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今日の更新

すみません。

一日お休みを頂きたいと思います。


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inning49.




「今年も100名近くか…しかも、錚々たる顔ぶれですね…」
戸賀崎が新入部員名簿を見ながら呟いた。監督室のテーブルの向いには、理事長の秋元康が同じ資料を見ながら座っている。

「仙台育英中の岩田も系列高に進まずウチに来ましたか。あとは、習志野4中の名取、保土ヶ谷中の川栄、千葉英和中の加藤玲奈…有力どころは予定通りの入部か…ん?あれ?アイツの名前が無いじゃないじゃないですか?ミスプリントじゃないですか?」
戸賀崎が顔を上げて秋元に聞く。
「いや…間違いじゃないんだよ。ウチの合格を蹴って他校へ…」
「なんですって?そんな話は聞いてないですよ?どこへです?乃木坂?まさか朝夢ではないでしょうね?それか…地元の難波桐蔭とか…」
「違うようだな…」
入学即戦力…誰もが期待を寄せていた選手の名前がリストから漏れていたのだ。




「13人も入ったの?上出来じゃない。良かった。これで私たちが卒業しても部は存続出来るって事だね。」
仁藤が部室で着替えながら笑う。すでにグラウンドには新入部員がユニフォームに着替えて先輩達の登場を待っていた。
「しかも、ほとんとが経験者ばっかだってよ。監督が言ってた。私たちもうかうかしてたらレギュラー危ないかもって。」
普段は着替えるのが一番遅い石田がもうスパイクを履こうとしている。張り切っているのが目に見えてわかる。
「じゃあ、行こうか。」
全員が3年生になった部員がグラウンドに飛び出して行った。
「ちわっす!!」
1年生が声を揃えて挨拶をしてきた。間違いない、ちょっと乱暴で威勢のいい挨拶は運動部経験者特有のものだ。
「ようこそ、千城高校野球部へ。見ての通り部員は少ないけど、この夏は甲子園をマジで狙ってるんで、練習はそれなりに厳しいよ。ただ、ウチは1年生と言っても力のある者にはどんどんチャンスを与えていくんで、みんな張り切って欲しい。」
キャプテンの仁藤が新入部員に向かって挨拶をした。
「よし。じゃあ、端から順番に名前、出身校、経験者はポジションを言ってって。簡単な自己紹介もね。」
「はい。雨宮舞夏といいます。城南中学出身、ポジションはセカンドです。」
「大島涼花です。豊陽中学から来ました。センターで一番打ってました。」
「ちょっと…みんな経験者じゃない。しかも、レギュラーばっか。豊陽中って確か去年全中まで行った学校でしょ?」
「なんで、こんなのが集まったの?野球やるなら、この辺じゃ柳高か工業じゃ…?」
石田と鈴木が小声で話していた。メモを取っていた仲俣も都度顔を上げて新入部員の顔を見つめる。
「じゃ…最後だね。うんと…どっかで見たような顔…だけど…」
仁藤が一番右に並んでいた部員に声をかけた。他の部員に比べ頭一つ以上の長身だ。
「はい。神戸紅稜中学から来ました…えっと、学校ではなくシニアリーグでプレーしてました。光宗薫といいます。ポジションはピッチャーです。宜しくお願いします!!目標は、今年の夏甲子園で華々しくデビューを飾る事です!」
「光宗って…あの光宗薫?え?神戸シニアの?あの…シニア世界大会で優勝した?MVPにも選ばれた、あの光宗?」
「なんで?なんでウチなんかに?」

3年生の間から驚きの声が上がった。無理もない、日本中の高校がその進路先を注目する逸材と言われるその姿が、部員たった10名、夏の大会に出場する事すらわからなかった千城高校に現れたのだから。

inning48.




春のセンバツは秋葉学院の圧勝だった。各校は島崎の投げ込む球の正体を徹底的な解析で暴きだそうとした。有力校はビデオを使っての分析をするのが当たり前の時代だ。島崎の癖球の秘密がその独特のボールの握り方にある事や、恐らくはナックルやパームボールの類である事は既に広く知られていた。しかし、それでも島崎を打ち込むチームは現れなかった。無理も無い。その日の気温・風向き・湿度…そして何より島崎自身も投げてみないとどう変化するかわからないボールである。島田以外まともに捕る事が出来ないボールを打てという事自体が無理な話だった。

神宮大会の再現となった栄京大栄京との3回戦で島崎は史上3人目の完全試合を成し遂げた。足でかき回そうという栄京の作戦もランナーが出ない事には生きてこない。快挙を達成した島崎はマウンドの上で不器用にガッツポーズを作った。歓喜の輪の中でどこか居心地の悪そうな笑顔を見せる。まだ、自分がどんなスゴイ事をしでかしたのかすら理解できていないようだった。

強力打線の援護もあって秋葉学院は決勝までの5試合を危なげなく勝ち抜いた。昨年「史上最強」と呼ばれながら成し遂げ得なかった春夏制覇に向けての完全復活だった。

inning47.



「ダメだって。みゃお、何度も言ったでしょ?そんな苦しいってトコまで追いこんじゃダメ。心拍計見てる?MAXまで上げても145までだよ。そこまで上がったら走るのやめて歩きに切り替えなきゃ。」
「でもさぁ、なかまったー、なんか私だけ楽してるみたいじゃん?みんなひぃひぃ言いながらダッシュしてるのに。」

塁間ダッシュを延々と繰り返すメンバーから一人離れてジョグを続ける宮崎を、仲俣が諭すようになだめる。菊地も仁藤も…あれだけインターバルトレーニングを嫌っていた小森も泣きごと一つ言わずに黙々とダッシュを繰り返してる。九州とはいえ、北部九州の冬は厳しい。凍てつくような気温と北風の中メンバーはみな半袖姿だ。それでも全員の顔からは滝のような汗が流れ落ちていた。

そんな中、宮崎には個別に別メニューが組まれていた。故障を抱えているわけではない。井上が目論んだ減量と柔軟性を高める為のメニューだ。
「あのね。何もアンタに楽させようってしてるわけじゃないのよ。それはわかってるでしょ?みやおは筋肉量は人並み以上なんだから、効率よく体重を減らすには体脂肪を燃やす事。その為には心拍数をコントロールしてトレーニングするのが一番なんだから。あと、嫌いでもストレッチはみっちりやるからね。」
「ひぃぇ~…そっちのほうが怖いわ…」
宮崎は肩をすくめてジョギングへ戻った。

秋以来、投球練習は全くしていない。ピッチャーから離れる期間が長くなるほど、菊地の凄さが身にしみてわかる。球速、ボールのキレ、多彩な変化球、コントロール。普段は馬鹿ばっか言ってる天然キャラなのにマウンドの上では実にクレバーで冷静だ。どこをどうとっても自分が敵う要素は何もないように思えた。それでも宮崎は文句の一つを言う事なく与えられたメニューを黙々とこなしていた。野球が出来ずに…いや、自ら野球から距離を置いたあの時期の悶々とした思いで過ごすよりも全然気持ちはすっきりしている。

千城高校の冬の練習は、その量においては他校を圧倒していた。部員が少ない分一人当たり乃練習量は増える。冬とはいえ、千城はボールを握りバットを振った。もちろん、基礎体力の向上の為のトレーニングは行った上でだ。悴む手でボールを打つ。カイロで温めながらだが、手のひらは痺れ指先はアカギレでジンジンと痛む。一日の最後にはフラフラになった身体で素振を繰り返す。一見、しごきにも思えるハードな練習にももちろん意味があった。極限まで疲労した身体でバットスイングをすると一番楽なスイングをするようになる。素振りにするのは、そこで余計な力を入れないためだ。目をつぶってスイングする事で、その一番な楽なフォームを身体に沁みつかせる。そんな狙いがあった。

春先を迎える頃には、メンバーの身体は一回り大きくなっていた。もちろん、余計なぜい肉ではなく鍛えられた身体とい意味でだ。そして、同時に宮崎の身体も十分にシェイプされた。井上から投球練習の解禁が言い渡されたのは、センバツの歓声が甲子園に響く3月になってからであった。

inning46.




塁上に控える選手達。守備につくのは控え部員たちだ。ノックバットを構えたコーチの牧野が大きな声を上げる。
「よし、次は…9回表。2点ビハインド。ワンナウト1・3塁。」
「はい!!」
3塁ベースに松井玲奈、1塁ベースの上に高柳明音が立つ。それぞれリードを取ってマウンド上に立つ小林亜実の姿を凝視する。小林がシャドーピッチングをすると牧野が三遊間に強いライナーを飛ばした。3塁ランナーの玲奈が一瞬飛び出す。ライナーを押さえたショートの上のがそのままボールを3塁へ送球する。
「こら!!玲奈!!場面考えろ。2点負けてるんだ。3塁ランナーはこの場合どうするんだ?ゴロが転がっても無理して突っ込む場面じゃねーだろ?釣られて飛び出すなんて素人みたいな真似してんのか?」
「すみません!!」
「ダッシュ10本行って来い!!!」
「はい!!」


「相変わらず厳しいですね。」
ネット裏で監督の湯浅が数人の新聞記者に囲まれている。秋の神宮で準優勝に終わったとはいえ、栄京への注目は依然として高かった。どんな風に冬の練習に取り込んでいるのかを取材しようとする者は少なくない。
「しかも徹底して走塁練習だ。一球一球色んな場面を想定して選手に考えさせて走らせる。ミスしたら即ダッシュ。こりゃ、選手も気が抜けないですな。」
「考えてちゃダメんだんですよ。場面に応じた判断が瞬時に…そう考えるんじゃなく、感覚で判断できるようにならなくちゃ。その為には身体に叩きこむしかないんです。ウチは冬の間、殆どこの練習ですよ。」

冬の間、各校はそれぞれ志向を凝らしたトレーニングを積む。名門校でも冬の間はボールを握らないという学校もある。ただ一つ言えるのは、この冬をどう充実したものにするかで、来年の夏がどうなるかに大きな影響があるという事だ。事実、栄京でも多くの部員がこの冬場の厳しい練習に耐えかね退部していく。

「厳しいっていっても、どこもこれくらいの事はやってるでしょ。逆に、皆さんに他校がどんな事をやってるかを逆取材させてほしいくらいですね。」
湯浅が笑って言う。半分は本心だ。指導者としはまだ若い湯浅だが、その貪欲な姿勢が栄京をここまでの強豪に育て上げたと言ってもいいだろう。

「ちょっとさあ。みんな集まって!!」
突然松井珠理奈の怒号のような声がグラウンドに響き渡った。その声が作りだした緊張感がネット裏にも響いてくる。顔を見合わせる記者達をよそに湯浅は笑顔で腕組みをしたまま動かない。
「だから何回言ったらわかるの?1年生。試合と同じくらい…いや、試合以上に集中してやらないと意味ないって何回も言ってるじゃない。また秋葉にやられてもいいの?」
集まった選手達の中心で珠理奈が声を荒らげる。高柳からも厳しい声が飛び出す。
「守備もそうだよ。そんなおざなりで守ってちゃ、練習なんかにならない。それじゃいつまでたっても控えのまんまだよ?こういう時にちゃんとアピールしなくちゃ!!!」
「はい!!」
「よし、全員でダッシュ20本行くよ!!しっかりしなくっちゃ。」

選手全員が外野に走っていきダッシュを始めた。

「監督、確かキャプテンは…」
「ええ、ウチのキャプテンは平田ですよ。控え組のほうにいますけどね。」
「でもああやって、珠理奈や高柳が引っ張ってるんですよね。」
「いや、あの二人だけじゃないですよ。気がついた者が注意してますね。その辺りは私も彼女たちに任せてますけど。まあ、一番声が大きいのはやっぱあの二人ですけどね。」

栄京ではレギュラーメンバーの入れ替えが熾烈を極める事で有名だ。成長した者はどんどん抜擢されるし、結果が出ない者は容赦なく外される。それが、いい意味での競争心理をあおり強固なチームワークを生んでいた。

「まあ、これがウチのスタイルって事です。」
湯浅が立ち上がってゆっくりとグラウンドの方へと歩き出した。

inning45.



秋の都大会。突然現れた名門・秋葉学院の新エース島崎遥香は圧巻のピッチングを見せた。
3回戦の初登板で強豪・帝京高校を相手にノーヒットノーランの快投を見せると、その後の試合でも快刀乱麻の活躍。準決勝までの試合で1点の失点も許さなかった。準決勝では夏に苦杯をなめた朝夢高校を3安打で完封。投手戦となった都立乃木坂高校との決勝では終盤2点を失ったものの味方の援護に守られ6-2で見事優勝投手となった。
ファーストにコンバートされた柏木とライトに回った高城の4・5番はまるで何かプレッシャーから解き放たれたかのように快打を連発し、渡辺・多田・指原の1~3番のチャンスメイクを確実に大量点に繋げていった。史上最強と言われた旧チームからの移行を不安視する高校野球ファンの評価はあっという間に称賛へと変わっていった。

来春のセンバツ出場を当確にした秋葉学院は、明治神宮大会でも勢いそのままに、東海地区代表の栄京大栄京を決勝で破り優勝を飾った。
名門・秋葉学院の見事な復活だ。

そして、高校野球界は厳しい「鍛錬の冬」へと入っていく。

inning44.



「よっし。そろそろ座ってもいいかな?」
ブルペンでキャッチボールをしていた柏木由紀が島崎遥香に声をかける。こうやってまともに柏木に受けてもらうのは入学以来初めての事だ。夏の大会では1年生ながらベンチ入りしていた島崎だったが実戦での出番は殆どなく相手はもっぱら同じ1年生の島田晴香だった。
「は…はい。宜しくお願いします。」
島崎が緊張した面持ちで頷く。
「ぱるる!!何ビビってんの?アンタは秋葉のエースなんだよ?秋の大会、背番号1もらう事になったんだから。同じチームのキャッチャー相手に投げるのに緊張する必要なんてなんもないんだからさ!!」
柏木の横で見守るように立っている島田が島崎を励ますように大きな声を出した。
「島田…うる…」
「すんません!!!さあ、ぱるる!!」
柏木はくすっと小さく笑い声を立ててミットを構えた。島崎が小さく振りかぶってそのみっとを睨む。腕を振ってボールを投げこんだ。

ばすっ…

鈍いミットの音が鳴ってボールが前にこぼれた。
「ごめんごめん。あれ?どしたんだろ?」
柏木がこぼれたボールを拾って島崎に投げ返した。
「よし。もういっちょ。」
「はい。」
島崎は柏木のミットめがけてボールを投げ続けた。

何球投げても柏木のミットから心地よい捕球音がする事はなかった。しきりに首をかしげる柏木。見守る島田も投げている島崎も徐々に不安な表情になってきた。

「ぱるる…ちょっといいかな?島田も…」
柏木がマウンドに歩み寄ってきた。島田も心配そうについて行く。
「ねえ。ぱるる、投げてるのストレートだよね?」
「はい…そうですけど…」
「どんな風にボール握ってるか見せてくれる?」
「あ…はい。こんな風に…」
島崎がボールを握って見せる。柏木が驚いたような、それでいて納得したような表情になった。
「ずっとその握りで?いつから?」
「え…いつからって…う~ん…意識した事なかったです。」
「手のひら広げてみて?」
島崎が右の掌を広げて柏木のそれに重ね合わせた。指の関節一つ分近く島崎のほうが小さかった。
「ぱるる。あなたの球を何でウチのレギュラーが打てなかったかわかったわ。あなたがストレートのつもりで投げてる球…魔球だよ。」
「魔球って?」
島崎と島田が顔を見合せて驚く。
「普通ストレートってのは、指をきちんと縫い目にかけてボールに回転をかけて投げるものでしょ?最近じゃツーシームとかが流行ってるけど、基本はこう…二本の指を縫い目にかけて…」
柏木がストレートの握りをしてみせる。
「あなたのその小さな手だと確かにボールは握りにくい。だから、そんな風にソフトボールを握るみたいに鷲掴みにして握ってたわけだ。だから、投げたボールがゆらゆら揺れて落ちたり曲がったり…ナックルとかパームボールのような変化になってるんだね。」
「ナックル…ですか?」
島崎が自分のボールの握りを不思議そうな顔で見つめる。
「あなたのスゴイ所は、普通ナックルやパームって極端にスピードが落ちるんだけど…実際、それでも打ちづらいんだけどね。130キロ前後のスピードが出る。だから、一見変化が小さく見えちゃうんでバッターが魔球の正体に気付かないってトコなんだろうね。」

柏木が島田の顔を見た。
「ぱるるがスゴイのはもちろんだけど…もっとスゴイのはあなたね。なんで、この球を平気な顔で捕れるのかな?」
「あ…あの。私たち小学校からバッテリー組んでて…それで…」
「島田。今日からしっかりバッティング練習しなさい。きちんとレギュラーと同じだけ打ちこむ事。個人練習もバッティング重視で。いつもブルペンにいるって訳にはいかないわよ。」
「え…でもブルペンにいないと…」
「あのね。幾らキャッチャーっていっても、レギュラーで出るからには打線に切れ目作っちゃいけないの。少なくともぱるるには打つ方は期待できないから、2人も打線に穴作れないでしょ?3割打てとは言わないけど。」
「あの…キャプテン、言ってる意味がわからないんですが…」
「秋の大会、あなたが背番号2をつけるって事。エースの球を受けれるのがあなたしかいないんだから、当然でしょ?」
「はるぅ!!!やったぁ!!!やったね。」
無邪気に飛び跳ねて笑う島崎の横で島田は、まだ何を言われてるのか分からない表情で立ちすくんでいた。


inning43.


「ありがとうございました。」
ホームプレートを挟んで両校の選手がお互いに礼をかわした。
博多大大濠の新主将・児玉が仁藤に握手を求める。仁藤が笑ってそれに応えた。
「今日の所は参ったばい。完敗も完敗。言い訳できんと。」
「いや~甲子園帰りでみんな疲労があったんでしょ?ウチは出来過ぎだから。」

「名前…聞いてよか?私は…」
「知ってますよ。もちろん、若田部さん。私は菊地あやかって言います。」
「菊地さん…ね。よう覚えとくわ。このお返しは…秋の九州大会かな?
「う~ん…それは…どうかなぁ?」
菊地と若田部もお互いの肩を叩きあった。

6回に飛び出した仲俣の代打ホームランの後、7回と9回に1点ずつを追加した千城はそのリードを菊地が2安打完封で守り切った。甲子園準優勝の博大大濠相手に堂々たる勝利を収めたのである。

「よしよし。見事だった。そこそこ試合になるとは思ってたが、まさか勝てるとはな。」
井上が拍手で選手を出迎えた。どの顔も満足そうな笑顔で輝いていた。
「先生。秋の県大会…なんか行けそうじゃないですか?」
仁藤が井上に言う。全国トップレベルのチームに完勝したのである。部員は少ないが十分な手ごたえを感じてもいいはずだ…

「仁藤…秋の大会は…」
「萌乃…知らなかったの?」
「知らなかったって?何を?なかまったー?」
「親の都合とか以外で転校した場合、1年間は公式戦に出場登録をする事が出来んのだ。お前らが出場出来るのは、来年の夏の大会が、最初で最後だ。」
「そうなんですか?みんな知ってた?」
仁藤の問いに宮崎も鈴木も石田も首を振った。
「先生、何とかならないんですか?だって…」
「萌乃、仕方ないじゃん。そういうルールなんだから。最後の夏は出れるんだし。なんかいいじゃん。最初で最後の夏…みたいな?」
「最初で最後?いや、違うんだって。先生、どうしても無理なんですか?」
「どうしたの、萌乃。何そんなにムキになってるの?」
「だってさ…」

「萌乃。いいよ、仕方ないよ。ね?」
菊地が仁藤の背中に手を添えて言った。
「あやりん…だって。」
仁藤が菊地の方を振り向いた。その瞳は今にもこぼれそうな涙で溢れていた。

どうしたんだろ?萌乃。大濠に勝っちゃってその気になったのに…ってトコ?
メンバーは首をひねりながら顔を見合わせた。




inning42.



「一体何者たい?あのピッチャーは。」
「いや…知らん…。」
「でも、ありゃ素人じゃなかとよ。」

観客席からは興奮したような声が漏れていた。練習試合を楽しみに見に来るようなファンは目が肥えている。今目の前で繰り広げられているシーンは紛れもなく事件だ。その事に気づいていた。

回はあっという間に5回が終わった。15人の打者に対し、三振9、内野ゴロ4、内野フライ2。ヒットどころか外野にすら打球を飛ばさせない菊地のピッチングはまさに圧巻だった。

「しかし…あやりんが最高のピッチングをしてるんだ。何とか一点でも先に取らなきゃ。」
5回を終えた所でグラウンド整備が行われていた。千城ナインはベンチ前で円陣を組んでいる。仁藤がその中心ではっぱをかける。
「でも、さすがだよね。調子悪いんだろうけど、きっちりイイ所は抑えられてる。」
「特にあのスライダーは厳しいねぇ。追い込まれてからは殆どアレじゃない?」
石田と宮崎が顔を見合わせる。お互いしかめっ面だ。
「仕方ない…追い込まれる前に勝負に出るか…」

「萌乃。それじゃダメだよ。」
突然、円陣の外から声がかかった。ふと、全員が声の方を見上げる。
「クリーンアップが相手の一番いい球を叩いとけば、向こうも焦るでしょ?そしたら、スライダーを投げにくくなる。甘いコースにも来るようになる。」
「なかまったー?どうしたの?来てくれたの?」
制服姿の仲俣汐里の姿がそこにあった。隣で井上が得意げな笑顔を見せている。
「この回…萌乃からだよね?ちょっと、みんなもっと寄って。」


グラウンド整備が終わった。この回先頭の仁藤が左打席に入る。
若田部の調子は回を追うごとに上がってきているように見えた。仁藤をあっという間に追い込む。2-1からは例のごとくスライダーだ。

キィン!!

仁藤のバットから快音が響いた。しかし打球は大きく一塁側に切れていく。
「う~ん…やっぱファウルになっちゃうかぁ。思った以上にスライド幅が大きいんだね。」
「なかまったー、やっぱすごいね。タイミングの取りかたばっちりじゃん…ファウルだったけど、あのスライダーにあんないい当たりは初めてだよ。」
宮崎が仲俣に言う。
「でも…ファウルじゃなぁ…こう、もう一つタメを作ってだなぁ…」
仲俣が立ち上がって身振りでスイングしてみる。
「じゃ、お前が打ってみるか?」
井上が言う。
「え?私が…ですか?」
「ああ。ユニフォームに着替えてこいよ。ちゃんとお前に分もあるぞ。ほら。」
井上が仲俣にビニールに入ったユニフォームを手渡す。
「でも…ワタシは…」
「なかまったー、急いで。私のトコで代打でいいですよね?先生。」
井上が宮崎の言葉に頷いた。



「代打お願いします。」
仲俣が審判に告げた。一度二度と素振りをして打席に入る。
「なかまったー…勉強ばっかした訳じゃなさそうだね。」
宮崎がベンチに座り野中に話しかける。
「まったく、二人とも素直じゃないんだから。最初から一緒にやってればよかったのに。」
「はははは。なんか乗り遅れちゃった気がしてね。」
「ま、これで干されメン、全員集合って事で。」

5番バッターに代わる代打だ…それなりに注意は払う必要がある。このチームはただの弱小じゃない。それはここまでの戦いでよくわかった。ここは慎重にいかなくては。
児玉は若田部に十分注意を払う事を求め、若田部もそれに答えた。初球からスライダーで入ってくる。

なるほど…確かにこうして打席に入るとキレが違うなってわかる。さすが全国で決勝まで行くだけの事はある。でも…

ストレートを挟んでスライダーで攻めた若田部がカウントを2-2とした。次が勝負球…仲俣に決め球のスライダーが投じられた。

「縦に4…外に9…いや…12ってトコか…?」
仲俣のバットが一閃した。打球が右中間の一番深い所に飛んでいく。

inning41.



博大大濠の先発、若田部は甲子園の疲れからか本来の調子ではないように見えた。それでも、初回の千城高校の攻撃を何とかゼロに抑えた。観客からは千城打線の鋭いスイングに驚きの声が上がっていた。特に3番仁藤のセンター前に弾き返した打球と4番鈴木のあわやホームランという大きなファウルにはどよめきすら起こった程だ。

代わって菊地がマウンドに上がった。投球練習をしながら弾けるような笑顔を見せる。
「なんや、アイツ、へらへらしちょるのぅ。」
「ウチら相手に投げる事が嬉しかとよ。ま、すぐに笑えんようになると。」
1番を打つ古森と穴井がネクストバッターサークルの辺りで話あっている。甲子園でも1・2番を打ったコンビだ。

「バッターラップ!!」
審判の声がかかった。古森が打席に入る。

さて…と。記念すべき初球だ。思いっきり真っ直ぐど真ん中でいこうか?
え…?首振るの?マジ?変化球から?あやりんらしくないなぁ。慎重になってるの?ま、いいか。じゃ、スライダー?ん…これも違う?まさか、初球から落とすとか?違う…もう、何投げたいんだよ。ったく、そんなニコニコしちゃって。いいや、好きに投げな。ノーサインでいいから。何が来てもちゃんと止めてやるからさ。

ようやくサインが決まった。笑顔のまま菊地が大きくワインドアップする。
菊地の投じた初球は大きく緩やかな弧を描いた。打者の古森が見上げる程のスローボールだ。そのまま茫然と見送った。

「ストライク。」
審判のコールを聞き終え、古森が仁藤に小声で話しかける。
「おい…舐めとうと?そげな余裕かましよる立場やなかとや?」
「舐めてなんかいませんよ。緩急ですよ。」
仁藤が古森に笑いかける。お、さすがは全国有数のトップバッター。冷静だねぇ…
「緩急?面白か。じゃあ、次は速い球見せてくれるとね?」
「ええ。多分。」

菊地がすぐに次の投球フォームに入る。
「わかりやすか~。顔がマジになったばい。力入れて投げますって言っとうようなもんたい。」
古森のバットを握る手が強くなった。狙ってやる…

菊地の渾身のストレートが仁藤のミットに収まった。古森はバットを振るどころか、反応する事も出来ずただそのボールを見送った。大濠ベンチも観客席も一瞬言葉を失った。菊地のストレートはそれだけの威力だった。
目を見張ったのは相手の大濠サイドだけではなかった。ボールを受けた仁藤も、ベンチの井上も守ってる千城ナインも同じだ。違う…これまで練習で見せていた球とはモノが違う。スピードもキレも威力も…ケタが違う。これが…菊地あやかの本気なのか?

inning40.



1(遊)石田
2(三)仲川
3(捕)仁藤
4(一)鈴木
5(右)宮崎
6(二)小森
7(左)内田
8(投)菊地
9(中)野中


「すまないな。新チームの初戦なのにウチなんかとで。」
「構わんとです。先輩の頼みば断われんとですからね。」
博大大濠の監督の佐藤は井上の大学時代の後輩だ。プロに進んだ井上と違い学生時代は目立った実績も無く教師への道を選んだが、指導者としての実績は遥かに上だった。
「何言ってるんだよ。甲子園の準優勝監督が。」
「いやいや…決勝ではボコボコにやられよったです。お恥ずかしか。」
「やっぱ強いか?栄京は。」
「ええ。ある意味高校野球のとって革命かもしれんとです。あげん走って来られると、並みの高校の守備力じゃ対応出来んとですよ。」

「で…ベストメンバーでコールド無し…でいいんだな?大会終わったばっかだ。ピッチャーは大丈夫なのか?」
「若田部なら心配いらんとですよ。本調子ではなかばってん。」
「すまんな。」
「先輩…実は面白か選手ばおるとやなかですか?たとえば、ピッチャーとか。」
佐藤がブルペンで投球練習を続ける菊地のほうを見て言った。
「そうかもな。」
井上が笑って右手を差し出した。佐藤も笑顔を作りその手を握り返す。


博多大大濠のグラウンドには、甲子園帰り初の練習試合という事で大勢の観客が詰めかけていた。レギュラーの殆どが残った新チームへの注目度は地元ファンならずとも高いものがあった。

「千城?聞いた事あるとや?」
「いや、知らんばってん。大分のチームらしいとよ。」
「大丈夫か?選手9人しかおらんごたるけど。」
千城ナインを見た観客は遠慮ない様子で囁いていた。

「どうも歓迎はされてないっぽいね。」
ブルペンでアップを終えた仁藤が菊地に言う。
「そう?でも、きっと楽しい事になりそう。」
「だね。きっとみんなびっくりする事になるし。」
「だといいね~」

inning39.


「っしゃー。もういっちょこーぃ!!!」
「っけー!!!ラストだよ~!!」
菊地がノックバットで一二塁間にボールを転がした。ライトのポジションから宮崎が猛然とダッシュし打球を捌く。そのままバックホームだ。宮崎の放った送球は糸を引くようなライナーで仁藤のミットに突き刺さった。

「さすがみゃお、鉄砲肩だね。」
「レーザービームと言って欲しいなぁ。」
宮崎が小走りで戻ってくる。先に戻ってきていた野中とハイタッチをかわす。
「ホント、いい肩してる。」
「みちゃこそ、動き全然衰えてないじゃん。フリーバッティングだっていい当たり連発だったし。さてはコソ練してたでしょ?」
「まあね。」
野中が戻ってきたのを大袈裟に歓迎したわけではなかった。メンバーはただ自然にユニフォーム姿の野中に笑顔を向けただけだった。まるで、ちょっと風邪で休んでたクラスメイトに「お、良くなったんだ?」って感じ。それが、野中にとってはすごく有難かった。何も言わないでもみんなが暖かく自分を迎え入れてくれたのがわかったから。


「宮崎。ちょっといいか?」
シートノックを終え、休憩に入ったメンバーの中から井上が宮崎を呼んだ。談笑の輪から離れた場所で腰を下ろすよう勧める。
「さっきのノックの様子じゃ肩とかヒジを痛めてるわけじゃなさそうだな?」
「はい、見てくれたでしょ?全然問題なしっすよ。」
「じゃあ、何でピッチング練習をしないんだ?」
宮崎の顔から笑顔が消えた。

「先生…キツイっすね~。私、やっと認めたんですから。ピッチャーとしてあやりんの方が全然上だって事。そりゃ、ピッチャーは一人じゃ心もとないと思いますよ。どこも二人以上のピッチャーを用意しなくちゃ。でも…控えピッチャーとして準備するってのには、もうちょっと気持ちの整理を…」
「なあ、宮崎。誰がお前に そんな風にモノ分かりの良さを期待してるって言った?」
「はい?」
「お前は、調子が良くてワガママでプライドが高くて自己中心的だ。そして、スネやすくて凹みやすくて、でも、結構それで周りを気遣ったりする。そんな性格、ピッチャー以外ドコのポジションに適性があるんだっていうんだよ。」
「なんか、褒められてるのかけなされてるのかわかんないんですけど。」
「それに、背番号1を誰がつけるかなんてまだ決まっちゃいないぞ。宮崎…お前、今体重何キロある?」
宮崎がはっと自分の身体を見下ろして口を尖らせた。
「先生。幾ら監督だからって、女の子にダイレクトに体重の事聞きます?」
「悪い悪い。まあ気を悪くするな。なあ、宮崎お前のピッチャーとしての最大の特長は なんだ?」
「特長…ですか?う~ん…重い球質…かな?体重を乗っけた。」
秋葉で最後に島田に言われた言葉を思い出して、宮崎が答えた。


「あのな、良く言うよな。球が重いとか軽いとか。ホントにそんな事があると思うか?」
「え…?あるんじゃないですか?やっぱ、重い球のほうが打たれても飛び辛いでしょうし…」
「仮にそんな事があるとしたら…そりゃ、投げたボールの回転の質だよ。体重の重いヤツが投げる球がみんな重くて飛ばし辛いっていうなら、相撲取りはみんな大投手だ。」
なるほど…井上の言葉には説得力があった。私の場合、柔らかくて強いリストから繰り出されることにより投げたボールにオーバースピンを生んでいるそうだ。だから、ずっしりと重量を感じるボールになる。
「だけどな…お前はもっともっと伸びるよ。その球質は天性っていってもいい。だけど、そこに菊地並みのキレが加わったら…どうだ?スゴイ事になると思わないか?」
「私に…?そりゃ、もっとスピードとキレがあったら…」

「よし、じゃあ、今日からダイエットだ。あと、ストレッチな。そうだな…まず5キロ落とすんだ。それから股関節と肩甲骨のストレッチを毎日やる事。後でメニュー作ってやる。あと、ブルペンでの投球は軽くでいい。体重が落ちるまで全力投球は禁止。その代わり外野からの遠投を徹底的にやること。どうだ?騙されたつもりでやってみないか?」


宮崎は頷いた。ええ、何でもやりますよ。どうせ、先生、アンタに乗せられて再開した野球なんだ。とことんついて行きますよ…

inning38.



「失礼します…」
進路指導室に一礼して野中美郷は大きくため息をついた。
野中は宮崎や石田、仁藤と同じく秋葉学院からのドロップアウト組だ。先に転校していた仲俣汐里が特進クラスに進んだ後を追うようにA組に編入してきた。クラスでも常にトップの成績の仲俣に対し、野中はクラス在籍を維持するのがギリギリの成績だった。今日も、先日行われた全国模試の結果が芳しくなく、今後の対策について厳しい指導を受けていたところだった。

「みちゃ…ちょっといいかな?」
「あ…萌乃。ゴメン、何度来てもらっても返事は同じだから。」
「そうだよね。わかってる。でもね、私ってシツコイんだ。ね、もう帰るならお茶してかない?奢るからさ。」
「練習は?まだ外明るいけど…」
「いいの。今日は勧誘の話じゃないんだ。」
「うん。私も久しぶりに萌乃と話したいな…」
仁藤と野中がテーブルを挟んで向かい合わせで座った。田舎には珍しい洒落た喫茶店は仁藤のセレクトだ。余り流行ってはおらず、まだ野球に復帰する前によく一人で本を読みにきていたお気に入りの店だった。
「練習、頑張ってるんだね。顔、真っ黒だよ。萌乃、色々なのに。」
「あははは。仕方ないよ。でも、ちゃんとケアはしてるからね。それより、みちゃのほうが大変なんじゃない?A組って相当厳しいらしいじゃない?」
「まあね…ワタシ、あそこでも落ちこぼれ寸前だからさ。なかまったーみたく、本当の秀才じゃないからなぁ。」
「でも、元々成績良かったじゃない?だから、A組に編入できたんだし。」
「でも、なかまったーには敵わないや…やっぱり覚悟が違うのかなぁ?彼女は、大怪我で秋葉を辞める事になっちゃったのに、ワタシはなんか練習についていけない…って中途半端な気持ちで辞めて…そりゃ、勉強しかないって腹くくった子にどんどん離されていっちゃうよね。」
野中の表情が曇った。多分砂糖もミルクも入れてないコーヒーの苦さだけじゃない…


「ねぇ。私の知ってるみちゃってもっと笑うコだったよ。」
「ん?そうかなぁ?萌乃は萌乃のまんまだよね。ちょっと羨ましいなぁ…」
仁藤が突然中腰になって野中の腕を掴んだ。
「ちょ…ちょっとなにするの?」
驚く野中の手を取りテーブルの上に手のひらを広げさせる。
「ね、みちゃ。私たちと一緒に野球やろうよ。カッコ悪くてもいいじゃん。今カッコ悪くたって…このまま何もせずに腐ってたら、きっと一生後悔する。ワタシたちなんて、そんな人生なんて語るような年じゃないかもしれないけど、今やりたい事やらなきゃ、絶対に後で後悔するんだ。それだけは何となくわかったんだ。ね?」
「私は…別に…野球なんて…」
「じゃあ、この手はなに?このマメは?こんな手、勉強の息抜きにバット振ったからって出来るようなマメじゃないでしょ?それに…ずっと練習見てたんでしょ?あやりんに聞いたよ。」
「あやりん…って、あのピッチャーの子?」
「ほらね。あやりんがピッチャーってちゃんとわかるじゃない。」
仁藤の言葉に野中が俯いた。


「みちゃ…コレ。」
仁藤がバックの中から袋に入ったものを取りだした。
「今度、試合があるんだ。相手はあの福岡大濠。見たでしょ?甲子園の準優勝校だよ。コレ、試合用のユニフォーム。練習試合だから背番号はつけないけど…」
「でも…私なんかを今更…」
「明日、10時から練習だから。待ってるよ。夏休みは残り少ないからね。」
仁藤がテーブルの上に500円玉をと100円玉を2つ置いて立ち上がった。
「今日はおごるよ。そう約束したもんね。でも…次は割り勘だよ。」

inning37.



「あーあ…決まっちゃったね。11-2かぁ。こんな大差つくとはね…」
視聴覚室のテレビを見ながら石田が呟いた。
「いや…栄京って強いよ…それに、レギュラーで3年生って桑原一人でしょ?殆どそのまま来年もってなると…こりゃ、秋葉時代から栄京時代に変わっちゃうかも。」
「でもなあ、難波桐蔭だって2年生ばっかだよ?1番打ってる城なんてまだ1年だし。」
鈴木と仁藤が言う。出場校が特集された雑誌のページを繰りながらテレビに映る選手をチェックしている。今年は圧倒的に2年生の逸材が多い。

「でもさぁ。博多大大濠が決勝まで行くとはね…おかげで、私たちとの試合日程がなかなか決まらないしさ。」
宮崎が頬を膨らませる。仲川がその頬を指で突こうとして宮崎に払い のけられ無邪気な笑顔を見せた。その笑顔のままで明るい声を上げる。
「でも…その方がウチとしてはいいんだけどね~。甲子園優勝か準優勝…そんなガッコの新チーム第一戦がウチとだ…なんて、スゴイよね~。」
「それに…っていうか、それよりも問題なのは…まだウチが試合の準備が出来てないってことでしょ。萌乃…みちゃとなかまったーは相変わらず?」

宮崎の言う通り、夏休みの練習が続く中、相変わらず千城高校の野球部は8名のままだった。仁藤は同じように秋葉学院から転校してきた野中と仲俣を熱心に勧誘していたのだが、二人からの前向きな返事は聞けないままでいた。また、その練習内容のハードさから、一般の生徒からも入部してみよう…そんな風に言う者も出てこなかった。
「みちゃもなかまったーもA組だもんね…」
「A組に秋葉からの転校生なんていたんだ?だって、アソコは…」
菊地が意外そうな声を上げた。A組とは各学年に1クラスだけ設定された進学特進クラスの事だ。地方私立で特にスポーツに特化してるわけでもなく、平均的な進学率が周りの公立校よりも低い千城高校が唯一存在価値を高めているのがこの特進クラスで、クラス全員がほぼ現役で旧帝大に進学し、昨年は東大に28名の合格者を輩出した。これは県内トップの数字だ。

「ねえ…みちゃって…野中さんっていったっけ?なんか、ほわ~んとした感じの子じゃない?髪型がボブっていうかちょっと短めの」
「あれ?あやりん、知ってるの?」
仁藤が菊地の方に顔を向ける。菊地はテレビの画面を見ながら頷いた。試合終了のサイレンが響いてくる。明日の決勝が栄京大栄京と博多大大濠に決まった。
「う~ん…声かけた事ある。何度か廊下の窓から練習をず~っと見てたから、興味ある?って。まさか、秋葉からの転校生とは思わなかった。雰囲気が上品だし。」
「ちょっと、それじゃ私たちが下品って言われてる気がするんだけど?それに、あやりん、れなんで練習中のウチらをあやりんが廊下から見てたのかなぁ?サボり?」
石田が菊地の背中に腕を回して笑う。
「あ、違うよぉ。ほら…夏休みの補習あったじゃない…?私、成績悪いから。多分、その子は夏季特別受講で登校してたんだろうけど。話かけた時受講票で名前チェックしたんだ。」

「さ、練習行こうか。人数集めは人数集め。練習は練習。」
仁藤が立ち上がった。

inning36.



マウンド上の渡辺美優紀が何度も何度もプレートを外し一塁ランナーに視線を送る。大きなリードを取った松井珠理奈は慌てる素振りも見せない。軽く笑みさえ浮かべている。

「すんまへん。タイムお願いしますわ。」
キャッチャーの山本彩がマスクを外し、マウンドへ駆け寄った。
「みるきー、もうこうなったらランナー気にしてもしゃーないで?塁出してもうたんや、最初からスリーベース打たれてもうた位に思うとかへんと、いつまでたっても振り回されてばっかや。」
「そらそうやけど…一回くらいばつんとイワしとかんと収まりつかへんやんか。」
「それもそうやな…よっしゃ。ここもどうせ走ってくんのやろ。セット入ったらすぐボール放りや。もちろんウエストや。今度こそは刺した るわ。」
山本がポジションに戻り腰を下ろす。渡辺はセットポジションに入るとすぐクイックモーションで投球フォームに入った。山本が立ち上がる。ウエストボールだ。一瞬スタートが遅れた珠理奈だったが構わず二塁ベースに向かって走り出した。
「よっしゃ。もうろうたで!!!」
ショートの城がベースカバーに入る。山本からの送球は完璧だった。思わず大きな声をあげる。
「セーーーフ!!!」
城がタッチをする間もなく、滑り込んだ珠理奈が涼しい顔で立ち上がった。軽くユニフォームについた土を払う。
「またかいな…ホンマどいつもこいつもシャカシャカ走りよって…」
「アンタ、口悪いねぇ。そんな風に言うなら3塁も貰っちゃおうかな?」
珠理奈の言葉に城は首を横に振って渡辺にボールを返した。

夏の甲子園もベスト4に入り、深紅の大優勝旗をかけた戦いも佳境になっていた。第2試合の愛知県代表の栄京大栄京高校と大阪府代表の難波桐蔭の対戦も終盤…7回だ。
スコアボードに表示されたH…ヒットの数字は桐蔭9に対し栄京は5。しかし、得点は8-2と栄京が大きくリードしていた。
今年の栄京はとにかく「走る」これに尽きた。ヒットはもちろん四球・エラー…どんな形でも塁に出た選手がとにかく走りまくる。盗塁だけでなく、守備の僅かの隙をついては、次の塁を積極果敢についていく。1番・松井珠理奈、2番・矢神久美、3番・高柳明音の3人はアベレージこそ低いものの塁に出るとその抜群の機動力で相手を撹乱し、リズムを乱した相手投手が甘くなったところをホームランバッターの4番・桑原、そして唯一の4割打者松井玲奈が塁上のランナーを掃除していく。

このイニングも先頭の珠理奈の動きが難波桐蔭バッテリーの乱れを呼びこんだ。1死満塁のチャンスで松井玲奈が左バッターボックスに入る。すらりとした長身、細身の体はとても野球選手とは思えない。
「またコイツに回ってくるんかいな…」
山本がマスク越しに玲奈の澄ました表情を覗き見た。この試合、ことごとくこの子にやられてるんだ…しかし、試合も終盤。これ以上の点差はつけさせたくない。
山本のサインに頷いて渡辺が初球を投じた。左バッターのアウトコースから外にスライドしていくシュート。「釣り球」だ。相手の打ち気を上手く誘ってボール球に手を出させる。渡辺美優紀の真骨頂とも言える配球だった。

キィイイィイーーーン!!!!!
軽く…柔らかくスイングされた玲奈のバットから快音が響いた。まるで口笛でも吹きそうな表情で玲奈が打球の方向を見る。左中間の一番深い所で玲奈の打球はフェンスをダイレクトで直撃した。
塁上の3人のランナーが次々にホームへと帰ってくる。

inning35.



「高城、柏木。二人とも交代だ。どうしてここまで打ちこまれたのか、二人とも良く考えるんだ。いいな?」
戸賀崎がベンチ前で帽子を取って気をつけの姿勢でいる高城と柏木に厳しい表情で言った。入山のスコアブックにはヒットでの出塁と得点を示す赤い記号が多く記されていた。この回、堰をきったようにヒットを連ねた控えチームは一気に5点を上げた。
「まったく…調子がいい時はいいが、一旦打たれ始めると途端に取りみだしやがる…だから、球が上ずってくるんだ。柏木も、もっと大胆にリードすりゃいいものを…」
戸賀崎が腕を組んでベンチに身体を乱暴に預けた。

リードをもらっても、島崎のマイペースの投球は変わらなかった。ゆったりとしたフォームから表情を変えずに淡々と島田のミットへボールを投げ込んでいく。レギュラーチームは相変わらずゴロを内野に転がし続ける事しかできなかった。

「試したい事って…コレですか?」
入山が戸賀崎に尋ねる。
「ああ。まあな。だが…幾らなんでもこりゃ酷過ぎる。島崎のほうは期待通りだが、打線に関してはちょっと荒療治が必要かもしれんな…」


試合はそのまま、5-0で控えチームの勝利となった。

inning34.



2番の多田も3番の指原も詰まった当たりゴロを内野に飛ばしただけだった。
「おいおい、お前ら何力んでんだ?」
戸賀崎がベンチで腰を下ろしたままレギュラー組みに声をかける。顔には笑顔が浮かんでいる。不甲斐ない上位打線に渇を入れるようなそぶりはまだない。

「なんか、気持ち悪くない?監督。」
指原が守備につきながら渡辺に耳打ちする。
「ね…いつもならカミナリ落としててもいいと思うんだけどね。でも、次も同じ事やってたら今度はどーんって来ると思うけどな。」
「そうだね。でも…次は間違いなく打てるでしょ?頼むよ、新切り込み隊長。」
「さっしーこそ、クリーンアップなんだから、自覚してよね。」

二人は守備につきながらどこか消化不良のような感覚を覚えていた。


回を追うごとにその消化不良のような感覚は、じわじわとレギュラーチームの中に広がっていった。打順が一回りしてもヒットを打った者は誰もいなかったし、二周り目に入っても島崎の球に快音を響かせた打者はいなかった。4番の柏木が体制を崩しながら内野と外野の間に落ちるヒットを打ったものの、その後も島崎は内野ゴロの山を築き続けた。

「変化してる?」
「いや…あのゆったりした…っていうか力の抜けたフォームに惑わされてるのかなぁ?」
「なんか、タイミングが合わないんだよね…」
毎回実りのない攻撃を終え、守備につくレギュラーチームに焦りの色が見え始めた。

「よっしゃー、ぱるるがせっかくいいピッチングしてんだ。打つ方でもアピールしようぜ!!!」
円陣の中心で島田が大きな声を出す。
「アピールはいいけどさ…威勢だけじゃ打てないよ…あきちゃさんの球…マジで速いもん。」
「おい、大場ぁ。4番がそんな弱音はいてちゃダメじゃんか。」
「そうだけど…」

キィン!!!

鋭い金属音に円陣を組んでいたメンバーが一斉に振り向いた。トップバッターの山内が鋭い打球を左中間に飛ばした。ど真ん中を破った打球はそのままフェンスまで達した。7回にして飛び出した初めてのヒットが長打…2塁打になった。
「ナイスぅ。さすがらんらん、センスあるなぁ。あれだけのヒントでちゃんとバット振り切っちゃってる。」
島崎がタオルで汗を拭って手を叩いた。
「ヒント?ぱるる、なんだって?」
島田と大場が驚いて島崎の方を見る。
「ああ、あのね。あきちゃさん、調子がいい時はどんどんストレートでストライク取ってくるんだよね。自分の一番自信のある球なんだろうけど。相手が格下だと見ると、追い込むまでのストライクの9割以上は真っ直ぐだと思うよ。みんな、追い込まれてからスライダーとかチェンジアップで打ちとられてない?」
「…そういや、そうかも…」
「だから、早めに手を出していったほうが思い切り自分のスイング出来るんじゃない?って思ったんだけど…違うかなぁ?」
「ぱるる…ひょっとして、アンタ天才?」
島田が島崎の背中を軽く叩いた。島崎の浮かべた笑顔は相変わらずのんきなものだった。

inning33.


「じゃあ、紅白戦のオーダーを発表するぞ。まずAチームな。1番ショート麻友、2番セカンド多田、3番センター指原、4番キャッチャー柏木、5番ピッチャー高城…」
「あの…レギュラーチームに柏木さんと高城さんが入るんですか?」
1年生マネージャーの入山がスコアブックにラインナップを記入しながら聞く。Aチームは新チームのレギュラーと目される選手で固められている。例年新チーム結成後の初紅白戦はエースバッテリーが控えチームに入ってレギュラーチームと相対し、攻撃力と投手力をチェックするのが目的のはずだ。
「ああ、いいんだ。ちょっと試したい事があってな。」
「はあ…わかりました。Bチーム…8番キャッチャー島田、9番ピッチャー島崎…と。」
入山がスコアブックの欄に名前を書いた。ぱるる…何点取られるかなぁ…

「ねぇ!!!わかってるよね?!!!これは紅白戦なんかじゃない!!!チャンスだよ。ウチらがのし上がるチャンスだ!!!ぱるる!!!どーんと来いよ!!!レギュラーだってまだ本調子じゃないんだ。丁寧に投げてけば絶対押さえられる!!!」
「もーわかってるって…」
両腕をストレッチしながら島崎遥香が島田晴香に生返事を返す。
「だから、ぱるるはさぁ。らんらんも、大場も、大丈夫だよね?気負っちゃだめだけどさ…」
「島田、うるせぇよ。」
大場が笑って言う。島田も思わず口に手を当ててはっとした表情になる。
そうだ…興奮するのはいいけど…ちょっとは落ち着かないと…

新チームのエース候補と言われいる高城は篠田・秋元才加と続いた秋葉学院の本格派投手の系統を受け継いだピッチャーだ。高い上背から投げおろすストーレートに威力がある。コントロールも抜群だ。高城は1年生主体の控えチームの初回の攻撃を難なく3者凡退に切って取った。
控えチームが守備についた。やや入れ込み過ぎの島田、緊張した表情の山内、大場といった面々に囲まれてマウンドに上がった島崎が淡々と投球練習を繰り返している。その表情は柔らかく笑みさえ浮かべてるように見えた。

「ぱるるって、掴みどころがないよね…」
「うん。才加さんとかもっちーさん、あきちゃさんみたいな迫力ないもんね。練習試合でも結構打たれてたイメージしかないなぁ。でも…まゆゆはあんま得意なタイプじゃないでしょ?」
「そうだね…なんかはぐらかされてる感じがしちゃってさ。でも…まあ、ちゃんと仕事はするよ。私が塁出たらヨロシクね、らぶたん。ここで実績出しといて新チームの1・2番は私たちってアピールしとこうよ。」

渡辺と多田が島崎の投球練習を見ながら小声で話しあっていた。島田の大きな声が内外野にかかる。

初球・2球目と真っ直ぐがストライクゾーンに入ってきた。スピードは恐らく130km/h出てるか出てないかだろう。遅くはないが決して圧倒されるスピードでもない。甘いコースではないが厳しいコースを突いてきているようも感じない。教科書通りの綺麗なピッチングフォームだがその分威圧感も感じない。
こりゃ…じっくり見極める必要もないかな?1球外に外した後の4球目、インコースのボールを渡辺が強振した。

「オッケイ!!」
サードを守る大場が軽く前にダッシュして打球を捌く。渡辺のバットからは鈍い金属音が響いただけだった。
「変化球?」
多田が首を軽く捻りながら戻ってくる渡辺に声をかける。
「…たぶん…」

たぶん?麻友らしくないなぁ…ま、打ち損じでしょ?スイング自体は思い切り振ってたし、そんな厳しいコースじゃないし。ランナーなしか…ちょっと楽しませてもらっちゃおうかな?


inning32.


「ちぃ~っすぅ」
「おお、来た来た。やっぱねぇ~」
「っていうか、何で揃いも揃ってこんなトコいるかなぁ?ヒマ人ばっか。」
制服姿の大島優子が部室に入ってきた。前田敦子、秋元才加、高橋みなみ…だけではない。片山、増田、小林…3年生部員の大部分がそこにいた。
「ワタシは違うよ。みんなと違って忙しいんだ。今日だって…あ、そうそう忘れ物取りにきたんだよ。忘れ物。」
「ふぅ~ん…優子のロッカー、綺麗なモンだけどねぇ。」
前田が意地悪そうな笑顔を浮かべる。大島もバツの悪そうな笑顔でそれに応える。
「はぁ…参ったね。まだこんなに明るいよ。ねぇ、どっか行かない?」
「いいねぇ。ドコ行く?]
高橋が馬乗りになっていた椅子から身を乗り出して言う。
「ドコって…う~ん…カラオケとか?」
片山がさして乗り気でない声で言う。
「そうねぇ。カラオケもいいけど…」

キィン!!!
グラウンドから甲高い金属音が響いてきた。
集まったメンバーの会話が途切れた。

「なんか…つまんないね…」
「何言ってるの、香菜。あんだけヤダヤダ言ってたじゃん、練習。引退したら遊ぶぞ~っていつも煩いくらい言ってたのに。」
「そうだよね。もう練習行かなくていいんだよね…」
小林の目に涙が浮かんできた。
「もう、何だよ。泣くだけ泣いてすっきりしたろ?これから楽しい夏休みじゃん。プールだって海だって行けるし。」
高橋が小林を励ますように笑って言う。
「その日焼け痕で?二の腕から先と首から上だけ日焼けしてて…可愛くないよ?」
部室に入ってきた小嶋陽菜が高橋をからかった。部室内に再び笑いあ起きる。

その時、バタバタと慌てた様子で柏木由紀が入ってきた。練習が始まっているというのに制服姿のままだ。

「あ…先輩。こんにちは。」
「ゆきりん、どした?練習始まってるよ?」
「すみません…ちょっと。」
「ほら、挨拶はいいから早く着替えな。」
高橋が柏木に目を細めて言った。注意すると言う感じではない。
「あの…キャプテン…」
「ん?って、ワタシはもうキャプテンじゃないよ。今はゆきりんがキャプテンでしょ?」
「あ…すみません。何かまだ慣れなくて…」
「おいおい、しっかりしろよな。で、どした?」
「えっと…えっと…すみません。何でもありません。じゃ、失礼します。」
手早く着替えを済ました柏木が部室から慌ただしく出て行った。
高橋と大島が顔を見合わせて肩をすくめる。
「ありゃ…そうとう悩んでるな。」
「そうだね…キャプテンに指名された時の、あのまん丸の目が忘れられないよ。あん時もたかみなに怒られてたよな。ゆきりんしかいないのにね。新キャプテンは。」
「何でも、守備もバッティングもぼろぼろらしいよ。」
前田が部室の窓からグラウンドを見下ろしながら言った。
「あ~やっぱ、カラオケ行こうよ。なんか、ここにいても野球の話ばっか。」
小林が背伸びして叫ぶように言った。
「そうだね。そうしよっか。」
高橋が椅子から腰を上げた。
「あの子達が自分で乗り越えていかなくちゃいけないんだよ。私たちがしてきたみたいにね。」
「ん~?たかみなって何か壁ぶつかってたっけ?」
「もーあっちゃんに言われたくないなぁ。」
「っていうか、カラオケって何歌うの?最近の曲知らないよ、ワタシ。」
「たかみなは持ち歌あるじゃん。なんだっけ?あのAKBぃ~ってかけ声から始まる歌。」
3年生部員達がガヤガヤと部室を去って行った。

グラウンドへ向かう通路の脇でその後ろ姿を暫く迷ったように見送った柏木が首を振ってグラウンドに走って行った。

inning31.




「試合を決めてきたぞ。練習試合だけどな。先方の都合で夏休みの中旬から終わりになるが、夏の特訓の成果を図るにはなかなかイイ相手だと思うけどな。」
「おーーーマジで?」
真っ先に飛びあがって歓声を上げたのは石田だ。小森も鈴木も手を取り合って喜ぶ。
「先生、ホントいい話ですね。で?相手は?」
「博多大大濠だ。」
「え…?大濠って…あの博多大大濠?」
仁藤の問いに答えた井上の言葉に宮崎が目を丸くして言った。仁藤もその顔を見て同意するように頷く。
「でも…博多大大濠って、今年福岡県代表で甲子園出るじゃないですか?」
「ああ。だから、夏休みの終わりころになるかもしれんのだよ。新チームになって最初の試合にウチを組みこんでもらった。日程は向こうが新チームに移行してからって事だな。」
「じゃあ、大濠が甲子園1回戦で負けちゃったら、すぐに試合出来るって事?」
「そうなるな。」
「おーーーやったぁ。大濠、早く負けないかなぁ?」
「だから小森。アンタはまたすぐにそんな軽はずみなコト言うから…」
「ごめんなさい~でも、試合嬉しいなぁ。」

博多大大濠は最近躍進著しい福岡県の強豪校である。今年の夏も2年生エース若田部とやはり2年生でバッテリーを組む児玉を中心に甲子園への出場を決めている。下馬評も低くなく、秋葉が敗れた事で本命不在と言われる大会のダークホースとして目されていた。
主線がそのまま残る新チームとの対戦は願ったりかなったりの話である。

「ただな…お前らも分かってると思うが、一つ大きな問題がある。」
井上の言葉に、メンバーが顔を見合わせた。

そう…千城高校が試合に臨むためにはクリアしなくては解決しなくてはならない大きな問題があった。

「で…だ。このチームのキャプテンを…仁藤、お前に頼もうと思う。異論あるヤツいるか?」
「いや…文句言えるヤツなんて…いないよなぁ?」
「なぁに?はるきゃん。」
「いや…ついていきます。キャプテン萌乃ちゃん。」
「んもぅ、口ばっかなんだから…」

「じゃあ、OKだな?仁藤、頼むぞ。俺から生徒に呼びかけてもいいんだが、こういう事は上から言うより実際にお前たちに任せたほうがいいだろう?」



「どーする?あやりん、心当たりある?」
「う~ん…運動をまともにやるような子はみんな何かしら部活入ってるからね…」
「掛け持ちは?」
宮崎が言う。
「いや、それじゃ…ね。第一、掛け持ちでやってける程ウチらの練習は甘くないし。試合だけってのも困るしね。」
「そりゃそうだ。萌乃の言う通りだ。」
「とにかく…声をかけてみない事には始まらないしね。」

千城高校の野球部にはまだ部員が8人しかいない。
あと一人…部員を集める必要があった。

「それか…みちゃと…まったー…か。」

inning30.



「はぁ…はぁ…はっ…よっし…えっと何本目だっけ?」
「え~しほりん、数えて…ない…の?え…っと…37本…目じゃない?」
「いや…数える…の、わた…しじゃないよね?はる…ごん…でしょ?」
「え~…ん…っとね…次が確か…はあ…は…はぁ…38本目かな?」
「じゃあ、あと3本…ね?」

真夏の日差しが容赦なく降り注ぐ。3塁側のファールライン上に並んだ8人が膝に手を当てて息を切らしていた。塁間をダッシュしてはジョグで戻り再びダッシュを繰り返す。もっとも地味でキツいインターバルトレーニングだ。

「はるごん、誤魔化してもダメ。次まだ36本目だよ。」
「誤魔化し…てなんか…な…いよぉ~。さす…が、萌乃…だね。」
「じゃ、36本目行くよ!!みんな笑って!!!キツい時こそ笑う!おっきな声出す!!」
「っしゃー!!!」
「んのぉらぁ!!!」
「もう、どうにでもしてくれーーーー!!!」

夏の練習は本格的なものになってきていた。とかく、技術面だけに特化しやすいこの時期の練習だが、この時期に基礎トレーニングを徹底的にやる事を井上は指示していた。特に瞬発力系のトレーニングは質・量共に凄まじいものがあった。

「よ~し。休憩ね。でも、腰下ろしちゃだめだよ。軽くウォーキングしながら呼吸整えて。」
「うぃ~っす!!」
仁藤の掛け声にメンバーが答えて三々五々グラウンドを歩き出す。
菊地が仁藤に歩み寄ってきた。まだ息が弾んでいる。
「す…ごいね…みんな。文句ばっ…か言いながらきっちりこの量のトレーニングをこなしてく…ワタシなんてつい…てくのがやっとだよ…」
「う~ん…多分、もっとこれから量増えてくと思うよ。みんなわかってるんだ。この時期に基礎やる事が大事だって事。」
「みんな…どM?」
「あはははは。そりゃそうかも。ワタシもアンタもね。」

「こんちはっす!!」
井上がスーツ姿で現れた。この暑いのにネクタイまでしている。
「あれ?先生、お見合い?」
「そっかぁ、先生、独身だっけ?そろそろ身を固めなくちゃって…年でもないか?」
小森と仲川がはやし立てる。さっきまで死にそうな顔をしていたとは思えない。
「おい、いい加減にしてくれよな。今日はせっかくイイ話を持ってきてやったのに。」
「お~、今日は焼き肉ですかぁ?」
「石田、お前は食う事しか頭にないのか?そんなちっちゃい身体で。」
「先生、そんな事言って~ワタシ、ちゃんと出るトコは出てますもん。」
「ねえ…それって何かワタシへの嫌味にしか聞こえないんだけど?」
「そーそー。」
菊地と鈴木が石田の肩を両脇から抱えて持ち上げようとする。

「で?先生、いい話っていうのは?」
仁藤が目を輝かせて聞いた。

inning29.




「ねぇねぇねぇねぇ~秋葉負けちゃったよ!!!」
朝の部室、菊地あやかがアンパンを頬張りながら飛び込んできた。
「あ~知ってる。昨日の『速報!甲子園への道』でもやってた。」
仁藤萌乃がトレーニングウエアに着替えながら答える。目線はコンビニで買ってきたスポーツ新聞の紙面に注がれている。そこには、マウンド上の歓喜の輪の脇でうずくまる柏木の姿を写した写真があった。本命・秋葉学院の予選敗退は大きなニュースであった。

「おはよー。負けちゃったねぇ。」
「いや~びっくりしたよ。」
鈴木と石田が連れだって部室に入ってくる。すでにトレーニングウエア姿だ。
「あれ?二人とも制服は?」
「萌乃もあやりんも制服着てきたの?だって、どーせ今日からまともに授業なんかないじゃん。期末テストもやっと終わったし。」
「それもそっか。それに…今日からは…」
「うん。よっしー気合入ってたよ。あ、おはよーこもりん。」
「おはよ…あやりんは朝から元気ぃ…小森はねむいですぅ…」
小森の恍けた表情に部室に笑いが起きた。


千城高校の野球部が始動した。
部員は8人だけ。ユニフォームを着てランニングをしていても一見高校の野球部という風には見えない。近隣にある進学校でまともな実績のない学校の野球部のほうがよほど様になって見える。
それでも、朝練から始まり放課後に行われる練習の質と量には目を見張るものがあった。

ーー野球は個人競技だ。ーー
監督の井上の口癖だった。仁藤も石田も宮崎もその言葉に強く引きつけられた。
一人ひとりが自分の果たすべきプレーを行えばいい。ただし、それを自分の為にそれをやるという意味ではない。それじゃ唯の独りよがりだ。野球は個人競技だがスタンドプレーヤーではいけない。お前ら、この違いがわかるか?井上は事あるごとにそういう話をした。

そこにあるのは「信頼」だ。そして、他人のプレーを敬う事だ。仁藤はそう思っていた。チームには色んな人間が必要だ。150キロの真っ直ぐを投げるピッチャーがいれば、それを巧みにリードするキャッチャーーが。出塁率が高いトップバッターには確実に塁を進めるバッティングが出来る2番バッターが。長距離打者を活かすアベレージヒッターが。ピンチの時には元気な声で勇気を与えてくれる者がいれば、冷静に局面を判断する者が。それら個人個人の資質がかみ合って初めてチームワークというものが生まれるんだと。
仁藤は初めてそういう思いを共感できる指導者と巡り合えた喜びに胸の高まりを押さえきれずにいた。しかも、人数こそ少ないものの一人ひとりのスキルは極めて高い。このチームがまとまればひょっとしたら面白い事になるかもしれない…

inning28.




表彰式が終わり、首から銀のメダルをかけた選手たちがスタジアムから出てきた。外で待っていた控え部員や父兄、ブラスバンドや一般の生徒が静かな拍手でそれを向かえる。誰がこんな風に選手をむかえる事になる事を想像しただろうか。それを一番感じていたのは、他でもない選手たちだった。


これは夢だ…きっとたちの悪い悪夢なんだ。
目が覚めたら、また明日も試合がある…んだ。
いや…8回の裏だけでいい…きっと、あれだけが夢なんだ。

最後の挨拶をしようと出迎えの群衆の前に立った高橋はそう思っていた。
何か話そうとするが、言葉が出てこない。
ふと、視線の中に片山や増田、小林の姿が入ってきた。みんな目が真っ赤だ。峯岸の姿も目に入ってきた。
整列していた選手達から嗚咽がこぼれ始める。最初に泣き崩れたのは2年生の柏木だ。渡辺も鼻をすすり始める。

何とか応援への感謝と、甲子園出場を逃した謝罪の言葉を口にし高橋は一礼した。暖かい拍手が辛かった。なにやってんだ、こんなトコで負けやがって。そんな風に罵られればもっと楽だったのだろうか?

「よし…みんな集まってくれ。全部員だ。スタンドで応援してくれたヤツも全部な。」
監督の戸賀崎が選手に声をかけた。
神宮外苑の木々からは騒々しい蝉の声が鳴りやまない。その中で戸賀崎は全員に向かって静かに話を始めた。



「おい、悔しいよな。な。こんなトコで負けるなんて思ってなかったか?俺も思ってなかったよ。でもな、これが勝負だ。これが甲子園への道の厳しさだ。高橋、悔しいか?」
「はい。悔しいっす。」
高橋の目から大粒の涙がこぼれた。これまで耐えてきたものが崩壊したような涙だった。
「大島?」
「悔しくない訳ないじゃないですか!」
「才加?」
「私が…私がもっとしっかりしていれば…」
「前田?」
「…………」
前田敦子が泣きじゃくっていた。常に冷静沈着、アイスガールとも言われたクールな前田も感情の高ぶりを押さえる事が出来なかったのだ。
「よし。3年生は思い切り泣いていいぞ。お前たちはどこよりも厳しい練習に耐え、誰よりも純粋に頂点を目指していた。命がけで努力したのに叶わなかったんだ。だから、お前達には泣く資格がある。今は何を言っても慰めにならんだろう。だから…泣けばいい。もうこれ以上涙が出ないってくらいまで泣いてもいいぞ。いい加減な覚悟でやってきたのなら涙も出ないはずだ。お前らが泣けるって事はそれだけ必死にやってきた事の証拠だからな。」
戸賀崎の言葉に一気に大きな鳴き声が響き始めた。抱き合ったり、地面に顔を伏せたり…それぞれが心を震わせるような涙を流していた。

「ただし、2年1年。お前らはダメだ。ガマンしろ。歯をくいしばれ。上を向け。柏木、お前の悪送球で負けたって思ってるのか?麻友、お前のエラーで負けたと思ってるのか?だったら、お前らはその悔しさを飲み込むんだ。お前達には明日があるんだ。失敗を取り返すチャンスがまだ残ってる。先輩に申し訳ないと思うなら、その思いを明日からの練習にぶつけるんだ。いいな、お前達に泣いてるヒマはないぞ。」

渡辺が涙をアンダーシャツで強く拭った。柏木も立ち上がって空を見上げた。


真っ青な空に積乱雲が高々とそびえたっていた。
秋葉学院の短い夏が終わった。






inning27.



柏木が茫然と打者走者の久住がホームインしてくるのを見ていた。レフトの板野がようやく外野に転がったボールに追いついたところだ。

「同点!!!ここまで一人のランナーも出す事のなかった秋葉学院にまさかの守備の乱れ。朝夢高校が一気に同点に追い付きました!!鉄壁を誇った二遊間にエラー。そして、まさかまさか、守備の要、柏木の3塁への大暴投。カバーに入っていたレフト板野の遥か頭上まで越えてしまう送球をしてしまいました!!!」

場内は騒然としていた。秋葉学院鉄壁の守備の破たん。それを呼び起こさせた朝夢高の果敢な走塁。ベンチのムードも一変していた。

お祭り騒ぎの中、次の打者・9番高橋愛が初球をセンター前へ運ぶ。秋葉ベンチは堪らず投手を2人目・倉持にスイッチした。

「すいません…私が…」
うなだれる柏木の背中を秋元が強く叩く。
「まだ同点だ。すまないのは私だ。ここで勢いを絶てないで何がエースだ…」
「大丈夫。後は私が…」
倉持が秋元からボールを受け取る。

表情が固い。球もちょっと上ずっている気がした。
場内の異様な空気が倉持の緊張を増長させていた。

波乱がおきるかもしれない。いつだって観客は筋書きのないドラマを求めている…
そして、時としてそれが実際に起きるのが高校野球だ。


トップバッターの石川が倉持の変わりっぱなの初球をフルスイングした。
高く弧を描いたその打球は、長い滞空時間の末、レフトスタンド最前列に飛び込んだ。




変わった倉持も、更にその後を引き継いだ高城も、朝夢の勢いを止める事は出来なかった。8回裏のスコアボードには8の数字が記された。




力なく内野へフライが打ちあがる。セカンドランナーの高橋がそれでも3塁に向かってダッシュする。両手を大きく広げたショートの石川の元へボールが落ちてくる。
歓喜の輪がマウンド付近に出来あがった。中心で高々と拳を突き上げる道重に吉澤が飛び付く。中澤も石川も保田も…朝夢高校の選手が弾けるような笑顔で身体をぶつけあった。

最後の打者になった柏木は1塁ベースの手前でうずくまって顔を両手で覆い泣きくすれた。高橋は3塁ベースを回ったところで腰に手をあて空を見上げた。ベンチでは、まだ目の前の光景を受け入れる事が出来ず立ち上がれない選手が殆どだ。
スタンドも静まり返っていた。選手と同じユニフォームに襷かけ、鉢巻姿の片山もそっと目を閉じた。暫くして、交錯する色んな思いを断ち切るかのように涙で潤んだ目を開いた。

まだ終わっていない。試合に負けても、私たちは誇りある秋葉学院の一員だ。堂々と胸を張って勝者を称えなくては。泣くのはそれが終わってからだ。

「みんな…立って。立つんだよ!!1年も、いつまでもびーびー泣いてないの!」

inning26.



塁上が3人のランナーで埋まった。結局、秋元は道重に13球を費やし四球を与え、続く保田には粘られた7球目をレフト前に運ばれた。先ほどの保田の当たりとは違い快心の打球だった。

マウンド上にベンチから伝令が飛んだ。野手がマウンドで集まる守備のタイムは1試合で3回まで認められている。
「時間を幾らかけてもいい。2点や3点はやってもいいから、焦ってこの回を早く終わらせようとするな…そんな感じでしょ?」
伝令に走ってきた大家にキャプテンの高橋が笑って言った。
「ああ。すまんすまん。ここまで走ってくる間に何言われたか忘れよったたい。まあ、暑いけど熱中症には気ぃつけんといかんな。」
大家が恍けたような顔で言った。輪の中に笑いが起きる。

戸賀崎の指示は高橋が言った通りだった。大家は輪から離れベンチへ戻っていった。大丈夫やわ。この場面でも落ち着きよるわ。さすがやな。

8番の久住小春が初球をたたいた。強い辺りが一二塁間を襲う。しかし、セカンドの高橋が軽いステップで打球を押さえた。

よし…ゲッツーだ。4-6-3の綺麗な連携が高橋の頭に描かれた。スタンドで声を枯らしていた峯岸にもその光景が浮かんでいた。この打球コースは二人が最も得意としたパターンだ。しくじった事は一度たりとしてない。
高橋がセカンドベースカバーに入る渡辺を見た。スローイングの体制に入る。

ほんの一瞬…僅かコンマ何秒の世界だろう。一瞬、渡辺との呼吸がずれた。
高橋の送球よりほんの僅か、渡辺の身体がセカンドベースに入るのが遅れた。ゲッツー体制に入るときショートは次の送球の準備をしながら捕球しようとする。上手いコンビであればあるほどその流れは実によどみがない。しかし、だからこそほんの僅かの誤差がエラーに繋がる。

渡辺は高橋からの送球をグラブで弾いた。ボールがグラウンドに転がる。慌てた渡辺がボールを拾いファーストへ送球しようとする。ストップ!! ファーストの宮澤が両手でクロスを作った。間に合わない!投げるな!!の合図だ。しかし、焦っていた渡辺はそのままボールを転送した。

「バックホーム!!!」
2塁ランナーだった道重がその隙をついて3塁を回って突っ込んできた。高橋・渡辺の間で起きたミスコミュニケーションが渡辺の焦りを生み、さらにそれは宮澤へも伝染していた。宮澤のバックホームは低く、ショートバウンドになった。柏木は身体にあてて後ろに逸らさないようにするのが精いっぱいだった。

「3つ行った!!!」
今度はサードの大島から声がかかる。1塁ランナーの保田が3塁へ向かっている。まったく、どんだけ機動力使ってくるの?でも…それは無茶でしょ?タイミングは余裕でアウ…

柏木が3塁へ落ち着いてボールを送った。

inning25.


試合は完全に膠着状態に入った。秋元は完ぺきだった。7回を終わって一人のランナーも出していない。奪った三振は早くも11を数えた。一方ですっかりペースを掴んだ道重も面白いように秋葉打線を打ちとっていく。適度の荒れたボールで的を絞らせず、追いこんではキレ味鋭い変化球で内野ゴロの山を築いていく。

8回の裏、場内は異様なざわめきに包まれ始めた。決勝戦でのパーフェクトゲームは余り例のある事ではない。ここまでの秋元の完璧な投球内容は快挙を予感させるに十分なものだった。

「才加さん、ヒット打たれちゃいましょ?」
6回頃から柏木はマウンドに向かうたびに笑って言っていた。もちろん、秋元をリラックスさせる為ではあるが、その言葉は本心だった。大切なのは勝つ事で記録を狙う事じゃない。大事な試合だからこそ、余計な事に気を回したくない…

先頭の4番・吉澤のバットからこの試合初めての快音が響いた。
あわや外野の頭を越えようかという打球だったが左中間に背走した前田敦子がいっぱいに伸ばしたグラブにその打球を収めた。これまでの朝夢打線に出ていなかったいい当たりだ。

球数は…7回終わって120球を超えていた。多い…三振を取り過ぎた。結構粘られてもいる。それにこの回に入って明らかに球威が落ちてるしコースも甘い…出来れば交代させたいところだが、下手にパーフェクトで来てるから監督も替えづらいだろうしな…

柏木がそんな風に思っていたところ、5番の飯田の初球、スライダーが肩口から甘いコースに入ってきた。いけない…

スタジアムにどよめきが起こった。飯田の打球は詰まりながらもセンター前に落ちた。朝夢高の初ヒットだ。飯田が1塁ベース上でガッツポーズを見せる。

「才加さん、これですっきりしましたよね?」
「ああ、なんか変な色気出ちゃいそうだったからな。」
「で…下位打線ですけど…慎重にいきましょう。ちょっと球高めに浮いてますから。」
「ああ、わかってる。次はあのおねーちゃんだろ?」

秋元がマウンドから打席に入った道重を見た。涼しい顔でバットをかついでいる。
「とにかく警戒しましょう。投げるだけでなく打つ方でも何してくるかわからなさそうですから…」
柏木の言葉に頷く。


inning24.



「だぁ~れが力抜いてストライク取れって言ったよ?」
長身の吉澤がマウンドの上で道重を見下ろして言う。
「ホントだよ。仮にも秋葉の4番があんなへろへろ球見逃すと思ってんのか?」
ファーストのポジションからマウンドへ集まってきたキャプテンの中澤もキツイ表情で道重の頭をポンポンとミットで叩く。
「でも~さすがにストライク取らないとマズイかなって。ほら、さゆみがコントロール悪いってみんなに勘違いされちゃうでしょ?」
「おい、お前はコントロール悪いんだよ!!」
吉澤が苦笑する。
「そんなぁ。さゆみ、ホントはいいピッチャーなんですけど?」
「わかったよ。ったく。立ち上がりが悪いにも程がある。でも、まあこの4点は最初から覚悟してたからいいか…とにかく、あと何人かかってもいいから思い切り腕を振るんだ。お前はれブルペンじゃアップできなくて、本番のマウンドでようやくアップが始まるんだから…」
「えへへ。エンジンが高性能だから暖気運転にも時間がかかるんです~」
「いいけど…眠くなる前にアップ済ませてよね。」
矢口真理が道重の背中を軽く叩いてセカンドのポジションに戻って行った。


一体何点入るんだ?そう誰もが思った初回の秋葉の攻撃は結局その4点で終わった。その後2人に続けて四球を与えた道重だったが、突然目を覚ましたかのように立ち直ったのだ。ストライクがどんどん入る。相変わらずストライクとボールがはっきりしてはいたが、決まった時の真っ直ぐの威力は素晴らしかった。

「こりゃ…4点取っておいてよかったかもよ…?」
守備につく前田が大島に声をかける。確かに…140キロ後半のストレート、しかも変則フォームでどこからボールが飛んでくるかわからないし、どこに飛んでくのかもわからない。結構やっかいなピッチャーだ…大島も同じ感想を持っていた。

秋葉先発の秋元才加は道重とは全く違う立ち上がりを見せた。超高級車が高速道路を巡航するかのような余裕で、150キロを超えるストレート、ブレーキの利いたカーブ、高速スライダーをコーナーへ投げ分けていく。強打の朝夢打線から三振の山を築いていく。

元々大器として期待されていた素材だった。昨年のエースだった篠田をも上回る本格派大型投手として期待されていた秋元も、最上級生になって決して順調ではなかった。センバツで優勝した後は疲労と夏へのプレッシャーから体調を崩した時期があった。その分夏への調整が遅れ、まだこの予選では長いイニングを放れていない。加えて、今年の夏は猛暑だ。体力では十分でも暑さは気力も削ぎ落としていく…

「あきちゃ…もっちーさん…すいません。早めに用意しといてくださいね。」
「なに?ゆきりん、今日の才加、すっごく調子良く見えるけど?」
「ええ…調子良すぎると逆にペースが上がってしまって…」

ゆきりんはいつも心配性なのよ…
でも、その慎重な判断が今まで何度もチームを救ってきたんだしね。

倉持と高城が3回の守りの前にブルペンへと向かった。


inning23.



「ねえ…道重…って子。今日の向こうの先発ピッチャーの子って聞いた事ある?」
大島優子と宮澤佐江が相手ベンチの前のブルペンでピッティング練習を続ける、朝夢高校の道重さゆみを見ながら柏木由紀に聞いた。
「いえ…予選、ここまで1試合も投げてませんね。っていうか、公式戦での登板すらありません。練習試合での登板も私が集めたデータでは3試合の登板だけです。まだ1年生ですからね。」
ゆきりんメモと呼ばれる使いこまれたノートを見ながら柏木が答える。

チームの司令塔、秋葉の頭脳と言われる柏木のコンピュータにもインプットされていない選手をこの大事な決勝で使ってくるとは…ベンチの中で監督の戸賀崎は腕を組んで考え込んでいた。まあ、古豪とはいえ、朝夢の寺田監督も奇策を打ってくるしかなかったのだろう…ウチは誰が来ようとウチの野球をするだけさ。
しかし…さっきから見てるが…大丈夫か?あの道重って子。確かに球は速いが…まったくストライクが入っとらんぞ?1年生だと?そりゃ、いきなりこの大舞台じゃ緊張でまともにマウンドの上に立てないんじゃないか?

戸賀崎が見た通り、相手投手の道重は立ち上がりから大荒れに荒れた。
先頭の前田への初球はキャッチャーがミットに触る事も出来ずバックネットを直撃したし、その後のボールも明らかにボールとわかる球でストレートの四球を与えた。続く高橋も一応はバントの構えをしていたがこれも明らかにボールとわかる球が4つ続いた。3番の大島の3球目にようやくストライクが入ったものの、次の4球目は大島の脇腹を直撃した。

ノーアウト満塁。4番の柏木が打席に入った。

しかし…この子が決勝の先発に立たなきゃいけないっていうのが今の朝夢なんだな…柏木は秋葉に入学する前、朝夢のセレクション受験に参加して落ちた経験がある。古豪朝夢でプレーする事は叶わなかったが、人生は不思議なものである。名門秋葉学院に合格し、入学後めきめき力を伸ばし2年生で司令塔と4番の座を勝ち取るのだから。

道重がマウンドの上で肩をすくめる仕草をした。さすがに3つの四死球を連発したんだ、幾らなんでもストライク取りにくるでしょ?柏木の読み通り、初球はややスピードを殺したストレートが甘いコースに入ってきた。柏木は迷う事なくバットを振りぬいた。

「打ったぁ!!!これは…文句無しだ!!!レフトも…センターも…追わない。見上げるだけだ。その頭上を遥かに…スタンド上段まで行ったぁ!!!4番柏木のバット一閃。満塁ホームラン!!!秋葉学園、甲子園春夏連覇に向け、早くも初回4点を先制しました!!!」
アナウンサーの絶叫が響く。

こりゃ、試合にならないぞ…
観客席から早くもそんな声が聞こえ始めた。

inning22.




長い長い1回表の攻撃が終わった。疲れきってベンチに戻る乃木坂ナイン。神宮球場のスコアボードには12の数字が表示されていた。

「こりゃ、秋葉、ここまで手を抜いてたな。」
「いや…最初から準決勝辺りに照準合わせてやってきたんだろ。あいつ等にとっては、ここまでは手の内なんか見せなくても大丈夫って腹だろ。」
「しかし…えげつないよな。8点目をスクイズで取りにいくか?あれで乃木坂、完全に切れちゃったろ?」
ネット裏のうるさ型の高校野球ファンが囀っていた。昨日までは秋葉危うしを声高に訴えていた連中だ。

「とにかく・・・まずは1点だ。1点ずつ返していこう。秋葉の今日の先発は倉持だ。ここまで満足のいく出来じゃない。ここで先発して来ないって事は才加はやはり故障なんだ。」
意気消沈するメンバーを鼓舞しようと、白石が円陣内で声を上げる。
そう…まずは1点だ…

乃木坂の僅かな希望はたった数分で消し飛ばされた。本来はストッパーの倉持だが、先発を任されたマウンドで文字通り躍動した。好調の乃木坂打線をわずか11球。3者三振で切って取った。ストレート、スライダー、フォークボール。最後の決め球はまさにどれもが一級品のキレだった。これまでの不調がまるで冗談だったかのようだ。


イニングは5回まで進んでいた。毎回のように数字が刻まれた秋葉に対し、乃木坂のスコアボードには4つのゼロが並んでいた。

カキン…

弱い金属音を残して弱々しい打球がキャッチャー前に転がった。
「オッケイ!!」
柏木がこの回からマウンドに上がった秋元才加を手で制して打球を処理した。持ち前の鉄砲肩で2塁へボールを送る。ベースカバーに入った渡辺麻友が素早く1塁へボールを転送した。打者の桜井が頭からファーストベースに飛びこむ。

「アウト!!!!」

秋葉学院の選手が一列に整列し乃木坂の選手を待っていた。うな垂れた乃木坂の選手が遅れて列に並ぼうとしている。どの選手も涙を流していた。立っているのがやっとの者もいる。

「っした!!」

両校の選手が歩み寄って握手を交わす。
「怖かったよ。生駒さんって言ったっけ?2年生だよね?あの迫力…正直怖かった。」
生駒に声をかけたのは前田敦子だ。
「でも…微妙にキレがなかったね。疲れかな?前の試合よりボール一つだけ甘かった。5回戦辺りで当ってたらやられてたかもね…」

え…?前田さん、前の試合って…ボール一つって…私達研究されてた?あの、天下の秋葉学院が私達なんかを?そりゃ…勝てないわ…

「あのね…」
「はい?」
前田が何かを言いかけて辞めた。
あのスライダーは磨きをかければもっといい武器になる…
そんな事言ったら、来年後輩達にとっておおきな障害になり兼ねない。
でも、なんでだろ?思わず声をかけたくなっちゃったんだよな。


24-0。
5回コールドで秋葉学院が決勝へと駒を進めた。



inning21.




太陽が照りつける季節がやってきた。
蝉の鳴き声をかき消す大歓声、絶叫のようなブラスバンドのコンバットマーチ。劈くような金属音、歓喜の涙、悔し涙…

夏だ。

秋葉学院は東東京の優勝候補の最右翼、Aシード校として2回戦から登場した。
初戦こそ無名の都立高を21-0の5回コールドで一蹴したものの、それ以降は苦戦を繰り返した。
打線は好調だった。核弾頭・前田、柏木・宮澤のクリーンアップを中心とした打線は毎試合2ケタ安打を重ねた。しかし、秋葉本来の繋ぎの野球が出来ない。送りバントの失敗、無謀とも思える走塁死、肝心の好機でのタイムリー欠乏症…およそ王者・試合巧者らしからぬ試合運びで、何とかなんとかトーナメントを勝ち上がっていった。

投手陣も、エース秋元が登板したのは4回戦から。しかも、先発して3イニングを圧巻の投球で締めたと思うとあっさりリリーフ陣にマウンドを譲った。しかし、後を受けた高城・倉持のリリーフ陣がぴりっとしない。四死球でランナーを溜めてはタイムリーを浴びるという悪循環を繰り返してはネット裏をどよめかした。


ベスト4へと進出した秋葉学院だったが、その勝ちあがりから、夏の制覇を疑問視する声が上がり始めた。むしろ、快進撃を見せ初めてのベスト4へ勝ちあがってきた唯一の都立校、乃木坂高校に注目が集まっていた。

「ここまで来たんだからさ。食っちゃおうよ。秋葉をさ。」
「なんかさ、秋元才加って故障なんじゃない?まだここまで最長で3イニングしか投げてないし。才加はなかなか打てないけど、高城・倉持ならウチの今の勢いなら打ち崩せるよ。」
「そして、後はウチらが守り切る…と。行けるよ、うん。きっと勝てる。もう秋葉だって雲の上の存在じゃないんだ。」
打っても4・5番の主軸を担う、生駒里奈、白石麻衣の2年生バッテリーが試合前のブルペンで話していた。ただの勢いだけと思われていたが、実戦の中で彼女たちは急速に力をつけてきていた。時々、こういうチームが現れる。一試合一試合毎に驚くべきスピードで成長する。都乃木坂はまさにそんなチームだった。

試合前の挨拶、両校の選手がホームプレートを挟んで向かい合った。
生駒が白石にそっと小声で話かける。
「ね…麻衣。あれが秋元才加だよ。でっかいね。」
「前田敦子だって大島優子だって、さすが貫禄あるね。オーラが違うっていうの?」
「でもさ…こうして見ると、私達と何も変わらないよ。同じ高校生じゃん。」

「っねがいしまっす!!!」

大きな声で挨拶を交わし、生駒がマウンドに上がった。
1球2球と練習球を投げ込む。今日もいい調子だ。大会に入ってずっと好調を維持できている。1回戦から今日で7試合目。さすがに疲労がないと言えば嘘になるが、ここまで来たんだ。後は気力で投げるしかない。

1番の前田敦子が左打席に立った。どことなく落ち着かない表情に見えた。視線をこちらに向ける事もない。

構えてるの…なんか、ダラっと立ってるだけに見える。リラックスしてるっていうよりも、やる気がないって感じじゃね?まあ、イイや。行くよ。

定石通り前田はじっくりと生駒のボールを見定めた。しかし生駒も臆する事無くどんどんストライクゾーンにボールを投げ込んでいく。生駒のウイニングショットはスライダーだった。ここまで対戦した強豪校を尽く押さえこんできた生命線の決め球だ。左バッターの膝元に鋭く切れ込んでいく。カウント2-3から投げ込まれたそのスライダーに前田がバットを出した。

よし…そのコースに手を出してくれるならこっちのものだ。そこはいい当りをしてもファールにしかならない。それかせいぜい詰まって内野ゴロになるのが関の山だ。

キィィィイイィィン!!!!

快音が響いた。打球があっという間に左中間のど真ん中を破っていった。
え?なんで、あのコースをあそこに持って行けるの?なんで?珠のキレが無かった?いや…そんなはずはない。間違いなくベストピッチがいった感覚が指先に残ってる…

「2つ…いや・・3つ行ったよ!!!」
センターから中継に入ったショートを経由して矢のような送球が3塁に送られた。都乃木坂の守備もまた良く鍛えられている。無駄の無い見事な中継だった。

しかし、前田は涼しい顔で3塁に立っていた。スタンディング・トリプル。滑る事もなく3塁を陥れたのだった。

「参ったね。さすが全国No.1のトップバッターだわ。」
「ここは…1点は仕方ないね。でも、まあちょっと様子は見ようか…」
スクイズを警戒したバッテリーは次の高橋をあっさり歩かせた。無死1・3塁。打席には3番の大島が入る。小柄な身体だがパンチある打撃の持ち主だ。バットを目いっぱい長く持って立てて構える。

「なんだよ…そんな睨むなよ…すげぇ迫力…これが…秋葉のクリーンアップの迫力なのか…」
生駒の投げたアウトコース低めのストレートに大島がバットを出した。鋭い打球がセカンドの頭の上を襲う。生駒もキャッチャーの白石もセカンドを守る高山も打球の方を見た。しかし…身体が反応する前に打球はあっという間に外野の間を転々としていた。前田に次いで高橋が3塁を回ってホームに返ってくる。大島も3塁へ達した。

ベースカバーに入った生駒の顔が青ざめていった。
その背中には真夏なのに冷たいものを感じ始めているように…

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