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「急変だと?司馬、どういう事だ?」
冷静を装うとしたが、俺の声は手術室中に響き渡る程の大きさになってしまっていた。
玲奈には手術前に会ってきたばかりだ。
経過検査の状況も、決して芳しくないとはいえ、今日明日にどうなるという兆候は全く見られなかった。

「院長。取り乱すなって。DCM(拡張型心筋症)ではよくある事じゃないか。お前らしくないぞ?」
人前では、馴れ馴れしい口調を絶対にしない司馬が、二人だけの時のような乱暴な口調で言った。
恐らく、相当俺は焦った顔をしていたのだろう。

そう。DCMはその名の通り、心臓がどんどん肥大化していく奇病だ。
心室の組織の厚さが、それに伴い薄くなっていく。やがては破裂してしまう病気だが、大抵はその前に心不全を起こしてしまい死に至るケースがほとんどだ。真夏のように、健康な心臓を移植出来るのが、一番の治療法だが、心臓生体間移植が出来ないのでドナー探しに困難を極める。ましてや、玲奈や真夏のように特殊な血液型の場合は尚更だ。だからこそ、俺は無理やりドナーを確保したのではなかったのか?

俺は策に溺れたのか?
やはり、玲奈の言う事など聞かず…
目の前のこの5歳の少女の事など見捨ててしまえば良かったのではないか?

「院長。まだこっちも手が離せないぞ?移植は終わったとはいえ、全身安定にはまだやらなきゃいけない事がてんこ盛りだ。」
「わかってる。そんな事はわかってるんだ!」

俺は迷った。
正直、このクランケには何の興味もない。
玲奈の心をひきつけるためだけの、ただの撒き餌にしか過ぎない。
玲奈がいなくなってしまうのなら、この子が死のうが生きようが俺には全然意味のない事だ。

急変という事は、即対応…恐らく取るべき手段は一つしかない。
しかし…この病院でそれが出来るのは、俺だけだ。
司馬にも…見学しているであろう進藤にも無理だ。

「院長。変わります。ココから縫合までは私にお任せください。」
手術着に着替えた進藤がいつの間にか、俺のすぐ隣に立っていた。
そうだ。進藤なら…この場は託せる。
進藤と司馬の二人なら、大丈夫だろう。

「だから、落ち着けって。ウチにはエースが二人もいるんだからさ。しかし、俺達は向こうには行けんぞ?」
「ああ。わかってる。後は頼んだぞ。」

俺は第一手術室を飛び出した。



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玲奈が運び込まれたのは、第三手術室だ。
救命救急でも使われるこの手術室は、第一と同レベルの設備を備えている。
スタッフもひと癖あるが、精鋭ぞろいだ。
やはり階上には手術を見学出来るスペースがある。

先ほどまで第一で見学していた、若いドクター達がほぼ全員こちらへと移動してきていた。
移植手術よりも、数段難易度の高い、恐らく国内ではめったに見られない手術がこれから行われる。
めったに無い機会だ。


「クランケの状態は?」
「極めて危険な状態です。心拍数微弱。血圧も25/50まで低下。」
「ショック状態寸前か。呼吸は?」
「自発呼吸は確保出来ていましたが、時間の問題かと。人工呼吸に切り替えて…12分が経過しています。」

先ほどまでの俺の取り乱し方はなんだったんだ?
俺は、自分でもおかしくなってきた。
目の前に置かれている危機的な状況に、俺はたまらなく興奮していた。
そのまま、激しく射精してしまうかと思うほどだ。
視界に入る松井玲奈の身体は、どこまでも白く、そして透き通っていた。
まさに、女神が死に瀕する瞬間の神々しいまでの美しさだ。

もう一度言う。
俺は、激しく興奮している。


「よし。術式の説明は省略だ。開いてみない事にはなんとも言えない。いいな?全員フットワークを軽くしてくれ。」
第一に集結させたスタッフが欲しい…
助手も麻酔医も機械出しも技師も…向こうに比べたら、一段落ちのスタッフだ。
しかし、そんな事は言ってられない。

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「おい。切開位置が随分違わないか?」
「ああ。何でまたあんな左胸乳房付近で?下手したら、そのままバチスタに移行だろ?普通なら胸の真ん中をもっと大きく開くはずだ。あれじゃ…まるで、スコープで腫瘍を除去するかのようなサイズだ。あれじゃ、中身を視診する事すら出来ないぞ?」

見学ルームがどよめいた。

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「思ったよりも深刻だな。肥大した心臓が肺を圧迫。大動脈をも塞ぎかけている。」
「院長…?見えるんですか?この切開口から?」
助手を務めている男は、普段進藤の下で働いている全身医(ジェネラリスト)だ。進藤が全幅の信頼を寄せる医者だが、正直まだまだ「神」の領域の腕を持ち合わせていない凡人だ。
俺の病院でメスを持つ為には、優秀な者以外にはその資格を与えていない。しかし、神にまでなる事を求めてはいない。それが許されるのは、本当に神に選ばれた者でなくてはならない。
そう、俺のように。


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「まずは、大動脈のルートを確保する。ステントを用意。血流を確保した後、肺を圧迫しているコイツを小さくするぞ。麻酔医。全身状態の報告を30秒に一回入れろ。」
「は…はい。わかりました。」
麻酔医の声に緊張が走る。
俺は、その緊張をほぐすようにマスク越しに笑顔を送った。

「人口心肺は?オンフローまで5分で出来ます…しかし…」
「しかし?どうした?」
「血液が…足りません。」

そうか…
想定外だった。
今日は真夏の手術が行われている。
子供とはいえ、人口心肺を使って行う移植手術には大量の輸血用血液が必要になる。
玲奈と真夏は、ボンベイブラッドだ。確保できている血液には限度がある。

「仕方ない。バチスタはオンビートでいく。」

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「オンビート?マジか?」
「おい、手が空いてるヤツ、全部呼んでこい。こんなオペ、めったに見れないぞ?」
見学ルームのざわめきが一層大きくなった。

通常、肥大した心臓の一部を切除し、肥大化を一時的に回避するバチスタ手術は、人口心肺を使用し心臓を止めて行う。心臓が鼓動したまま行う「オンビート」は極めて稀だ。もちろん、オペの難易度は高くなる。元々がリスクの高いものが、更に難しくなるのだ。


俺の頭の中は、極めて冷静だった。
先ほどまでの興奮はもちろん残っている。
身体は火照り、アドレナリンが次々に沸き起こってくる。

しかし、その半面、自分の感情が恐ろしいまでに冷静になっていくのを感じていた。
今まで、これほどの集中力を持てた事などない。

指先…5本、いや10本の指先全てに視覚が芽生えたような感覚。
恐らく今なら1ミリのスペースに20本の縫合を行う事すらたやすいだろう。



俺は、確信した。
松井玲奈の命。

俺は、それを手にし…そして救う事が出来る、と。




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