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39.

「花の2区」

選手層が厚くなり、各校のエースが5区や他の区間に配置される事が多くなったとはいえ、やはり箱根を走るランナーにとって2区は特別だ。
鶴見から横浜を経由し、国道1号線を戸塚まで。沿道では途切れることなく大観衆が声援を送る。
華やかさという点では、他の区の追随を許さない。

トップで襷を受けた四ツ谷大の木崎ゆりあの足取りは軽やかだった。
2年の時から、ずっとこの2区を走っている。4位→2位→3位。区間賞の経験こそないものの、安定した走りを見せてきた。
今シーズンに入ってからの木崎の走りは一段と安定感を増していた。
箱根エントリー選手のみならず、10000の学生ランキングはトップだっだし、11月に走ったハーフマラソンでは数年ぶりに学生記録を塗り替えていた。
国体出場経験を持つアスリートを両親に持ち、姉は数年前に世界陸上のマラソン代表になった程のサラブレッド。
高校は栄京女子大の付属だったが、熱心なスカウトを受け東京の四ツ谷大へ進んだ。今春の卒業後には、社会人の名門チームに進む事も決まっている。

5キロ地点。木崎は手元の時計を一瞬だけ見て、再び前を向いた。
想定通りのタイムだ。差異は3秒のみ。
大丈夫。設定どおりのタイムで走れれば、次の3区…茂木の代わりに入った美優に襷を繋げる事が出来る。
後続のランナーの走力を冷静に評価すれば、私の設定タイムを上回る子なんていないはずだ。


中継点を2位、3位、わずか数秒の差で襷を繋いだ、聖ヴィーナス大と博多大。大和田南那と森保まどかが肩を並べるようにして走っていた。そのすぐ後ろには、乃木坂大の若月佑実が秋英の武藤十夢、栄京の宮前亜実を引き連れるようにして迫ってきていた。鶴見では20秒ほどあった差は、すでに10秒弱までになっている。

「ちょっと…私ばっか牽かせてないでさ…亜実。アンタも少しは前に出なさいよ。」
「悪い。そんな指示受けてないんでね。それより、佑実…そんなおしゃべりしてて大丈夫なの?まさか、アンタが2区にエントリーされるなんて思ってもみなかったよ。」
「私だって驚いてるんだよ。玲奈コーチだったら絶対に無いオーダーだよ。…って、ほら追いついたよ。」
若月が宮前と軽口をたたいているうちに、三人は前を行く大和田と森保に追いついた。

5キロを通過した。
先を行く木崎との差が各校の監督車から伝えられる。
鶴見では1分の差が、ここでもそのままキープされていた。
後方から追い上げて来た三人は、木崎よりも20秒以上早いペースで走ってきたという事になる。

「まどか。仲良くまとまって走る必要はないよ?いけるなら行っていいからね?」
「よーし。杏実。いいよいいよ。そのままそのまま。楽ーにね…いい?」
「十夢。大丈夫か?リラックスだ。まだ勝負所は先だ。じっくりな。じっくり。」

監督車からそれぞれの思惑を込めた指示が飛ぶ。
概ねその思惑は今のところ一致しているようだ。
先を行くのは、学生トップランナーの木崎だ。今は、大きくその差を広げられなければ、それでいい。
それでなくても、この暑さだ。木崎だって一人旅の終盤は相当消耗するはずだ。
悪いペースではないのだから、集団で走るメリットは少なくない。

そんな中、一人指示を迷う者がいた。
聖ヴィーナスの監督、倉持だ。

このオーダーを組んだのは私じゃない。1区だって福岡が飛び出したのをハラハラして見守っていただけだ。
いったいここはなんて指示を出せばいいのか…ただ、頑張れって言うだけでいいのか…
その時、倉持の携帯が鳴った。画面には内山奈月の名前が表示されている。
「あ、なっきー?今は…宿舎?」
明日6区を走る予定になっている内山は芦ノ湖の旅館にいるはずだ。
箱根の朝はチーム一団で円陣を組んで…などとしているチームはほとんどない。
それぞれの区間でのスタートを迎える為の万全の拠点を用意しているのだ。
「はい。テレビ見てます。それより…なーにゃに何か言いました?」
「いや、何も。何か指示出した方がいい?」
「指示…あ、監督。ひょっとしてなーにゃ…」
「ひょっとしてって?」

なんか…2区って退屈だなあ。
沿道の人は多いけど、コースは単調だし。
あ、そっか後半にならないとアップダウン始まらないんだった。
でもなあ…後ろにも追いつかれたし、前との差は変わらないし・・・・
勝手にスパートとかしたら怒られるのかなあ?

大和田はちらっちらっと周囲を見回した。
5人が密集して走ってる為、時々肘や腕が体に当たる。
結構痛い時もある。
集団で走るのは…好きじゃない。

それに…みんな、結構キツそうだ。汗もすっごくかいている。
うーん…
いいや。いっちゃえ。

「指示って…いや、好きに走れってだけでいいんですよ。私、監督にそう言いませんでしたっけ?」
「そりゃ言われたけどさ。あっ…」

倉持が拡声器のスイッチを入れようとした瞬間だった。
大和田が集団の中から一気に抜け出した。

「えっ?もう?」
「だって、権太坂だったまだずいぶん先でしょ?」
若月と宮前が顔を見合わせた。すぐにコンセンサスが出来上がる。
ここは、行かせておけばいい。
大和田南那。時々名前を聞くことこそあれど、それほど警戒すべき相手ではないはず。
武藤も高橋の指示でその場にとどまった。

「まどか!追って!ダメだよ。逃がしちゃ。」
ただ一人、指原が大きな声を上げた。
アレは危険だ。確証はない。でも、とにかく危険なニオイがする。
何だ、この感覚は…あの後姿…どこかで見たような感覚…
自分が速い事を全然自覚していない。でも、速い。何かが覚醒されたような…

たなびくピンクの襷。大きなストライド。ピンと張った安定感のあるフォーム。

「ここにも…いた。そうだ。前田さん…の後ろ姿だ。」
指原がそう気づいた時には、大和田の背中が遥か遠くに小さくなってしまっていた。
数秒遅かった…いや、絶妙のタイミングで指示が出せたとしても、恐らくまどかがついていくのは無理だろう…


「よしよし…」
大和田のスパートを見極めて、一息ついた内山の耳にアナウンサーの大きな声が入ってきた。
絶叫ではない。しかし、興奮を隠し切れない。今のこの状況をどう伝えればいいのか、判断に迷っているといった感じだ。

「今…横浜駅の定点を…えーこれが、最後のランナーですね。20番目…慶育大学が通過します。慶育?慶育でいいんですよね?白地のシャツにグリーンのパンツ。繰り上げ襷をかけています…慶育大学の1年生、中野郁海です…ね?」
横浜駅を初めとした定点には、途中順位と差を確認する為に、各校の通過ごとに中継が切り替わる。
その画面を通過していったのは、間違いなく慶育の中野だった。
「えーっと…慶育大学は1区、途中棄権がありました。2区はトップから10分遅れの繰り上げスタートになります。トップが通過して…え?8分2秒…8分2秒?えっと、放送席の上重さん。慶育の中野ですが、トップを走る四ツ谷大の木崎との差を2分…2分です。僅か8キロの間に2分も縮めてきました。これは…なんと、数年前、金字塔と言われた栄京女子大の松井珠理奈が出した区間記録を1分半も上回る記録です。いや…これは、速すぎる。慶育の中野。ここまでは…見事な…見事な走りです!」

飛ばし過ぎって言いたいの?
内山はテレビに向かった言った。
実際に声が出てしまっていただろう。

違う。
この子は…

内山が笑った。
何人がこの一瞬の中野の走りを見てそれに気が付いただろう。

「とんでもない選手が現れた」…と。


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