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51.

秋吉に追いつくと西野は一気にギアを一段…いや二段引き上げた。
残りはもう8キロ無い。出し惜しみする必要などない。トップギアだ。

秋吉を抜くときに、一切その表情をうかがうような仕草を見せなかった西野がちょっとした違和感を感じた。違和感というよりは、何か嫌な感覚だ。
もちろん自分がここまでペースアップしたという事はあるが、予想以上に秋吉に追いつくのが早かった。恐らく、調子が悪いのだろう。後ろから見てた秋吉の走りには躍動感や疾走感は感じられなかった。一気に抜いていけるはずだった。

なのに、何?
このぺったりと絡みつくような感覚は。
まるで、梅雨時のじめっとした空気のように背後に絡みつく気配は。

後ろを振り返るのは大嫌い。
どんなに速いランナーに追いかけられても、どんなに競った場面でも。
ましてや、いったん抜き去ったランナーを気にするなんて事今まで一度もした事がなかった。

「よっし。秋吉ちゃん。大丈夫。こっからだよ、こっから。」
監督車の指原が声をかける。

こっから?

振り返った。
ほぼ無意識だった。
指原の言葉がどうしても気になった。
まさか…追いつかせた?何のために?
だって、ここはずっと「無風」だったはず。
後ろを待つよりも前を追う…同じ条件なら前を走る市野と秋吉の力の差はないはずだ。
だったら、わざわざ遅れなくても前を追った方がいいに違いない。

西野が振り返ったのは、秋吉を見ようとしたのではない。
指原の声が振り向かせたと言ってもいい。
事実、西野の目に入ってきたのは、指原が監督車から身を乗り出して秋吉に指示を出している姿だった。
笑ってる。仕方ねーな…といった苦笑いにも見える。
秋吉も同じように笑っていた。


秋吉はもともとスピードに恵まれたランナーではなかった。
朝永美桜、田島芽瑠といった同級生に比べられることが多かったが、決して派手に好記録を連発するタイプではない。むしろ、長い距離を淡々とこなしていくような走りが身上だ。
いつも穏やかな表情でいるところは朝永と同じタイプだったが、その笑顔の陰には負けん気を隠し持っている。ただ、その負けん気がなかなか表に出ない。特にチームメイトと競いあうようなシーンではなかなか本来の力を発揮できずにいた。

闘争心を表に出して、自ら獲物を狩りに行くような走りは苦手だが、その粘り強さは指原も評価するところだった。ひとたび食いつかれると、宮脇も兒玉も秋吉を引き離すことはなかなかできなかった。


宮脇が市野に引き離されたのは予想外だった。
僅差、もしくは余裕を持ってトップでくる…そう予想していた。
しかし、実際には秋吉が一人旅を強いられる展開になり始めていた。
後ろから来るのは西野。この4区にエントリーしてる中では圧倒的に力のある選手だ。
指原は賭けに出ていた。西野にあっさり置いていかれるかもしれない。
そうなったら、秋吉の気持ちは完全に折れてしまうだろう。
そうなったら、博多大の箱根はここで終わる。
シード権なんてハナから狙っていない。指原の狙いは「優勝」だった。


指原と秋吉の顔を見て西野はすべてを理解した。
噂には聞いてたけど、なんて大胆な戦略を立てる人なの?
ウチの峯岸さんとよく比較される事がある。選手の適性を見出して、レースの攻め方を面白い視点で考える事ができる指導者だって。
でも…申し訳ないけど、一枚上手だわ。峯岸さんなら、後ろに追いつかせるなんて考え方はまずできない。それが、わかってるから私も全力で前を追ったんだけど。

しかし…この子…
可愛い顔して食えないなあ。いくらここまで温存してたって言っても、今の私トップギアを踏んでる
んだよ?あと…5キロちょっとになった。あー。わかったわかった。わかったよ。一緒に連れていけばいいんでしょ?ついてこれるならね?

西野が更にペースを上げた。残り5キロ。まるでラストスパートのような勢いだ。
呼吸が荒くなる。無酸素ゾーンから有酸素ゾーンに移行した証拠だ。

潰れたらそこまで。
でも、そんな柔な鍛え方はしていない。
ここで潰れるようなら、私もそこまでって事だ。


目の前にいた第2中継車が僅かな路肩のスペースにその大きな図体を滑り込ませた。
慌しい動きをしてまでも、脇に避けなくてはいけない理由があったからだ。

そして、それは西野にも意味がわかっていた。
目の前が開けた。再び強い向かい風が突き刺さってくる。

でも、もうそんな事は関係ない。
目の前に、オレンジの襷をかけた姿が見えた。

西野が秋吉のほうを見た。

アンタのおかげかもね。アンタのおかげで私にはもう一段上のギアがあるって事を知った。
アンタが食いついてくれなかったら、こんなに早く前に追いつけなかったかもしれない。
さ…こっから始めようか。
よーいどん、のかけっこだよ。区間賞とかそんなものには興味ない。
誰が最初にゴールテープを切るのか。小学校の運動会の徒競走だ。

私はそれが一番好きなんだ。

西野は笑った。
そして、更にペースを上げた。
「無茶するな!」
峯岸の声が遠くで聞こえた。
でも、わかってる。無茶するな…峯岸さん、コーチがそう言う時はこういう意味だ。

でも…無理はしろよ!

そう、私はまだ無理できるんだ。


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