぜひ。このとおりです。」
惣田は深々と頭を下げた。
「わかった。っていうか、どこの学校か聞かないの?」
「あ…そうでした。」
「あはははは、面白い子ね。ねえ、須田さんってやめない?あかりんって呼んでよ。」
「そ…そんな…でも…あかりさんって呼んでいいですか?」

須田の紹介で栄京女子大のブレーンをしていた高柳明音に会った。そこでは、惣田の高校時代の成績や記録についての話は一切出なかった。なぜ走りたいのか、なぜそう思うようになったのか。惣田は自分の想いを高柳にぶつけた。これも一つの勝負だ。高柳もかつては、箱根を走ったランナーだ。嘘や誤魔化しは通用しない。じっと惣田の目を見て話に聞き入っていた高柳が、大きく頷いた。
「わかった。あなたの想い、しっかり受け取った。あかりんの言うとおりね。アンタは速くなる。大丈夫。ウチには鬼がいるけど…それでもいいわね?」

構わない。私を速くしてくれるなら、鬼でも悪魔でも。
事実、栄京に入ってから私の記録は飛躍的に伸びた。10000の記録が半年で4分も縮まるなんてこと、考えも出来なかった。玲奈コーチは鬼だった。でも、その科学的理論に支えられた精神論が私を強くした。私も、ひたすらに研究を重ねた。今まで専門的な知識なんてナシに一人でやってきた。学べば学ぶほど速くなった。そして、同時にライバルとなる選手の事も徹底的に調べた。ライバル校だけでない。チームメイトの選手もだ。そうして、色んなものを得た。

そして、今、私はここを走っている。
紛れもない。箱根駅伝の5区を。
しかも、先頭だ。

この場所は…絶対に譲らない。


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