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27.


「あんのぅ…小嶋先輩…まんず、わだしだち…片づけを…」
たぶん、何回も声をかけられていたのだろう。
背後にいた人影にようやく気がついた小嶋真子は、はっと後ろを振り向いた。耳につけていたイヤフォンを外し、バツの悪そうな笑顔を作る。
舌をぺろっと出してみせた。

「ごめんね結衣ちゃん。ちょっと考え事してて…音楽も聴いてたしね。」
「あ…いえ…わだしごそ…」
もじもじと小さな身体を更に縮めている横山結衣を見て小島は思わず笑顔になった。練習で走ってる時とは全然違う。この大人しそうな外見のどこに、あんな切れ味鋭い走りを見せるエンジンを隠しているのだろうか。

「真子先輩。何を聴いてたんですか?」
人懐っこく身体を寄 せてくるのは、坂口渚沙だ。
この子は…本当にいつも一生懸命だ。何を言われても「はいっ!」と大きな声が返ってくる。それでいて探究心が人一倍強い。どうすれば速くなれるのか…誰かれ構わず先輩を捕まえて、アドバイスを求めまわっている。そして、その飲み込みが実に早い。

「何?ああ…今ストレッチしてたからね。そういう時は静かな曲を聴くときが多いかな。って言っても…私アイドルヲタクだからさ…」
「アイドルですか?え?え?何聴いてるんですか?私も好きなんです。ももクロとか?jucie=jucieとか?」
小嶋の返事に強く反応したのは中野郁海だ。
まん丸な目を大きくして笑顔を見せている。

「へー。意外。いくみんってアイドル好きなんだ?」
「はい!」
「ヲ タクなのは、アイドルだけじゃないよね。いくみんは。」
坂口が小嶋から受け取った片方のイヤフォンを耳に入れながら言う。
「そうなの?あとは…?」
「アスリートヲタク。箱根ヲタクって言ってもいいかな?」
坂口がからかうように答えた。そうそう。横山も同意するように頷いた。
「箱根…そっか。それも私と同じだね。テレビで見た選手に憧れて本格的に走り出したってやつかな?」

小嶋が本格的に長距離を走り出したのは、高校に入ってからだった。中学の時はテニスをやっていた。四ツ谷大付属へ入学後、その持久力を見出されて陸上部にスカウトされた。その時に見せられた箱根駅伝のビデオを見てまさに「魅せられた」のだった。あんな風に走りたい。
系列大学の先輩であ る島崎遥香の走りに特に魅かれた。自分もあの舞台で走りたい。そう思ってからは迷う事はなかった。そして、走るたびに記録が伸びていった。
あの頃は…走る事が本当に楽しかった…


「やっぱり…横山監督が言ったとおりだね。」
「んだ。でも…小嶋先輩…それ聞いだら怒るんでないがど…」
「なに?なに?監督がなんだって?」
坂口と横山が少し照れたような、言いだしにくい事を打ち明けるような…そんな口調で会話をしているのに、小嶋が気づいた。というより、気づかないわけがない。坂口は自分の隣でイヤフォンを半分ずつ耳に入れて音楽を聴いてるんだし、横山だって自分の目の前にいる。

「あの…私の事なんです。」
「ん?いくみん?どした?別に怒らないから言ってみ?」
「あの…私…真子さんと似てるって…」
「似てる?私といくみんが?」

小嶋は目の前にいる中野の姿を上から下へと点検するようにじっと見た。
確かに…顔の系統が似てる…のかな?
いや、きっとそんな事じゃないんだろう。横山監督が言うくらいだ。きっと走りとかタイプとか…
そんな事に違いない。

「もー監督もねえ。そんな…私に似てるなんて言われたら…困っちゃうよねえ?」
実際、目の前にいる中野は直立不動までいかないまでも、ちょっと緊張した顔つきで立っている。
きっと真面目な子なんだろう。小嶋はにっこりと笑った。

「困るなんて…そんな…光栄です。」
中野が頬を赤くして俯いた。
まるで初恋の人に告白した時のような表情になる。
思わず小嶋まで恥ずかしくなってきた。

光栄…って。
でも、この子たちは私がまだ速かった頃の事を知っているのだろうか?
ここ数年、肝心のロードでは失速の繰り返しだ。特に駅伝では、本戦のメンバーにすら選ばれなくなってしまっている。四ツ谷大や聖ヴィーナスに進んだ同級生や後輩たちにまでどんどん差を付けれている。
ここのところの連取でも精彩を欠いていた。
そんな私に似てるって言われて…光栄なんて言ってもらえる存在なんかじゃないんだ…

「小嶋さん。あの…もし…もしですよ?」
中野が遠慮がちに…しかし、まっすぐ小嶋の方を向いて言った。
「もし、私が箱根のメンバーに選ばれたら…」
「うん。選ばれたら?」
「一緒に優勝目指して頑張りましょう!」
「ゆ…優勝?うん…あ、ほら、私まだ…」

そう。私が箱根のメンバーに選ばれるかなんてわからない…
いや。きっと今年も無理だ。
予選会でも大失速した。
この子たち3人の方がエントリーされるに相応しい力を持っている。

「あのさ。いくみん。」
「はいっ!」
本当にいい返事だ。そして、まっすぐで素敵な笑顔だ。
こんな顔をされると、なんか自分がモヤモヤした気持ちを引きずってる事がとてつもなく情けなく思える。

「走るのって好き?」
「はいっ!」
「楽しい?」
「もちろんですっ!」

そうだ…そうだった。
横山監督が言うのもわかる。
この子、私にそっくりだ。
私もこんな風に笑ってた。

そうだよね。走るのって楽しいんだ。
そう。そして、それを思い出すために、私は戻らなくちゃいけないんだ。
あの、華やかなロードの上に。

数日後、箱根のエントリーメンバーが発表された。
高校3年間は1区を走った。3年の時は渡せなかった襷。
今までは渡す側だった。渡される立場で走った事はない。

4人が運んでくる襷。
そこには、色んなものがしみ込んでるに違いない。
受け取ろう。そして、全てはそこからだ。


慶育大学 箱根エントリーメンバー

1区 後藤萌咲
2区 中野郁海
3区 田野優花
4区 横山結衣
5区 小嶋真子

6区 坂口渚沙
7区 谷口めぐ
8区 下口ひなな
9区 飯野雅
10区 相笠萌

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