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19.

歳はとりたくないな…
自分がそんなセリフを吐くようになるなんて思っていなかった。
少なくとも、こんなにも早くには。

でも。

そう思わずにいられない。
今の子たちが何を考えているのかが、本当にわからない。

紺のシングレットに染め抜かれたアルファベットのAの文字。
選ばれた10人が運ぶピンクの襷。

そのメンバーに選ばれる事は何よりの名誉だ。
その名誉を得るためには、どんな犠牲を払っても、多少の無理や時には無茶さえしてきた。
私だけじゃない。

次のオリンピック出場に内定し、金メダルにもっとも近いと言われる前田敦子だって。
日本陸上界始まって以来のトラックでのメダルを期待されている篠田麻里子だって。
そして、卒業後中距離に転向し、先日の世界選手権で日本人初の入賞を勝ち取った小嶋陽菜だって。
どんなスター選手でも、伝統と栄光の一員として名を残す事への誇りを忘れなかった。
いや、スターと呼ばれた者だけでない。
全てを走る事に捧げてきた。それが、私たちの青春だ。
それが、私たち秋英学園大学陸上部員としての責務だ。

高橋みなみは、まさにその具現者であった。
故障で卒業とともに競技者生活を去る事となっても、指導者として、その想いだけは忘れずに過ごしてきた。

「マジで言ってます?」
高橋をノスタルジックな思いに駆らせていたのは、目の前で冗談でなく自分の言葉の意味を理解できないといった顔で立ち尽くしている川栄李奈の表情だった。
「あのお…監督…それって、私たちに無茶しろ…って言ってる事になりますよね?」
隣に立っている入山杏奈の顔にも戸惑いの色が浮かんでいる。

「そーじゃねーよ。無茶しろなって、誰が言ったよ?ただ、怪我の具合はどーなんだ?って聞いてるだけだろ?箱根には間に合いそうなのか?間に合わないまでも、どの程度の状態にまでなら持っていけそうなのか?ってさ。」
「いや、だからそれが無茶しろって言ってるって事ですよ。私だって、りっちゃんだって、そりゃ出たいですよ?でも、怪我がどうなるかなんて、わかるわけないじゃないですか。好きでサボってるんじゃないんですから。」
入山の口調は決して不満に対して反抗してる体ではない。
ただ、単に高橋がどんな答えを求めているのか、わからないといった感じだ。

「わかった。私が焦りすぎたのかもな。すまない。トレーニングに戻ってくれ。メニューはコーチからもらってるんだよな?」
「はい。たかみなさ…いや、監督。私たちやる気がないわけじゃないんですよ。でも…」
「わかってるわかってる。そんな事はわかってるよ。じゃなきゃ、ここまで秋英の一員として走ってないもんな。」

高橋が大きく頷いて笑った事で、二人にもようやくほっとした表情が浮かんだ。
小さく礼をしてゆっくりとフィールドの方へと歩いていく。

今年のうちのエースは川栄と入山でいく。
昨年、大した見せ場もなく4位に終わった箱根本戦のあと、高橋は翌年最上級生になる二人中心のチームを作る決意を固めた。大学駅伝界で女王の名を勝ち取り続けるためには、2年連続での沈下は許されない。
幸い、戦力は充実している。新興の四ツ谷大、栄京大の力は強大だが、個々の力では決して劣っていない。
事実、10000mの学生ランキングでは、圧倒的に上位の選手をそろえている。総合力では、まだウチが一番のはずだ。

「監督。準備OKです。10000のタイムトライアルで大丈夫ですよね?」
「ああ。ありがとう、十夢。全員そろってるな?」
「ええ。入山先輩と川栄先輩以外は。」
「わかった。じゃあ、始めるか。」
「あの…監督。」
ベンチに置いてあった、厚いバインダーの資料とストップウオッチを持って大きく伸びをした高橋に、武藤十夢がそっと近寄った。誰にも聞こえないような小さな声で話す。

「今日のT.T.って…もちろん、箱根のエントリー決めの選考も兼ねてますよね?みんな、そう言ってます。」
「みんなって…あのさ、十夢。誰が選ばれるかは、その子の適正とか、実績とか…色々と加味して決めないといかんのだよ。はやる気持ちはわかるけど、大事なのは自分の走りを大切にする事だから。」
「それはそうですけど…あの、監督。」
武藤が急に直立不動の姿勢になった。
面白い子だ。この子だけには、昔の匂いがする。確かに秋英には闘志を前面に出すキャラクターの選手が少なかった。それでも「魂の襷」と呼ばれた慶育に劣らぬ情熱を秘めた選手がたくさんいた。

「どした?」
ひょっとしたら、この子なら…
高橋はけしかけてみる事にした。
「何を狙ってるんだ?」
「あの…今日のT.T.で私が、31分半切ったら…2区…2区を走らせてもらえませんか?」
「31分半?それって、お前自己ベストを1分半も上回るって事だぞ?それに…そんなタイム、今季学生最高タイムじゃないか。それどころか学生歴代ベスト10にも入るぞ?」
「だって、圧倒的じゃないと、監督だって…先輩たちだって納得しないでしょ?」
十夢がグランドコートを脱ぎ捨てた。
小柄な身体が大きく見える。
それでいて、実に均整が取れたスタイルだ。
恐らく相当ハードに鍛えてきたのだろう。

「よし…31分半だな。約束するよ。2区でもどこでも、好きなところを走らせてやる。」
「やったあ。じゃ、監督。スタートの合図をお願いします。」

高橋は笑って頷いた。
武藤が立ち去るのを待って手元のバインダーに目線を落とす。
黒のボールペンで強く書き込んだ。

「2区 武藤十夢」

結果を見るまでもない。間違いなく、あの子は約束を守る子だ。
高橋はゆっくりとトラックへ歩いていった。

久しぶりにワクワクする気持ちを隠しながら。




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