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8.

1周目を終えた。込山が向井地の背中を軽く叩く。
「お疲れ。お見事…って…言っとくよ。」
「サン…キュ…」
今度は込山が先頭を引き始めた。更にペースが上がる。

「ラスト!ほらぁ!アンタらも1年生に千切られてんじゃねーよ。ゆりあ!最後くらいエースらしい走り見せてみろよ!」

峯岸にハッパをかけられた木崎ゆりあが一瞬だけ苦笑いを浮かべると、一気に前へとあがっていく。すぐ横にいた、加藤玲奈や佐々木優佳里、大森美優もそれに続く。あっという間に込山のすぐ後ろについた。


必死の形相で込山がフィニッシュラインを超える。それに続き集団がひと塊になったまま飛び込んできた。1周目を引いた向井地も何とか集団の一番後ろで入ってきた。

「よーし…ラストもちゃんと追い込んだな。いい感じだよ。みーおん、こみ。お疲れ。」
峯岸のねぎらいにも、二人は反応するどころではなかった。フィールドの芝生の上でうっ伏せたまま顔を上げる事が出来ない。

「しっかりダウンしてな。ゆりあ、後は頼んだよ。」
「了解っす。あ、コーチ、この後のミーティングは?」
「今日は選手だけで頼むわ。明日以降のメニューは後で届けさせる。」

そう言って峰岸はグラウンドを後にした。
グラウンドの脇にある古びたベンチに腰掛けていた男の隣に腰掛ける。
「おう、お疲れさん。最後、いいカタチになってたな。」
「ええ。こみの美音に対するライバル心は相当なものですね。でも、そのギラギラ感がチームをいい方に引っ張ってる気がします。」
「そっか。まあ、あんまり無理はさせないようにな。」

峯岸は隣に座っている男の顔を横から見ながら、言葉を発せず頷くだけで答えを返した。男の目が優しくグランドの方に向いている。
娘を見守るちょっと過保護で優しいお父さん…
峰岸は、隣にいる四ツ谷大学駅伝部監督の湯浅洋をそう評していた。
悪い意味ではない。かといって、全面的に良い意味でもない。

四ツ谷大が最初頭角を現したのは、創部2年でチームを箱根の舞台に押し上げた初代監督・戸賀崎智信の功績によるものだった。学連選抜の監督も経験し、その後四ツ谷大を箱根のシード常連に、そして栄京女子大とともに両雄とまでの評価を得る事になったのも。

しかし、その戸賀崎が突然学校を去る事になり、その後を引き継いだ湯浅は全く正反対の指導法を四ツ谷大に持ち込んだ。強力なリーダーシップでチームを引っ張った戸賀崎とは違い、いつも柔らかい物腰で選手と接する姿に峯岸は時々頼りなさを感じながらも、その着実な指導で力をつけてきた1・2年生の成長には目を見張るものを同時に感じていた。

「そろそろ…エントリーを踏まえた戦略を考える時期ですね。」
そう、箱根は各区間に特色を持ったコースを戦うレースだ。特にエースが揃う2区、9区。スピード勝負の4区。山登りの5区。逆に急坂を駆け下りていく6区。それぞれの区間の適正に合わせた配置と、準備は非常に重要な戦略だ。
「今年のエントリーだけど…みなみ。お前が考えてみろよ。」
思わぬ言葉に思わず峯岸は湯浅の顔を見た。
「私が…ですか?」
「ああ。お前も指導者への道を進むって決めたからには、箱根の舞台をどう攻めるかくらいの事は考えてみる経験が必要だろう。」
「それはそうですけど…そんな責任重大な…」
「責任?そんなこたぁいいんだよ。俺の仕事は、そんくらいしかないからな。責任を取るくらいさせてくれよ。」

「わかりました。」
実は、プランはすでにある。今日、峯岸はその話を湯浅に持ちかけようとしていたのだ。
かつて、自分が在籍していた慶育大には、同世代に「絶対的エース」がいた。山で無類の強さを発揮する「山の女神」が。チームプランは、良くも悪くもエース次第だった。エースとともにチームがあり、チームはエースとともにあった。
しかし、今の四ツ谷大にはそんな絶対的エースはいない。もちろん、学生ランキングで上位に名を連ねる選手は豊富だ。しかし、チームは真の意味での強さを得るにはまだ至っていない。
ただ、他の学校に比べ絶対的に強さを引き出す要素を持っている事も事実だ。豊富な選手層が生む「競争意識」。誰よりもまずチームの仲間に負けない、負けたくない。そんな向上心に満ちたメンバーに恵まれた。


峯岸は思う。それこそが、我がチーム最大の魅力だと。



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7.

東京都 四ツ谷大学総合グラウンド


「…40秒~スタートライン戻って。ラスト1本…ほら、次は1年が引っ張るんだよ!ほらほら、チンタラやってないの。あと10秒…で、誰が引くの?」
ストップウォッチを見ながら峯岸みなみが声を張り上げる。20人程がトラックに引かれた白線に集団で並び始めた。

「私が行きます」
一番小柄な選手がまっすぐ右手を挙げて前に出た。
「よし。美音。1周目は任せたよ」
「はい。…あ、2周目も引きますよ。800位じゃへたれませんから」
「ハァ…ハァ…ハ…あ…のさ。インターバル…なんだから、2周目のペース落とされたら困るんですけど…コーチ、2周目は私に引かせてください」
前に出てスタートの構えをした向井地美音の隣に、やはり小柄な選手が進み出て言った。込山榛香だ。
長い髪を後ろ手で束ねなおす。
「ほー。大きく出たね、こみ。いいよ。でも、今自分で言った通り。2周目にペース落ちたら意味ないからね。…57、58…よーい、ピッ」

本番の箱根まで残り3ヶ月余り。夏の合宿で追い込んだ疲労を一旦抜いたあと、この時期は再び選手の基礎力を底上げする時だ。その分、トレーニングはハードなものになる。20キロを超える箱根の各区間とはいえ、近年は男子同様に女子もスピード化の傾向が強くなっている。800mを全力で走り60秒のインターバルを置いてそれを何度も繰り返すトレーニングは、もっともキツく、しかし最も鍛錬の度合いを高める事ができる。

「こみ?2周目引くなんて生意気言ったんだからさ、いいんだよ、もっと後ろ下がってても。」
「余計な心配いらないって、みーおん。それに…さ、喋ってる余裕あるならもっとペース上げて?インターバル…で…しょ?全力で行かなきゃ意味…な…いって。」
「っ…たく…可愛くないん…だから。可愛い顔…して」
向井地が一歩前に出た。集団のペースが一気に上がる。

千切ってやる。こみだけじゃない。先輩達も、全員。
この中じゃ、スピードだけなら私が一番のはず。ゆりあさんだって、玲奈さんだって、未姫さんだって…そう奈々さんだって…
そりゃ、総合力じゃまだまだ敵わないかもしれないけど…インターバルなら…インターバルで負けちゃ話にならない。
それに…私は、絶対に箱根に出るんだ。絶対に。


向井地が自負している通り、強豪揃いの四ツ谷大の中で、スピードと瞬発力は群を抜いたものがあった。1年生とはいえ、ハートの強さにも定評がある。400mトラックの半分を過ぎた辺りで縦長になった集団から向井地が一歩飛び出した。
すぐに、それに遅れないようにすっと込山が追いついた。同じ1年生。やはりスピードに自信を持っている。もともとは中距離を得意としているランナーだ。


負けない。負けたくない。
もちろん、美音は同じ選手として、同じ1年生として、そしてチームメイトとして一目置いて…いや、尊敬すらしている。
それに、普段の明るくて屈託のない笑顔が大好きだ。何でも相談できるし、一緒にいても全く気を使わずに済む。高校時代からずっと一緒だけど、親友とかそんな言葉じゃ済ませられない程の関係だと思ってる。
でも…だからこそ負けたくない。美音はジュニア時代から有名な選手だった。ジュニアオリンピックでは「世界」を経験しているし、アフリカ勢やアメリカ勢を向こうに回し金メダルを取ったときには、ちょっとしたセンセーショナルなニュースとして取り上げられた。それに対し、私は中学まで全く無名の存在だった。でも、四ツ谷大付属という恵まれた環境で、私はのし上がってきた…はずだ。今の、私が美音に負ける要素なんてない。私はそれだけの事をしてきたはずだ。


向井地美音と込山榛香。
二人の想いが激しく交錯する。
これは、練習なんかじゃない。
そうお互いが言っているように見えた。


6.

愛知県名古屋市瑞穂区 栄京女子大グラウンド


「で?どうしたいんだよ?休みたいのか?走りたいのか?どっちなんだよ?子供じゃないんだから、はっきりと自分の意思を伝えてくれないと。」
アンツーカーの400mトラック。収容人員1万人以上の観客席。フィールドには綺麗に整備された芝生が生えている。その芝生が、煌々と照明に照らされて輝いている。その中を、多くのアスリートが黙々とトレーニングに励んでいた。

そんな光景を見下ろす形で配置された部屋。「監督室」のプレートが掲げられている。中には立派な応接と専用のデスクが備え付けられていた。

梅本まどかは、応接に腕組をしてどっかと腰を下ろしている初老の男に見上げられていた。視線を合わせないようにあちらこちらへ泳がせる。

「だいたい、お前、このチームのキャプテンじゃねーのか?ダブってまでウチで走りたくて入ってきたんだろ?あっちが痛ぇのこっちが痛ぇの言える身分なのかよ?」
男の声がどんどん大きく、どんどん苛立ちを増してゆく。

「あの…監督。ですから、こういう時にチーム全体を考えて、どう判断すればいいのかのアドバイスを…」
「アドバイス?またかよ。そうやってすぐに何でも俺に押し付けやがる。ああ、めんどくせえ。おい、玲奈ないないのか?イチイチ小さな問題を俺のところに直接持ってくるなって散々言ってたろ?」

「ちっ…」
余りにも不条理な言い分だ。幾ら、お偉いさんが決めたって言っても、なんでこの人がウチの監督なの?第一この人長距離の選手としての実績も経験すらないって聞いた。そんなヤツに、何で中学から長距離走ってきた私がこんな事を言われなきゃいけないんだ。
梅本まどかは思わず舌打ちをした。

「おい、お前、今なんっつった?こら。舌打ちしたよなあ?お前もアレか?辞めてったヤツと同じか?文句あるなら辞めろよ。今すぐ辞めろ。代わりなんか幾らでもいるんだよ。」

「今村さん。その辺にしときませんか?」
梅本が拳を握り締めたとき、監督室に松井玲奈が入ってきた。
「今村さん、幾ら貴方が理事長の子飼いって言っても、サカジョの成績が落ちたら責任は取らなきゃいけないんですからね。選手に責任押し付けようって言っても、そんな事私がさせませんから。」
玲奈の声は静かで低いトーンだった。
普段は「鬼」と呼ばれる程の熱血指導、日ごろの叱咤激励のせいで声は枯れ、一部で「酒やけじゃね?」と噂されるほどハスキーになっていた。誰よりも熱く誰よりもチームを、そして選手を愛する存在。
ヘッドコーチの玲奈には「天皇」と影で呼ばれる、栄京女子大陸上部総監督の今村悦郎も普段の自らの権力を誇示するかのような口調も低くなりがちだ。


「まどか、いいよ。今は、怪我の治療を第一に考えて。」
「はい…ありがとうございます。」

梅本が玲奈に一礼して監督室を出ていった。
今村を睨みつけていたが、当の今村はその視線に気づかないようコーヒーサーバーにカップをセットしていた。

「監督…もう少し何とかなりませんか?そんな風に言ってたら、選手なんて付いてきませんって。」
「いいじゃないか、ヘッドコーチのお前は信頼感抜群なんだから。だいたい、年端もいかない小娘がイチイチだなあ…」
まどかじゃないけど、このままじゃいつか私がこの男をぶん殴るかもしれないな。まったく、大人の政治の世界ってのには全然興味ないけど、なぜこの人が監督って事で派遣されてきたんだろう?そりゃ、陸連の偉いポジションにいたのかもしれない。でも、それはあくまでも事務方であって、指導者として実績があった訳じゃない。ましてや、ここ5年で2度、箱根の総合女王に輝いているサカジョの総監督ともなれば、プレッシャーだってあるだろうに…

「とにかく、強化合宿に参加するメンバーは私に一任して頂けますね?もちろん、箱根女王奪回に向けた布陣を敷くためです。」
「奪回ね…今のメンバーでそれが可能なんかね?はあ…お前や珠理奈、須田辺りが現役の頃に監督に納まっておきたかったよ。」
「大丈夫ですよ。奈和だってはるたむだって絶好調ですし。確かに4年生はまどかだけですが、今年の戦力は十分四ツ谷大に対抗できるものですよ。」
「古畑、二村ねえ…なんか、こうぴっとしないよなあ。小粒っていうか、駒が足りないって言うか…」

誰のせいだと思ってるんだ?
芝、今村…上から押し付けられた指導者のせいで、どれだけの逸材が去っていったと思ってるんだ?

「コーヒー飲むか?」
「いえ。結構です。今日は失礼しますので。」

玲奈は笑顔で答え、部屋を後にした。
コーヒーカップなんか持てない。
こんな怒りで震えた手では。

5.

「第5位。慶育大学。」
上位で予選会を突破したとはいえ、慶育への拍手はまばらだった。
トップ通過が発表された博多大への大歓声とは対照的なものだ。
残り3キロ、島田の指示でペースを落とした慶育の選手は結局そのまま失速。後続の第2集団に飲み込まれる形でフィニッシュした。

博多大はトップでフィニッシュした朝長を始め、田島、宮脇、兒玉に続き、森保まどか、松岡菜摘までの上位6人を独占したのに対し、慶育は結局、特待生として入学していた1年生の後藤が25位に入ったのが最高で、田野も相笠も100位以内に入るのがやっとだった。小嶋に至っては大きく集団から遅れ歩くようになりながらフィニッシュにたどり着いた。
順位は、慶育の中でも下位に沈むものであった。


「5位か…」
「仕方ないよ。あそこで押さえなきゃみんな潰れてた。」
「わかってる。」
横山の口調から怒りのようなものを感じた。島田は、あえてそれに突っかかるような話し方をした。
「下手したら、予選落ちまであったんだよ?」
「だから、わかってるって。」
「だったら、何で怒ってるんだよ?」
「あん時に気づかなかったウチ自身に怒ってるんや。」
横山は唇をかみ締めた。それを見て、島田はもうそれ以上言うのをやめた。横山だって指導者としてはまだ新参なんだ。ワタシだってそうだ。結果は仕方ない。予選を通過した事を今は素直に喜ぼう。

「お疲れ様、はるぅ。由依。」
「あ、一位通過おめでとうございます。指原さん。」
昭和記念公園の広大な広場、テントの撤収を手伝っていた二人に指原が声をかけてきた。
「やめてよ。もう、さんづけって。同い年でしょ?私達って。」
「でもなあ。なんか照れますわ。」
かつて、箱根を沸かせた名ランナー同士。特に、3年の時に見せた大島優子・指原莉乃・島田晴香の3人によるデットヒートは後世に語り継がれる名勝負だった。
「由依は、そういうとこ固いんだよね。ったく。おひさしぶり、さっしー。向こうに行ってからなかなか会えないよね。」
「そうだよね。ね、どう?今日、この後。」
指原がグラスを掲げる仕草をした。
「いいねえ…って言いたいトコだけど、戻って反省会やらなきゃ。」
「そっか。残念。」
指原は笑った。もともと、誘いに乗ってくるとは思っていない。自分達だって、これからミーティングだ。今日を祝ってちゃ話にならない。本番はまだ先なんだから。

「あ、はるぅ…」
「ん?」
横山がその場から離れたのを見計らったように指原が島田に声をかけてきた。
「アンタのトコの小嶋真子…あのコ、四ツ谷大の付属でしょ?高校時代は相当走れたみたいだけど。」
「うん。そうだよ。ちょっと長いスランプ中…かな?」
「なんで、アンタんトコいるの?普通に考えれば、四ツ谷大行きでしょ?」
「ま、いろいろあってね。」
島田は言葉を濁した。特に隠すほどの事情があったわけではない。確かに四ツ谷大はエスカレータで上に進むコがほとんどとはいえ、中には他大学に進む者もいない訳ではない。小嶋がなぜそうなったのかは、島田自身もよく知らなかった。

「あのコ…似てると思うんだよね~」
「似てる?誰に?」
島田は首をひねる仕草をした。

「おーい。奈子!美久!そこで遊んでるんじゃねーよ!」
突然、指原が大声で叫んだ。
「はーい!すいませーん!」
「ったく…終わった後、遊んでる元気あるんだったら、レースで出し切れって言うんだよ…」
「あの二人か。矢吹・田中…脅威の1年生コンビね。あと…秋吉ちゃんだっけ?あの子も今日第2集団で見たよ?」
「扱いが難しいよね。いまどきのコって。」
指原の言葉に島田が思わず、くすっと笑い声を立てた。
「やだ。さっしーだってまだいまどきのコじゃん。私達幾つだと思ってるのよ?」
「はははは。いやいや、年取るの早いもんだよ。じゃ…」

指原は手を上げて、島田と軽いハイタッチを交わした。
今でもあの5区で聞いた息遣いが伝わってくるようだ。

「あ…誰に似てるかって言うとね…」
一旦背を向けた指原が、思い出したように振り向いた。
「この国で今、一番速い人だよ。」

一番速い人?
速い…?

え?
さっしー、そういやチームメイトだったよな…

でも…

いったい、どこが似てるっていうんだろう?

国内トップランナーとして、先日の世界陸上で金メダルを取ったあの人に?

島田は、箱根路を颯爽と走る彼女の姿を思い出していた。
濃紺のシングレットにピンクの襷。

前田敦子の姿を。



4.

「どう?今のトコの順位は?」
隣にいる監督の横山由依が心配そうにノートPCの画面を覗き込んでくる。
あの時は、私が隣にいた仲俣に同じ事を聞いたんだっけ…
島田晴香が手元のマウスをクリックする。細かい数字が並んだ画面が更新された。
「10キロ通過ではダントツだね。2位の博多とは2分以上の差がある。」
「ほうか…とりあえず安心やな…」
横山が小さな安堵のため息をつく。

四ツ谷大を卒業した島田は、選手としての陸上生活に別れを告げ指導者の道を選んだ。山登りのスペシャリストとして4年生の時には5区区間賞を獲得したが、元々長距離向けの体型ではなかった事や、それゆえに抱えることが多かった膝の故障との折り合いをつける格好でのリタイヤメントだった。
熱血で姉御肌。それでいて論理的な指導が出来る…そうにらんだ横山が、直々にスカウトしたのだ。今の慶育を建て直すには、伝統にばかり寄り添っていては駄目だ。島田のように多少やんちゃで強引なほうがいい。


「今年の博多は強いって聞いてるよ。それに、ウチよりも層が厚い。肝心なのは10人がきちんとフィニッシュする事なんだから。」
「アンタに言われんでも、わかっとるわ。」
横山がちょっと膨れたような顔で言った。
わかってないよ…由依。アンタは確かに選手としても指導者としては一流だった。ワタシみたいな坂しか走れないようなポンコツじゃないしね。
でもね…やっぱ、アンタはエリートなんだよ。箱根のスターで、自らの足で…自らの身をもってこの予選会を経験した事がない。残り1キロでトップから予選落ちまで一気に落ちちゃう事があるのが、この予選会なんだよ。


トップ集団は10名程になっていた。留学生が独走する事の多い男子と違い女子は毎年中盤まで団子状態になる事が常だ。そういう意味では、今年は集団の人数が少ない。それも、慶育・博多の良好のレベルの高さ故だろう。
その集団を常に引っ張っているのが、博多大の宮脇咲良と兒玉遥だ。交代で先頭を変わるでもなく、まるで競い合うように前を走っていた。朝永美桜、田島芽瑠もすぐその後ろに位置している。

「ね…なんか、現役の時とイメージ変わったよね?」
島田がチラッと斜め前に視線を送りながら横山に呟く。
視線の先には、博多大のブースがある。
ブースといっても、それぞれの大学が持参したテントを張っているだけの簡易的なものだ。TV放送も入り大々的に取り扱われるようになった箱根の予選会だが、運営そのものは昔のまま朴訥としたままのものだ。
「指原さん…か。そうやな。なんか、おどおどしながら走っとったイメージしか浮かばへんな。」
「なんか、策士って雰囲気になったよね。博多大の監督になってからってもの評価うなぎのぼりだしね。」

指原も島田達と同じように、隣に座った多田愛佳とPCの画面を見ながら何かを打ち合わせている。秋英の同級生でマネージャーだった多田は、今では指原の右腕として高い評価を得ていた。


先頭集団の一番後ろで小嶋は迷っていた。
何を?
実は、何に迷っているのかすらわからなくなっていた。
悪い癖だ。
走ってるときに、いろいろと考えてしまうのは。
こんな風に走るようになったのはいつからだろう?

走るのが大好きだった頃は、どんな事を考えて走ってたのかなあ?
そもそも、何も考えてなかったのかもしれないけど…


残り5キロ。最後の給水ポイントだ。小嶋はしっかりとドリンクのボトルを取った。スポンジも二つ持てている。今日はコンディションに恵まれた。朝までの雨のおかげで湿度は高かったし、気温も高くない。日差しがない分消耗も最小限だろう。それでも、いつものように汗をしっかりかいている。水分補給は最後まで手抜かれない。

その時だった。給水を取らなかった博多大の面子が一気にペースを上げた。申し合わせていたわけではなさそうだ。田島が飛び出したのを追いかけ、潰しに行ったかのようなスパートだった。

「田野さん?追わないんですか?」
小嶋が前を走っていた田野に声をかける。田野からは返事が返ってこなかった。しばらく待っているうちにどんどん前を行く博多大の4人との差が広がっていく。
「先輩。田野さん、ちょっとキツいんじゃないですか?」
代わりに振り向いて返事を返してきたのは1年生の湯本亜美だ。
田野は確かに消耗していた。今年の慶育を引っ張っていたのは、田野だ。その田野の調子が上がらない。ここは自分が出るべきではないのか?

「行こう!あっち行けば、残り3キロのトコで選手に声かけられる。こんまんまじゃ博多に逆転されてまうわ!」
「由依、声かけるって?」
「当たり前やん。こんまんまや、トップ通過なんてできまへんわ。ラストはっぱかけたらんと。」
「アンタはここにいて。ワタシが行ってくるから。」
「え?」
「監督はどっしりと構えとくもんだよ。」

島田は駆け出した。もちろん、ラストで声をかける為だ。
まだ意外と走れるな…。体重も増えちゃったし、膝もちょっと痛いけど。よし、間に合った。
目の前を博多大の4人が通り過ぎていく。まるで個人タイムトライアルのラストスパートをするかのように必死の形相だ。
すぐ後ろから、小嶋と湯本、そして相笠萌、後藤萌咲、谷口めぐ、飯野雅。4人の慶育ランナーが続く。田野は更にその後方だ。

「真子!亜美!」
島田が選手と併走しながら声をかける。
「あがらなくていい。このまま。このままで。」
島田の声に、一瞬小嶋と湯本が怪訝そうな表情になる。誰がどう見たってここが勝負どころだ。ここで前に出なくては博多大には勝てない。
「いいから。田野ちゃんと一緒に…そのままゴールまで行って。いいから!」
そこまで話したところで島田は大きく遅れていった。

「ふぅ…ふぅ…ふぅ…たった100メートルもついていけないのか…参ったな。さすがに明日からダイエット再開だな。」
島田は通り過ぎる後続のランナー達を見やって笑った。

ちょっと前まで、本当にワタシはあんなスピードで走っていたんだっけ?


3.

大学女子駅伝は長く続いた秋英・慶育の2強体制から群雄割拠の時代へと推移していた。
そんな中、毎年コンスタントに力を発揮しているのが、栄京大だ。かつての栄女子大を運営母体として、近隣の金町総合大や伊勢大を吸収合併。勢力を増し常に箱根路をリードしていた。

慶育は予選会常連となる程までに力を落としていたし、秋英大、聖ヴィーナス大もかつて程の安定感を無くしていた。一方で関東で台頭していたのは、四ツ谷大と乃木坂女子大だった。
かつて新興として勢力を急拡大した四ツ谷大は、その後第一期黄金期を作ったメンバーの卒業を期に、世代交代を敢行。付属校からの豊富な有力選手の供給を受け、栄京大と並び称される程の力をつけてきていた。

乃木坂大の登場はまさに「衝撃」だった。
創部2年目の昨年、初めて参加した予選会をトップで通過。本戦でも1区の生田、2区白石が連続で区間賞を獲得。往路3位の勢いをそのまま復路へ持ち込み、10区の主将・桜井が総合4位でゴールテープを切った。更に戦力充実とされた今年は、本命2強に次ぐダークホースとして位置づけられるほどだ。


箱根の予選会は11月に行われる。
正月の男子、2月の女子。箱根への切符は20枚。
うち10枚の切符が、立川での20キロ個人タイムレースの結果、上位校のみに与えられる。



個人のタイムレースとはいえ、箱根の予選会にも高度な戦略が繰り広げられる。予選会に出場できるのは各校20名まで。そのうち上位10名のタイムが採用され、累計タイムが速い順にランクが決まる。一人だけが突出したタイムで走っても駄目だ。一方で、各校の「エース」は1秒でもタイムを削るべく前を狙う。ライバル校のエースよりも1秒でも速ければ、それはそのままチームの貯金に繋がる。
一方で同じくらい大切な戦略は「ブレーキ」を起こさない事だ。競技人口が増えたといえども、予選会に参加するクラスの学校では20名全員を「戦える」戦力としてラインアップする事はなかなか出来ない。
そうなると、走力を持つ選手一人がトラブルで大きくタイムを落としてしまう事がチーム全体に深刻な影響を与える事に繋がってしまう。

今年の予選会、慶育大にとって通過すること自体に大きな問題はなかった。大方の予想としては、乃木坂大とともに昨年初の箱根を経験、惜しくも11位に終わり予選会に回った博多大とのトップ通過争いとするものだった。

2.

「…こ?真子ってば。」
「ん…あ…ああ。すみません。起こしちゃいましたか?」
「いや、もう起きる時間だしね。しかし、大丈夫か?なんか、すっげーうなされてたよ?」
「大丈夫です。ちょっと変な夢見てて。」
「そっか。まあ、私もよく眠れなかったんだけどね。」
田野優花が舌をぺろっと出して笑った。
時計の針は4時を指そうとしていた。

まただ…
大事なレースの前になると決まってこの夢を見る。

もう身体はどこも痛くない。
トラックでの記録は大学生になって飛躍的に伸びた。
私は大丈夫。
もう大丈夫なはずだ。

小嶋は自分の頬を張りつけるようにして顔を洗った。
鏡に映った自分の顔を見つめる。
まるで、そこにいる別の自分に話しかけようとするかのように。

レース前も走ってるときも、楽しくて仕方なかった。
どんなにキツい場面でも、どんなに厳しい争いをしてる時でも。
走ってるのが楽しかった。
気がつけば、いつも笑っていた。

真子スマイル。

そんな風に呼ばれていたのは、いつまでだっけ?

今の私は、笑い方すら忘れてしまっている。



宿舎となっている立川市内のビジネスホテルの一室。
小嶋は試合用のウエアの上にアップコートを着込んだ。

白のシングレットにグリーンのランパン。
今日はつけないが、肩からかかるのはフラッシュグリーンの伝統の襷。
着るはずだった白地のシャツに黄色の襷ではない。
同級生…先輩達…そして、後輩の多くが身を包むユニフォームではない。

秋英大学と並んで大学駅伝界の雄、慶育大学はここ数年、本戦でのシードを確保できず予選会に回るほどの凋落を味わっていた。
それでも、伝統の襷を途絶えさせる訳にはいかない。
私が慶育に進むことを選んだのも…いや、自分に選択の余地なんてなかった。進むことになったのも、きっと何か意味があるんだ。


大きく背中をストレッチしてみる。
うん。大丈夫。

目を閉じてみる。
大丈夫。さっきの夢にはもう慣れた。

あの日から2年になろうとしている。
まだ箱根は走れていない。
昨年は、初めての予選会もフィニッシュエリアにたどり着く事が出来なかった。

今年こそ…
箱根を走る事でしか、あの日、京都の冬の風の中に置きっ放しにしたままの忘れ物を見つける事なんて出来ない気がする。



1.

12月としては暖かい日だった。いや、暑いといってもいいかもしれない。
もともと汗っかきだ。特に本番のレースになると、特に体調が悪くなくてもオーバーペースになったりしなくても、大して暑くなくても序盤から大粒の汗をかく。問題ない。その分の給水には気を配ってる。脱水なんて起こしたことなんて今まで一度もない。

5キロから7キロ過ぎまでの登り…といっても、そんなに苦しいとは思えない程だ。来年、箱根に出る…出来れば2区か5区を走りたいと思っている。権太坂や箱根山中の山登りを思えば、こんなものは登りのうちに入らない。

3年連続の都大路。1年から「花の1区」を任されていきなり区間賞。昨年は二度と破られないだろうと言われた、日本陸上界のエース、前田敦子が高校3年の時に打ち立てた記録を40秒も打ち破ってみせた。今や、高校陸上界のエース、小嶋真子の足取りは軽かった。
1区に次ぐ難関と言われる3区に西野未姫、4区に主将・岡田奈々を配し、内山奈月、橋本耀、前田美月といった高校中長距離界を引っ張る存在の3年生をラインナップに並べた四ツ谷大付属高校は、圧倒的な優勝候補の筆頭に挙げられていた。


残り2キロちょっと。花の1区、10キロもあとは緩やかな坂を下っていくだけだ。小嶋は手元の腕時計をチェックした。うん。設定どおり。去年の区間新を更に15秒…これで、堂々と箱根に向けて鳴り物入りで四ツ谷大に進める…


そのとき、突然沿道からの声援が悲鳴のようなトーンに変化した。
颯爽と通り過ぎる自分を、感嘆の声で見送っていた観客が心配そうにこっちを見ている。

こっちを見ている?

私…止まってる?

なんで?

気持ちは前を向いていた。
心は折れていない。
体力もまだ余裕がある。心肺機能も失われていない。

なのに、なぜ。
ここから景色が動かないの?


ちょっと待って。
なんで、そんな簡単に私を追い抜いていくの?

愛知豊山高校の古畑奈和…
難波桐蔭の藪下柊…
博多大大濠の朝永美桜…

ライバル…なんて私は思っていなかった。
今まで彼女達の背中を見て走った事なんてない。

小嶋は空を見上げた。
冬の澄み切った空が広がっている。

行かなくちゃ…
なっきーが待ってる。

再び前を向いた小嶋の視界に茅野監督の大きな身体が飛び込んできた。

「真子…もういい。もういいから。」

いいって、何を言ってるんですか?監督。
行かなきゃ。
ねえ、なっきー?未姫?奈々?
待ってって。ちゃんとそこにいてって。
私が、この襷を渡さなきゃ…

小嶋が肩にかけているはずの襷を触ろうとした。
しかし、その手は空を掴むだけだ。

なんで、持ってくの?
それは…
それは…

私達の…
何よりも大切なものなのに。


復帰します

新作「襷の色は違っても」をスタートします。
前作が途中になってしまっているのですが、今の私にはあの続きを書くのはちょっと重くて…

なので、勢いで書けそうなスポーツものにしようと思いまして。


このお話、もちろん「色の違う襷」の続編となります。


そろそろ始まる駅伝シーズンに向けて盛り上がっていけばいいなと思っています。
体調と相談しながらの更新になりますが、よろしければお付き合いの程、よろしくお願いいたします。


想像と妄想 

実は、今、とっても元気です。
さすがに以前のように、トライアスロンの大会に出るってトコまでいきませんがw

普通、抗がん剤や放射線治療を送ったヒトっていうのは、それなりに痩せこけてしまうのでしょうが、今のワタシは単なる運動不足のおじさんのような体型と化してしまっております(*´Д`)

でも、元来がじっとしてる事が苦手なので、医者の許可を得たうえで運動も再開しています。
初めて東京マラソン出場権に当選したのも、もう一回頑張れって神様の思し召しなんだと思います。

で、もちろんヲタ活動も再開しております。
むしろ、こちらのほうが早く現場復帰を果たしているというw

と、なると色々と想像やら妄想やらが湧いてくるものですね。

今のところ、長編を書くってトコまではないんですが、なんか形にしてみたいなあって気持ちも起き始めています。
いつか、また何か書けるといいなって思っています。

それに、何人かの方に「読んでみてください」っておススメされたりしてるんです。
書かれたご本人からもお誘い頂いたりして。

皆さん、すごいな~って感心しちゃいます。


時々、こんな風にとりとめのない事を書いたりするかもしれませんので、よろしくです(*´▽`*)

お詫び

コメントでご指摘を頂戴しましたので、こちらで回答させて頂きます。

数日前に新作のようなものを上げた件ですが、あちらは私がUPしたものではありません。
実は以前こちらでも書いたように、私はちょっと重たい病気を持つ事になり数ヶ月に渡り治療の日々を送っておりました。
途中、投薬や放射線治療の強い副作用のため、感情や体調のコントロールができないようになり始め、ある方に自分がやっていたブログやSNSのIDとパスワードを託しました。もしもの際には、抹消してもらえるように。

幸い、完治とまではいかないまでも、日常生活を何の支障もなくおくれるようにはなって参りました。

一方で、ここや某掲示板を見る事もなくなっておりました。
正直「忘れてしまっていた」と言ってもいいかもしれません。


そんな中、ある方(IDを託した方とは別の方です)から、ちょっと騒ぎになっている事を教えて頂きました。
びっくりしました。が…やはり、お騒がせしてしまった事をお詫びしなくては…と思いました。


大変、申し訳ございません。IDを託した方ですが、実は今現在全くリレーションがありません。当時は頻繁にやり取りをしていた方だったのですが…
パスワードを変更しましたので、今後はこういう事は起こらないと思います。


今後ですが、今のところこちらの再開は考えておりません。
ヲタを辞めたわけではありませんので、いつかはまた…って事もあるかもしれませんが。


私の配慮不足でお騒がせしてしまったことを、お詫びいたします。
すみませんでした…







遠くにいても

遠くにいても 空は続いてる
同じ時間が流れている

今日は別れを告げても


僕たちは


ひとりじゃない






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