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プロローグ

何度来てもここの空気には慣れないな…

秋元康は4フロア分が吹き抜けになったエントランスに入り天井を見上げた。
建物に入るまでに、何重にも及ぶチェックを受けている。大して中身の入っていない鞄だが、その度に中身を全部出さなくてはならない。それだけではない。財布の中身はお札の一枚一枚を検査官の目の前で広げなくてはならないし、カード類は全部その内容を控えられる。さすがに、下着姿になれとは言われないが、飛行機の搭乗ゲートにあるものよりはるかに金がかかっていると思われる重厚な探知機を通る事が必須となっている。

秋元はエントランスまで迎えに出た秘書官に連れられて、階下の部屋へ案内された。毎回違った部屋に通される事はもうわかっていたが、そこが地下何階にある部屋なのかすらわからない。しかし、秋元にとって驚きなのは、何回来ても毎回違う部屋に通されるだけの部屋数がこの建物の中に存在するという事だ。
科学技術の粋を集めた万全のセキュリティ体制と世界中の機密情報が集約するであろうこの施設の一角にいる…秋元を緊張させていたのはその事実だけではない。
これから会う人物の存在感に、秋元はいつも圧倒させられてしまうのだ。


「お待たせしました、秋元先生。」
男が部屋に入ってきた。そのまま下座に着席する。
この男の上座に座る事になるのも緊張を強める理由だ。「先生」と呼ばれる事も。
銀幕で活躍する兄に似た端正な顔立ち。ややワイルドさを帯びているのは、政界という魑魅魍魎が跋扈する世界で揉まれているせいだろうか。その言葉の一言一言に説得力が溢れている。これは父親から受け継いだDNA
の賜物であろう。

「いえ、お約束頂いた時間通りです。1分の違いもない。さすがですね。」
「はははは。時間管理は秘書の仕事ですからね。彼らが優秀というだけですよ。」
この男が若くして人望を集めているのは、こういう所だろう。時間コントロールも本人がそれを把握し、星の数ほどの陳情から重要な打ち合わせ、プレスへの対応等を対応していかなくては上手くいかない。しかし、この男はそういった事を決して自分の手柄にしない。その潔さは、ある意味政界においては貴重なものである。近い将来、間違いなくこの首相官邸の主となるに違いない…誰もがそう信じて疑わなかった。

だからこそ、この国家的プロジェクトを発動した父親から、その総責任を負う地位を引き継いだのだろう。

「さて…本題に入りましょうか。今回も進捗の報告から。その後に、新しく“エージェント”入りするメンバーとその特性についてを。」

小泉進次郎が上着を脱ぎ、シャツの袖を捲り上げた。
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1

これもダメか。全く忌々しいな…

さっきから、レベル4…クリティカルなインシデントが発生している事を意味するパイロットランプが点灯しっぱなしだ。
保守チームと一緒にその原因として考えられる要因を一つ一つ潰していく。まるで晩秋の季節に、絨毯のように散らばった落ち葉の中に一枚だけ紛れてるイミテーションの紅葉を見つけるような、気の遠くなる作業だ。

「やっぱりダメ?」
保守チームのサブマネージャーが、弱った鰯のような目で僕に聞いてくる。なんで、この人はいつもこういう言い方をするんだろう?「やっぱりダメ?やっぱり?」インシデントの管理・対応は保守部門の仕事だ。ヘルプを必要としてるなら、頼み方ってものがあるだろう?
確かに、このネットワークシステムを構築したのは僕だし、その運用に関しても僕のチームがコントロールしている。会社はPPDIOOを実践するなんてカッコいい事言ってるけど、実際はそうじゃない。設計構築運用保守…結局はスキルのある人間に仕事が集中するのは、いつになっても変わらない。

元々東大を出て研究職に就くつもりだった。教授もそれを期待していたと思うし、ネットワークインフラの国家戦略に関わってくる事項を題材とした研究にはそれなりの意義を見出していた。
でも、僕は一般企業である今の会社に入社するという進路を選んだ。
誰もが驚いたし、誰もが引きとめようとしてくれた。と、同時に、僕が一度自分で決めた事を絶対に曲げない事も誰もが知っていた。
なぜ?入社して5年経った今でも、それを上手く説明する事は難しい。というより、その理由を僕自身、明確に持っていなかっただけなんだろう…。とにかく、あの時はそうする事がまるで自らに課せられた定めのように思えたんだ。神のお告げとまで言うのは言いすぎだろうけど。



370坪ある広大なオペレーションルームには、常時50人近いエンジニアが24時間体制でネットワークの監視をしている。
ネットワークサービスの機器販売から、導入準備・システムの設計から保守と管理までを取り扱うネットワーク大手の位置づけをされているのが、僕が勤務する会社だ。

その中でも、このオペレーションルームによる集中遠隔保守は最大の売りだ。どこかで、システム上の不具合…インターネットが繋がらなくなった、メールが届かない、といった軽いものから、操業ラインが動かない、オートマチック回路が寸断される…といった原因究明に時間がかかり、しかも緊迫度が高いものまで…が発生すると、アテンションが鳴らされ、その原因究明と対応策、場合によってはメンテナンスに必要な機材を24時間、全国どこのクライアントへも2時間以内に届けるというサービスだ。

このオペレーションルームはまさにそのサービスの機関部であり、そこで働くエンジニアはまさにプロ中のプロ…といけばいいんだけど、そうはいかないのがこの仕事の難しさ。まあ、僕の人事評価がいつも最高ランクなのは、ここで人が出来ない所まで存分に辣腕を発揮している…とされているからなんだけど。


普段は残業なんて厭わない。働けば働くほどそれだけ収入は増えるし。幸いウチは世間で言う「ブラック企業」ではない。過重労働を強いられてるって点では大差ないかもしれないけど、その分の手当てはしっかり15分単位まで支払ってくれる。
ただ…今日はダメだ。最悪、徹夜になったとしても、絶対に明日のお昼までには片付けなくちゃ。どんな事をしてもだ。

だって、お昼の新幹線に乗らなきゃ、名古屋での劇場公演に間に合わない。
この日の為に、ホールコンサートも総選挙も横アリ単独も干したんだ。狙いを定めて見事ゲットしたチケット。
ゆりあの生誕祭に入ること意外に、優先される事なんて何もない。

「さ、次のテストに移ります。」
お前タフだな…そんな声が聞こえた。
当たり前じゃないですか。ここで頑張らなきゃ、いつ頑張るんですかって。

今でしょ?
ああ、もうそんな事言う人、誰もいないですけどね。


2

事態がようやく終息したのは、明け方近くになってからだ。
この一手が上手くいかなければ、もう八方塞がりだ…土壇場で打った手が起死回生の策になるって事は、この仕事をやってると良くある話だ。ただ、僕の場合は他の人よりもそういう事が多いんだけど。
昔からそうだった。陸上部に所属して、かなりの成績を残した。最後のインターハイでは、3年間どうしても勝てなかったライバルを最後の最後のレースで破って優勝出来た。
部活に明け暮れてたので、壊滅的な数字が並んでいた学校のテストも引退後、ひたすら勉強に打ち込む事で受験の時には東大合格者の一員に現役で名を連ねる事にも成功した。

僕は今でも思ってる。成功をイメージする事を辞めなければ、大抵の事は突破口が見つかるんだって。

品川駅から程近いオフィスを出ると、外は白み始めていた。
冬のきーんとした空気が寝不足の身体を覚ましてくれる気がする。

自宅は浜松町近くにあるマンションだ。北向きで日当りには恵まれないが、それよりも都心の夜景を一望できる高層階からの眺めが気に入って昨年購入したばかりだ。20畳のリビングを有する2LDK。
「一人暮らしには広すぎますけど、ご結婚してご家族をお持ちになった時、非常にイイと思います。」
営業マンは熱心に勧めてきたけど、買うのを決めるのにそんなセールストークは全然関係なかった。第一、僕は結婚なんてするつもりは、これっぽちもなかったし、第一、結婚なんて出来っこない…そんな風に考えていたし。

マンションに戻り、熱いシャワーを浴びる。一晩中PCのモニターと睨めっこしていたせいで、身体には倦怠感がまとわりついていたし、頭の芯の部分が軋むように痛みを訴えていた。恐らく、僕の身体はすぐにでも横になって休む事を要求していたのだろう。しかし、そんなリクエストを全てダストボックスに仕舞こみ、僕は出掛ける支度に取りかかった。
今日は「正装」でなくてはならない。
公式の生誕Tシャツ。サイリウムは黄色とピンクの2本持ちだ。昨年末に始まった新公演のユニットの衣装に合わせた薄いピンクと元々の推しサイのピンク。一応チームカラーのオレンジのサイも用意した。
手元はTIMEXの時計。もちろん、グレーと白のストライプにアクセントでピンクのラインが入ったバンド、ゆりあデザインのモデルだ。

ネットで新幹線の時刻を調べるまでもない。今の時間からなら余裕を持って劇場に入れる。
サンシャインの地下で、久しぶりに顔を合わせるヤツもいるだろう。生写真の入ったアルバムもキャリアケースの中に入れた。出たばかりの劇場盤の写真、随分だぶってしまったモノがある。最近は写真のレートも大した事ないけど、人気が広がってきたのか中高生や小学生の女の子なんかが、少ない写真を持って自分の推しメンの写真とトレしようと集まってる事が増えてきた。そんな子には、基本無償で写真を上げたりする。「やったー!ゆりあの写真だー!」なんて喜んでくれたら、こっちも嬉しくなってくるからね。

名古屋までは1時間半ちょっと。あっという間だ。
名古屋駅につくとチラチラ雪が舞い始めていた。2/11。今日はゆりあの18歳の誕生日。
ホワイトクリスマスじゃなくて、ホワイトバースディなんて言葉あったっけ?
僕は一瞬考えて、すぐに気がついた。
じゃあ、夏生まれの人はどーなるんだって。
まったく、ゆりあの事になるとダメだな。途端にヲタ丸出しになる。

夜の公演までは、まだ時間がある。寒さのせいか、地下広場にも余り人がいない。
祭日なのにな…
僕は凍えるような寒さに身をすくめた。こりゃ今日は格段に寒いや。
それじゃなくても寝不足なんだ。風邪でもひいたら話しにならんぞ。
カフェで暖を取る事にしよう…僕はエスカレータを登った。TUTAYAの店内を通り、カフェのあるフロアに上がった。同じように寒さから逃げ込もうとした日がカフェの前に列を作っていた。少しの時間待って僕はカフェに案内された。

「ふうううう寒いねぇ。カフェラテのホットにしようかな。」
僕は制服を模したコスチュームの制服(なんかややこしいな。でも、そう表現するのが正解なんだろうけど)に身を包んだ店員さんに話しかけた。何度か見る顔の子だ。
「かしこまりました。少々お待ち下さいね。では、こちらからコースターをどうぞ。」
僕はコースターを一枚、コースターサーバーから抜き取った。
ビンゴ。
ゆりあのコースターを一発で引き当てた。

おっしゃ、幸先がいいな。
今日の公演良順で入れるかもしれないぞ。

心の中で小さくガッツポーズをして僕は思わずニヤついた。
遠目からまるでスナイパーのような視線で僕を監視する二人の男がいた事なんて、気づきもしなかった。


3

生誕祭の日はロビーの様子からして普段とちょっと雰囲気が違う。
有志によって贈られた花束(メンバーのキャラに合わせて実に様々な趣向が凝らされている)が飾られたり、生誕メッセージカードを集めて作ったアルバムなんかも並んでたりする。普段は小さな箱に所定の用紙を添えて投げ込むだけのプレゼント受付もゆりあ専用の大きなボックスが用意されたりしている。

僕は生誕実行委員とか、そういうものに携わったことはない。
馴染みのヤツ等にはやろうって誘われるんだけど、なぜかそんな気になれなくて。
もちろんカンパはしたし、握手会でメッセージカードを集めるのを手伝ったりはしたけど。

手紙を書いたりプレゼントを贈ったりした事もない。嫌とかそんな訳じゃない。
ただ単に今まで女の子に手紙を書いたことがないから、何を書けばいいかわからないし、プレゼントなんて贈った事がないから、どんなものが喜ばれるか皆目見当がつかないだけなんだ。


チケットの販売が始まった。チケット売り場で自分の当選番号を告げ、身分証明書を提示する。
そこで渡された整理番号が、後ほど行う入場順を決めるビンゴマシーンによる抽選の際に大事になってくる。
僕は周りの様子を伺いながら、チケット販売の列に並んだ。購入が早い順から001、002...といった感じに採番されていく。70番台…今回、僕はその辺りの整理番号がくるよう列に並んでいる。

安いおもちゃのようなビンゴマシーンによる抽選だ。大して意味がないかもしれないが、僕は何事もデータと照らし合わせ物事を考える癖がついている。毎回、何番代が上位で呼ばれるかはインターネットの情報が教えてくれる。数学は得意中の得意だ。確率統計上、今回は70番台…外れても構わない。僕は単に「結果論」でラッキーが来る事が嫌いなだけだ。術を尽くした上でのラッキーならそれは「成果」として捕らえる事が出来る。しかし、何も為さずに得たラッキーには何か「しっぺ返し」があるような気がしてならないのだ。

「当選番号157番です。」
僕はゴールドの運転免許証と入場チケットの代金3000円をカウンターに差し出した。
受付の女の子が免許書をチェックして端末を操作する。
女の子は僕とおそろいのTシャツを着ていた。隣の端末を操作してる子もそうだ。劇場スタッフも案内係も、警備員までがゆりあの生誕Tシャツ着用だ。
栄の劇場スタッフは、普段からメンバーのシャツやツアーTシャツを着てることが多い。
秋葉原のように派遣会社のシャツなんて無粋なものは着ない。

女の子は僕の免許証と端末の画面を何度も何度も見比べた。その間に、僕の顔をチラチラを覗き見る。
免許証→画面→免許証→僕→画面→僕→免許証って感じだ。
最初は、気にも留めなかったけど、さすがに段々不安になってきた。
あれ?確かに今日の当選だったよな?いや…不正とかしてませんし…まさか、ブラックリスト?いや…ちゃんとキャラアニもmumoも毎回クレジット決裁できちんとCD全部買ってます。大量に当選しちゃったからって干したりもしてないし…

その様子を見ていた、ちょっと人相の悪いスタッフが飛んできた。
女の子にからちょっと乱暴に僕の免許証を奪い取って僕に差し出した。

「大変失礼致しました。こちらをどうぞ。」
オレンジ色のチケットが手元に来た。072番、ちょっとバタバタしたので心配したけど狙い通り70番台が来た。
「いえ、大丈夫です。何かマズい事でもあったのかと、ちょっと心配になりましたけど。」
僕はそうスタッフに言った。

うん?スタッフ?一人だけスーツを着てる。しかも、見るからに高級そうな仕立てのスーツだ。
Tシャツ姿の周りのスタッフとは明らかに雰囲気が違う。
まあ、いいか。ちゃんとチケットは買えたんだから。
今一番大きな問題は、何順目に入場できるかどうかだ。
1順とは言わないが、せめて5順目位までには入りたい…


拡声器を持ったスタッフが脚立の上に立った。
ビンゴマシーンがからからと音を立てて回り始める。

「え~入場順…最初は…70番台の方。」

うぉおおおおおおおおおおおお
キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!
僕は前後に並んでる人と思わずハイタッチして喜びの声を上げた。
作戦勝ち…とは思わない。願掛けのような事をしただけに過ぎない。
しかし、だからこそ、このラッキーは素直に嬉しく感じる。


4

「ええええええええええええーーーーっ。ちょ…ちょっと…ゆりあ、こっち来(こ)やー。」
「なんだよぉ。もー公演始まっちゃうからあ。やだ…もう痛いって須田ちゃん。そんな強く引っ張らないでよぉ。」
「そんな事いったってさ。ねぇ、マジで言っとる?なあにぃ、一言も亜香里に相談なかったに?」
「須田ちゃん、ちょっと訛り出てるって。それに…声大きい。」
「そんな事、言っとる場合じゃないって。本気なの?」

普段から大袈裟なリアクションをする事で知られる須田亜香里だが、本気で驚いた時や興奮した時には、隠している名古屋訛りがかなり強く出る。だから、あかりんはわかりやすい。メンバーには良く言われる理由だ。
特に、ゆりあ・あかりん・ゆっこ。初期Sに同じ時期に加入し、厳しい環境を共にしてきた、3期の三人の間には、他のメンバーからは計り知れない程の強い絆があった。
特に、1年前の組閣でバラバラのチームに別れてからは、その傾向が強くなった。

だからこそ、18歳の生誕祭の開幕直前にゆりあの口から出た「卒業」の言葉は衝撃だった。

「あのね。やっとじゃん。ずっと、今日この日から始まるコトの為に頑張ってきたんでしょ?やっと、やっと、私達同じ「同志」になれるんじゃん。私ね、ずっと待ってたんだよ。ゆりあのコト。なのに…なんで?」
「うん…それは、そうなんだけどね…ワタシね…」
下を向いていたゆりあが、ちらっと須田の顔を見た。すぐにまた下を向く。

…あー怒ってるよ…須田ちゃん…怒るとコワイんだよなぁ、須田ちゃんって。ホントは。真剣に怒ると、自分のコト「ワタシ」って言うんだよなぁ。ホントわかりやすい…ってそんなコト言ってる場合じゃないよなぁ。あー、もうあと5分で始まっちゃうよ。どーしよう。何ていえばいいんだろう…

「でもさ、今日はやめようよ。そりゃ、りかこさんは自分の生誕祭で卒業発表したけどさ、あれはりかこさんだからまだ納得してもらえたんだと思うし。今日、ゆりあがおんなじコトしたらさ…ね?一昨日、あんなコトがあったんだよ?これで、ゆりあまで…ってなったら、どんな騒ぎになるか…」

一昨日…あーそういや、そーだった。てか、完全に忘れてた。そんだけ、ワタシてんぱってたって事かなあ。確かに今日すぐって訳じゃなくても大丈夫なのかな?それに、すぐ「任務」に就けとも言われてるわけじゃないし。
でも…玲奈さん。すっごくイイ顔してたと思うんだよなぁ。今のワタシじゃあんな綺麗な涙を流すなんて、まだ出来ないだろなぁ…
でも、今やらなきゃ…
須田ちゃん…ワタシは大人になんてなりたくないんだよ…


ナゴヤドーム単独公演を終えたばかりのSKE48に過去最大の衝撃が走ったのは僅か2日前の事。
今年の春コン。ガイシコンサート限りで松井玲奈の卒業が発表されたのだ。

5

楽しかったなぁ。ホントに最高の生誕祭だった。
やっぱりこのS新公演は、ゆりあと茉夏の為に構成されたんだって良く言われる通りだな。
まあ、劇場の茉夏は間違いなく天使なんだけど、今日のゆりあは全然負けていなかった。
生誕祭だからって気負ってる感じもなかったし。

あかりんからの手紙はびっくりしたなぁ。あーあかりんかあ。わざわざ録音してなんて、初めての試みじゃない?って思ってたら、ホントにステージ脇で読んでたなんて、すっごい良いサプライズだったね。
最後の挨拶も、言葉を選ぶように話してたのが印象的だった。
18歳かあ…ちょっと大人びて見えたのは、気のせいじゃないよね。

劇場の外に出ると、雪が本格的になっていた。
うっすらと栄の町が雪化粧を始めていた。

名古屋に泊る時はいつもアパホテルにしている。
中日ビルの裏手。キャバクラや余り上品ではない店が並ぶ飲み屋街にある。
会社の福利厚生で驚く位安く部屋が取れる事もあるが、ヒルトンやマリオットのように、いかにもって感じの高級感溢れるサービスが肌に合わないってのが大きい。ロビーでコーヒー一杯頼むだけで、茉夏の握手に行く時並の緊張感を味わうのも、なんかなぁ…って思うし。

サンシャインからホテルまでは歩いて10分かからない位だ。一人っきりなので、栄で遊ぼうかって気分にもなかなかならないし。風俗のお姉さんの客引きにあうのも苦手だ。僕はまっすぐホテルに向かった。

さ…寒い…
夏の暑さも格別だけど、名古屋の冬の寒さもまた厳しいものがある。
こりゃ、軽く一杯ひっかけないと眠れそうにないぞ…
僕は怪しげな看板を掲げる店々の中に、不釣り合いな程洒落た感じのバーを見つけた。
重厚なドアと、それを照らしているランタンは、電気ではなくガス式の本格的なものだ。

ドアを開けた瞬間。
当りだ!僕は心の中で小さく喜びの声を上げた。
カウンターに使われている木は、一目で無垢の大木を使っている事がわかるのもだし、スツールは高さも素材もまさにこれ以上のフィットさは無いだろうと思えるものだ。
客は僕の他に数人のみ。見るからに上品な佇まいの男性だけだ。

「いらっしゃいませ。」
バーテンダーが美しいバリトンで僕を迎えた。しっかりと通るが、決して他の客の邪魔にならない計算され尽くしたトーンの声だ。
余計な事は何も言わない。今日のおススメのカクテルは…なんて言い出さないのが、良いバーの条件だと僕は思っている。その意味でも、間違いなく合格点のバーだ。名古屋に来る楽しみが一つ増えたかも…僕は思わぬ幸運にとても嬉しくなった。今日の公演の素晴らしさ、2順目で入れた事…どうやら、今日はイイ日だったに違いない。

こういうバーはある意味男としての格が問われる、そう戦いの場だ。
ここで「メニューは?」なんて聞いたら負けだ。かといって、変なカクテルなんかを通ぶって頼むのも愚の骨頂。僕は、ここぞって時にだけのオーダーを切りだす事にした。

「すみません」なんて声をかける事はしない。このバーならわかってくれるはず…
そう思った瞬間、バーテンダーがほんの2ミリだけの笑顔を僕に向けた。絶妙のタイミングだ。
「今日はイイ日だったんだ。一日の最後をその素敵な気持ちのまま終えたい。」
「かしこまりました。」今度は2.5ミリ…いや、3ミリだな。ほんの僅かに目を伏せただけでバーテンダーが僕に伝えた。ますます素晴らしい。上手いワインを飲みたい時はソムリエに、上手い酒を飲みたい時はバーテンダーに任せればいい。それが僕の持論だ。

僕はバーテンダーの全く無駄の無い動きに見惚れていた。
安っぽいバーだと、無暗にシェーカーを振りまわしたり、酷い時にはそのまま踊ったりするバーテンダー…いや、彼らをそう呼ぶのは、本物のバーテンダーに失礼だ。そう彼のように。
完璧に計算された動きは、カクテルに命を注ぎ込む。
シンプルなギムレットが僕の前に静かに差し出された。
素晴らしい。何もかもが素晴らしい。

カクテルは3杯目だ。それを最後に席を立つと決めていた。
すごくイイ気分になってはいたが、酔ってはいない。
こんな素敵な空間で酔っぱらうなんてもったいなさ過ぎる。ちゃんと余韻を残した所で席を立つ。
それが、素晴らしかった一日を終えるコツだ。僕はそれを知っていたし、バーテンダーもそれを分かっている。
3杯目を飲みほしても、新しいオーダーを待とうとしていなかった。

ふと、突然何かの違和感を感じた。
なんだろう?ふと、僕は周りを見渡した。
相変わらず数人の客だけだ。それぞれが、この素敵な空間で一日を終える幸せを味わっていた。
聞き取れるか取れないかのボリュームで、コルトレーンのバラッドがYAMAHAのモニター・スピーカーから流れている。デジタル処理なんかされていない…スクラッチノイズすら音楽の一部になっている。コルトレーンが神と出会って方向を歪める前の静かな静かなチューンだ。

その違和感の元は、奥のほうのカウンターではないボックス席から発せられていた。
暗い照明に沈んでその姿は確認できなかったが、僕は気配でその姿が最近…ここ数カ月、何度か僕が感じていた違和感を感じさせる何かと似ている事だけを把握した。

誰かに見られてる?

いやいや。ここは名古屋だ。
きっと、何かの勘違いだろう…

その時そう思った事は、もちろん大きな間違いだった事に僕は気づく事になる。

そして、これが僕達の逃避行の始まりなんだったって事も。

6

困るんだよなあ…そうやって目の前で腕組みをしたまま黙り込まれると。
そうか、それって俺がいつもやってる事か。
コレやられると下の者はなんて声かければいいかわからなくなってしまうんだな。うん…気をつけよう。

かれこれ10分以上になろうとしていた。
小泉Jr.の眉間には深い皺が寄っている。二つのモニター画面を交互に覗き込む表情は父親そっくりだ。本人はそう言われると「光栄ですね。」と答えているが、おそらく本心は違うはずだ。彼が抱えている野心を果たす為に、親の七光りだろうが何だろうが、使えるものは全て使おう…そう思ってるだけにしか過ぎないのだろう。

「秋元先生。松井玲奈さんの卒業は本人の意思ですか?」
ようやくJr.が口を開いた。来るだろうな、そう思っていた質問だ。
「いえ、本人はもう少し頑張ると言ってたのですが…」
「確かに、第1メイト開拓力も第2メイトへと覚醒させるのにも、かつて程の実績はなくなっている。だが、まだその力はグループ屈指ではないのでしょうか?彼女が抜けたとして、誰がそれをカバーできるのでしょうか?」
「やはり年齢が進んでくると、どうしても解脱が進む傾向がありまして。もっとも、大島や小島のように特殊なケースもありますが…」
「しかし、松井玲奈さんはまだ22歳ですよね?彼女がそうだってなると、主要メンバーはこの先なかなか期待出来ない…そうなりますよね?だから、世代交代を急ぐ必要があると、常日頃申し上げてきた。あなたも、そうおっしゃってましたよね?」
Jr.の言葉は柔らかい…が、ジャックナイフのような鋭さがあった。
物静かに見えるのだが、下手な事を言えば容赦なく鋭利な視線で突き刺してくる。そういえば、いたな…こんな迫力を持った子が。

仁藤か…アイツは良かった。
アイツくらいじゃないかな。私に緊張感を抱かせたメンバーは。
そういう意味では、アイドルなんかより政治家にでもなったほうが、アイツの為には良かったのかもしれないな。
今となっては、そんな事など決して出来ないのだけど。

「世代交代でしたら…」
「進んでいる…と?」
Jr.の目線が再びモニターに注がれた。
「確かに、第1メイトの開拓に貢献してくれてる方は増えました。特に島崎遥香さん、川栄李奈さんあたりは。しかしですね…肝心なのはきちんと2次レベルに覚醒させなくては意味がありません。島崎さんなどは、2次覚醒実績が皆無と言ってもいい位ですからね。最近では、須田亜香里さんや渡辺美優紀さんの数字に圧倒されているじゃないです。第一覚醒でのデータも、古畑奈和さん、宮脇咲良さん、朝長美桜さん辺りに急迫されている。もはや、地方をメインにプロジェクトを進行させるべきかもしれませんよ?」

「おっしゃるとおりです…」
秋元は眼鏡のフレームに手を当てて、そう答えるのがやっとだった。
「秋元先生。私がなぜ父…いえ、小泉先生からこのプロジェクトを引き継いだのかおわかりですよね?ただ単に、このプロジェクトの発起人が私の父であった…という事ではありません。誰よりも48グループの事に詳しいのが私だったというだけの事です。」
「よく、存じております。」
「まあ、いいでしょう。超選抜世代の後のシームレスな継承は上手く行かなかったとはいえ、その次の世代にはかなり期待できるメンバーが多そうですからね。本部も地方も。」
「ええ。更にグループ拡大に努めてまいりますので。」

「それでは、定例MTGはここまでで…今日は、秋元先生にお見せしたいものがあるんですよ。」
「おお、ひょっとして…ですか?」
「ええ。ついに本稼動をスタートする事が出来ました。ぜひ、ご覧になって頂きたいと思いまして。」

最近ではなかなか見なかったレベルの、少し緩んだ笑顔になったJr.の後に続いて秋元は部屋を出た。すぐに2名の秘書官…とは言っているものの、明らかに風貌がそれらしくない、屈強で軽快な男…が前後を守るように歩き始める。

入り組んだ廊下の奥にあるエレベータの前を二人の守衛が守っていた。
Jr.すら厳重なボディチェックを受けている事が、このエレベータがいかに重要なものなのかを意味している。
「何しろ、国家の最高機密ですからね。」
Jr.の笑顔が逆に秋元を緊張させた。

エレベータの中には、階数表示のボタンも何もなかった。ドアが閉まると自動的にするすると動き出す。体感的には相当高速のエレベータだ。しおかし、登っているのか下っているのか、それとも横に移動しているのか…それすら秋元には感じ取る事が出来なかった。

到着を知らせるチャイムもなく、そして音もなく扉が開いた。
その先にはまた長い廊下。
元いた場所との位置関係など、もはや全然掴めなくなっていた。
無論、そうなるよう設計されているのだろうけど。
廊下の突き当りには、銀行の大金庫のような扉があった。
「秋元先生、この鍵を差し上げます。その前にまずこちらを覗いていただけますか?網膜認識の登録を致します。」
秋元が運転免許センターで視力検査をする時に使うような機械を覗き込んだ。あっという間に電子音がなって登録完了を知らせる。
「オッケイです。では、この鍵を…お一人では絶対にこれは開きません。二人同時に回さないと…よろしいですか?いち、にー…さんっ」
超近代的なセキュリティには似つかわしくないクラシカルな鍵を右にぐいって回すと、大きな音がして扉がゆっくりと開いた。

秋元は扉の向こうに広がる光景に思わず息を呑んだ。
相当、いや凄まじいほど大げさなものを予想していた。
しかし、目の前に広がっているそれは、自分の想像力のスケールの小ささを思い知らされるものだった。

向こう側が見えないほどの広大なスペースの側面一面にモニターが並んでいる。部屋…これを部屋と呼んでいいのか分からない程に広大なのだが…の大きさの為に小さなものに見えるが、家庭用テレビのもっとも大きなサイズほどは優にある。何千?いや…万の単位なのかもしれない。そのモニター一つ一つには鮮明で明晰な画像で人物の姿が捉えられている。そして、そのモニターを見つめる大勢の人間達。みな同じようなスーツを着込み同じ姿勢でモニターをチェックしている。秋元はその中の一人の表情をちらっと見てみた。しばらくの時間が経ち、その男が瞬きをするのを見て、ちょっとホッとした。とても、人間に思えなかったが、どうやら人間らしい…

その一角に、さらに厳重にセキュリティされた部屋がある。
「あの中が…?」
「そう、わが国の科学技術の粋を集めた、まさに心臓部です。わが国の命運を握っているエリアと言っても良いですね。」
秋元が息を呑んだ。
その音が、まるで爆弾が爆発したかのように周囲に響いたような気がした。
ここに入った時と同じようにして、そのエリアに入った。

空気が違う。
そのエリアにもやはり無数のモニターがあった。
しかし、それをチェックしている者たちは、それこそ人間に到底思えなかった。瞬きどころが、呼吸すらしていないのでは?そう思うほどだ。

モニターには、やはり鮮明な映像で若い男達の姿を映し出していた。
そして…AKB48G全メンバーの姿が。

7

「あ…こんにちは。ゆりあ…ちゃん…」
「あ、こんにちは。美宥…さん…」

変なトコで会ったね…そんな顔で二人は顔を見合わせた。
AKB48チームBの竹内美有と木崎ゆりあは、慶応病院の別館廊下で一緒になったのだ。

「あ…」「あの…」
同時になにかを話しかけようとして、思わず二人はくすっと笑い声をたてた。
「ねえ、ゆりあちゃん、今日って?」
「ええ。一緒ですよね。多分。ワタシ達同い年ですよね?」
「うん。ねえ、敬語やめない?なんか、変なカンジ。」
「わかった。だよね~そんな気がしてた。」

ゆりあがにっこり笑って、手に持っていたクッキーを一つ差し出す。
「美宥ちゃんも注射と検診は終わったんでしょ?もう食べてもいいよね?」
「うん。ありがと。そういや、さっき穴井ちゃんと、荻野さんも来てたよ。午前中の組だったみたい。」
「あ~そういや、おぎりー今日って言ってたなぁ。穴井ちゃんって、HKTの?そ~かあ。キャップも18歳なんだ。」
「他にも何人かいたみたい。ねえ、ドキドキするよね?いよいよだもんね。」
美宥がつぶらな瞳をキラキラさせて言う。ゆりあは一瞬返事に詰まってしまった。
可愛い…すっごく笑顔が輝いてる。同い年なんだよね…
そうか…そういや、おぎりーも昨日言ってたなぁ。なんかワクワクしますねって。

「美宥ちゃん、ワタシ達、今度の握手会がね…」
「そーだよね。ワタシ最初握手会苦手で~…上手くファンの人に笑顔向けれなかったの。だから、全然一次も取れなくって。ゆりあちゃんは、そんな事ないでしょ?人気あるもんね。可愛いし。笑顔も素敵だし。」
「そんな…ワタシの笑顔なんて…」
「でもね。最近…そんな事なくなってきたの。湯浅さんにも言われるんだ。美宥、ようやく18歳直前で自覚が出来たんだなって。めでたいって。」
「湯浅さん?」
「そう、すっごいイイ人だよね~湯浅さんって。」

やっぱり、普通はそう思うんだよね。うん。
自覚か…
やっぱりワタシって出来ないコなんだよな。
須田ちゃんには止められたけど、ここにいる資格がないのかもしれない。

「ワタシね…」
美宥がすっと真面目な顔になってゆりあに向かって語り始めた。
「ずっとずっと、誰かの役にたちたい。何か自分じゃなきゃ出来ない事をしたい。そう思ってたの。でもね、なかなか何をすればいいかが見つからなくて。15歳の時にAKBに入ってからも、先輩達がとても一生懸命、使命感に燃えて頑張ってる姿を見て、自分って何も出来ない情けない子なんだって。でも、これからは頑張る!ワタシだってやれる事があるってわかったんだもん。」
美宥の視線はまっすぐだった。ゆりあは一瞬、その真っすぐさに吸い込まれそうになった。

美宥ちゃんって、本当に真面目なコなんだ。
それに比べてワタシって…

8

去年の秋。ハートエレキの個別からだ。納品書が無くなって、個人情報が握手券に印刷されるようになった。
納品書をセットで持って行かなくても良くなった代わりに、一枚一枚切り離さなくちゃいけなかったり、サイズが小さくなったのに紙質が悪くなったから逆に嵩張ったり…今まで通りで良かったのに。

週末の握手会の為に、握手券を切り離す作業をしながら、僕はマンションの一室に防音を施して作ったオーディオルームでリラックスした時間を過ごしていた。
今回の握手会は、なんたってゆりあの生誕祭直後に行われるものだ。僕は出来る限りの戦略を練り、ゆりあの握手券を40枚確保していた。いつもより、ちょっと多めの枚数だ。ここ最近ずっと三次では当らなくなっているので、二次でどれだけ確保できるかがポイントだ。

え?もっと行こうと思えば取れるだろうって?

そうはいかない。
一次の3枠は玲奈を確保する為に使わなくてはいけないし、二次だってあかりんに突っ込む分はとっとかないといけない。茉夏や舞茸は4次以降でも大丈夫だけど、ちゅりやなんなおは3次でも外す事があるから難しいんだよね。まあ、いつも結局3ケタ行くか行かないかって位になっちゃうんだから。
CDだけじゃない。公演は当れば極力仕事をどうにかして名古屋に行くし、DVDや生写真・グッズ…毎月相当額の出費がある。あと、マンションのローンもあるし、自炊は一切してないから外食代や飲み代だってかなりのものになる。
随分サラリーがいいんだな…って言われるかもしれない。確かに、スーツはいつもゼニアのス・ミズーラだし、靴はジョン・ロブのストレートチップかオールデンのチャッカブーツを愛用している。「正装」の時計はTIMEXゆりあバージョンだが、ビジネスシーンでは、ロレックスのシルバー・デイトナをつけている。これもローンだけど、クルマはアルファ・ロメオに乗っているし、ロードバイクはサーヴェロのカーボンフレームにDi2のコンポを組んだ贅沢仕様のものだ。

しかし、僕がネットワークエンジニアとして得ている収入は年収ベースで740万円程だ。同年代のサラリーマンに比べると多い方だとは思うが、さすがのそのサラリーだけではこの生活は維持できない。


メール着信を知らせるアラートが鳴った。営業メールも毎日山のように来るメール全てにアラートを鳴らすようには、もちろん設定していない。ある特定の差出人からのメールだけだ。
僕は、添付ファイルを空けると同時に、もう一台のデスクトップPCを起動する。

今日のミッションは…なになに…なるほど、これは最近ベルギーを拠点として、主にユーロ圏内の小さめの地方銀行を中心にフィッシングのような小さなコトばっかりやってるヤツらだな。ん~…面倒な割にギャランティが低いよな…でも、今月はちょっとサボってたしな。ま、いいか。腕を錆びつかせない程度の仕事にはなるだろう。

デスクトップの画面が立ちあがった。
余計なアイコンは一切ない。黒の背景に黄色のピースマークが浮かび上がる。
コード・ネーム【Peace】僕のもう一つの顔だ。
もちろん、ゆりあぴーすから取った。

世に蔓延るネット上のテロリスト達を一網打尽にしている、通称「スマイル・ピース」。
現代のネット社会上の「賞金稼ぎ」として恐れられているヤツのコードネームが、まさかこんな可憐なアイドルから名前を頂いてるなんて、きっと誰も思わないだろう。


9

結局、ベルギーの一味を駆逐する(最近ハッカーの間でもこの「駆逐」って言葉が流行ってる)のに3日を擁した。苦労した割りにギャラは少ないが、欧州中央銀行へのルートを解析出来たのは、不幸中の幸いだった。こういう経験値を上げる事が出来る仕事には、こっちから金を払ってもいいくらいなのかもしれない。

At all, you guys were good in friend.
(まったく…お前達が味方で良かったよ)
クライアントからいつもの労を労うメールとともに、今回のギャラとして78,000ドルが振り込まれた事を知らせるアラートが届いた。

さて…と
おいおい、もうこんな時間じゃないか。
僕は慌てて身支度を整えマンションの部屋を飛び出した。
地下駐車場から赤いSportivaを滑り出し、湾岸線を幕張まですっ飛ばす。

何とか2部の開始時間に間に合った。
まずは、ゆりあのレーンだ。やはり、一日の始まりはゆりあに挨拶をする所から始めないと。

ピッ。
受付の女の子がリーダーで握手券を読み取る。
「3枚で宜しいですか?」
「はい、お願いします。」

2部はこの3枚だけだ。
今日一日ヨロシクねって言う位でいいかな。
あ、生誕祭。むちゃ良かった~ってちゃんと言わなきゃね。

「…?」
受付の女の子がなかなか握手券を戻してくれない。
一生懸命、何度も何度もリーダーで握手券を読み取ろうとするが、上手くいかないらしい。
「大丈夫?」
後ろにも列は長く伸びている。僕は、なんとなく居午後地の悪さを感じてしまった。
「あ…申し訳ございません。」
明らかに女の子は動転している。こういうエラーが発生した時の指示がきちんと出来ていないのだろうか?恐らくアルバイトだから仕方ないのだろうが…

「あのさ、後ろの人を先にやってあげてもらえるかな?ほら、無線あるんでしょ?誰かシステムの分かる人を呼んでさ。僕ならいいから。2部はゆりあしか無いし。」
「申し訳ございません…」
僕の後ろに並んでる人は特にトラブルが起こっていない事を考えると、単純な読み取りエラーだろう。
もちろん握手券は正当に入手したものだ。ハッカーをやってるんだから、幾らでも悪さ出来るんだろう?って思われるかもしれない。正解を先に言うと、握手券の不正入手や劇場公演等のチケット抽選に作為を働く事は、正直朝飯前の事だ。でも…僕は絶対にそれはしない。正義感とかそういうモノじゃない。ただ、ヲタ活動は僕の一番大切な時間だ。そんな楽しい時間を、汚れた手段なんかで楽しむつもりは、これっぽっちもない。

「大変失礼いたしました。どうぞ、お進みください。」
現れたスーツの男は、握手券をちらっと見ただけで僕をレーンの中に通した。
事前に連絡がきちんと取れていたのだろうか。何か聞かれるのかと思っていたのだが、ちょっと拍子抜けした感じがした。
まあ、いいか…

すぐにゆりあのブースの前に来た。
最近はすっかり握手強メンとしての評価が定着してきたゆりあだ。
ブース前にはOJSの方が立ってヲタの手のひらチェックに余念がない。

「間もなくで~す。お時間で~す。」
ストップウオッチを持った係員の女性が機械的な声で知らせる。
スライダーマシンに乗ったかのような横移動で剥がしが僕の前のヲタをブースの外へと流しやる。

「3枚で~す。」
僕の番になった。ゆりあが満面の笑みで迎えてくれる。
「お~おはよ~」
「おはよ~、ゆりあ誕生日おめでと。ちょっと遅れたけど。」
「てんきゅー。あ、こないだ来てくれたでしょ?」
「生誕祭?もちろん。初めて最前で見たよ。」
「レス送ったのわかったぁ?」
「わかったよ~むちゃ高まったし。」

ん…?今日、随分剥がしが緩くね?
まだ2部で空いてるから?いや…そんなコトないよな…
そう思った時、OJSのオジ様が持っているトランシーバが小さな音を立てた。
アラーム?サイレン?音量は小さいがそんな感じの音だ。

「おっといかん。君、手伝ってくれ。」
オジ様がブースのカーテンをさっと引いて閉じた。
そのままタイムキーパーの女性と一緒に姿を消す。
「あのぉ…」
「君もだ。ちょっと来たまえ。手が足りないんだ。」
どうすればいいのか困った表情の剥がしも、オジ様に言われるままのその場からいなくなった。

「あの…」
「あの…」
「いいのかな?」
僕はゆりあの手を握ったまま、ぽかんとした表情になった。
ゆりあも大きな目を一段と大きくしている。
「迷惑?」
「え?そんな訳ないじゃん。むしろラッキー。」
僕のとっては、このアクシデントはまさに降って湧いたようなラッキーだ。
「じゃあ、お話しようよ。ね。」
ゆりあの天使のような笑顔が目の前にあった。
「あ…うん。ありがと。でね、こないだの生誕祭ってさ…」
遠慮なんかしなくていいや。
ゆりあもそう言ってくれてるし。

最近ツイてるなぁ…



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「スペシャル・メイトだ…久しぶりの。しかも、S…いや、超Sクラス判定のメイトだ。誰だ?誰が二次覚醒を?」
首相官邸の地下深くのシークレットエリアに、珍しく大きな騒ぎが沸き起こっていた。
すぐに、総理そしてこのプロジェクトの最高責任者の小泉代議士にホットラインが繋がる。
Jr.の声からも興奮した様子がうかがえる。
オペレーション・チーフの杉村大蔵がホットラインのJr.に答えた。

「27番レーン。木崎ゆりあです。本日がファーストミッションのメンバーですよ。」
「今日が初めて?なんて事だ。あの柏木だって、須田だって、渡辺だって…名だたるモンスターと呼ばれたメンバーですら初日に二次覚醒へ導くなんて誰も出来なかった事だぞ?しかも、これまでに何人もいないSクラスのメイトを。」
「その通りですね。まさに、我々は逸材を手に入れたのかもしれません。」

「逸材…か。素晴らしい。」
Jr.の声が受話器の向こうから弾んで聞こえた。

10

4部が終わった所で、僕はフリースペースでちょっと一息ついた。
いきなりのラッキーなアクシデントだったが、その後はいつも通りの握手だった。
といっても、もちろん不満があるわけでは全然ない。

なんなんはいつも通り元気元気。受付どころかレーンの入り口辺りまで明るい声が聞こえてくる。
握手した誰もを元気にしてくれる。そんなコだ。
そして、すごく仲間思いでファン思いだ。同期の奈和ちゃんに比べてちょっと握手人気で差がついちゃったなんて事を言われたりするけど、そんなコト関係無しって明るさで迎えてくれる。
何を話してるのかを、レーンに並んでるほぼ全員に筒抜けなのがちょっと恥ずかしいっちゃ恥ずかしいけど。

奈和ちゃんは、最初にメディアで紹介されたインパクトが強すぎて「釣り師」扱いされて困ってた頃もあったけど、最近はすっかり元の丁寧な握手をしてくれるようになった。とにかく可愛いし、表情が豊かで話題も豊富。もちろん「古畑ジャンプ」は健在だ。

茉夏は…僕は茉夏の握手券は各部1枚しか取らない。
そして、必ず一言だけ声をかける。
すると、必ず茉夏はニコッと最高の笑顔を見せてくれる。
んんんんんんんんんんまなつぅうううううう お兄ちゃん嬉しいよぉ…とTwitterで拡散したくなるほどだが、この笑顔を表現する言葉は、もし僕がチャンドラーでもヘミングウェイでも、また例え三島由紀夫だったとしても見つける事が出来ないだろう。

なんて言ってるのかって?
そんなコト、教えられる訳ないじゃないか。

「今日の剥がし酷くね?」
「だよな。やっぱ1部当りの販売枚数、絶対増やしてるって。」
フリースペースの周りからそんな声が聞こえてきた。
レーンで並んでる時も何回か耳にした。

そんな剥がしきついっけ?
いや。むしろ、今までない位緩いと思うんだけど…
ちゅりや、舞茸のトコなんて3枚でいったい何分話せるんだよ?って剥がしを見ちゃったくらいだし。
「ねえ、そんなにワタシと離れたいのかなぁ?キィィィィィ―――(とは言ってないけど)」なんて、普段はちょっとマジレッサーっぽいちゅりまで時間がゆっくりだったせいか、珍しく大声で笑っちゃう握手だったし。

さて…あとは。5部と6部のあかりん・玲奈、そしてゆりあのまとめ出しだ。

あかりんは、相変わらずだ。でも、彼女の名誉のために言っておくけど、あかりんは決して「釣り師」とかそんなんじゃない。もちろん、初めて言ったヤツやお試しで来てみましたってヤツを一網打尽で夢中にさせちゃうからそんな風に呼ばれるんだけどね。実際のあかりんは、しっかりこっちの目を見て、真面目な話にはちゃんと真面目に答えてくれるコだ。そして、抜群に頭の回転が早い。決して定型文なんかじゃなく、ちゃんとその場に相応しい受け答えをしてくれる。僕は、彼女こそプロのアイドルだ…そう思っている。

きっと、ふにゃ~っとした顔をしてたんだろう。そりゃそうだ。握手会も4部になると、一日楽しい思いがずっと続いてるんだ。心の中が幸せモードに染まってても仕方ないじゃないか。
「きゃー、そんな笑顔見せてくれたら、亜香里も嬉しくなっちゃうよ!」
「そっかあ。僕もあかりんの笑顔見れて…ん?どした?」
急にあかりんの顔が真顔になって、僕に一歩近づいてきた。
「誰がそんな幸せな顔にしてくれたのかなぁ?」

うぉぅ…参った。
あかりん、すっげー可愛い…
いや、これが所謂「だーすーわいかー」状態なのか?
あかりんにこんな風に「釣られる」のは初めてだ。
いや…あかりん…僕はね…
「も…もちろん…あかry」
「あはははは~冗談~っ。」

恐るべし…須田亜香里。

いよいよ6部になった。
最後は玲奈とゆりあだ。

玲奈のレーンは相変わらず殺人的な混み方だ。ゆりあの枚数が多いので、制限解除後まで待たなくてはならない為、鍵開け気味で玲奈に並んだ。いつも、このパターンだ。じゃなければ、途中で玲奈を諦めて列を離れなくてはならなくなる。それでなくとも、卒業までもうあと何回握手出来るかわからない。残り少ない機会を無駄にはしたくない。

意外と早く僕の番が回ってきた。やはり今日は剥がしがキツイっていうのは本当なんだろうか?

僕の顔を見て玲奈の表情が一瞬はっとしたように変わったように見えた。
え?僕、何か変なカッコしてる?
一瞬不安になったが、すぐに玲奈はいつもの笑顔になってくれたので安心した。

「3枚で~す。」
僕は玲奈が差しだしてくれた両手をそっと握った。

「卒業…おめでとう。」
「ごめ…ありがとう。」
ごめんって言いかけたけど、ありがとうって言いなおしてくれて僕は嬉しかった。
もちろん、僕達ヲタにとってはツライ決断だけど、彼女が選んだ道ならやはり応援をしてあげなくては。

その時、僕の手を握る力が急に強くなった。
玲奈はいつもそうしてくれる。何か応援したり、嬉しいと思ってもらえた時なんかに。
でも、今日は一段と強い力だった。華奢な折れそうな細い腕からよくこんな力があるなって思うくらい。

「あのね。お願いがあるの。」
玲奈が突然そんな事を言い出した。
「お願い?」
なんだなんだ?僕がちょっとびっくりして聞こうとすると、それを遮るように声がかかった。
「間もなく…お時間です~」

え?ちょ…ちょっと。3枚だよ?
今日、僕には剥がし緩かったじゃん?これって、1枚…いや、何か暴言とかNGワード言って無理やり剥がされるレベルの短さやん?僕、何も言ってないよね?

「玲奈ちゃん、また来るから~次の握手会も…」
「お進みください~」

珍しく玲奈が剥がしに抵抗して机から身を乗り出してきたけど、剥がしの強い力に僕は為す術もなくブースの外に流され出た。
仕方ない…

さ、最後にゆりあのトコだ。

11

6部の終わりになると、握手会会場の空気がどことなく変わってくるような気がする。
なんだろう、放課後の校舎に残ってて、気がついたら下校のチャイムが鳴り始めたって感じ。
窓から斜めに差し込む夕日がどことなく寂しげで、でもまだ帰りたくなくて。

一人で図書館に残って勉強してた僕。チャイムが鳴ったので帰ろうか…そう思ったけど忘れものに気づいて教室に戻った。そしたら、誰もいないはずの教室に一人残っていた…そうあの子だ。いつも授業中、斜め後ろから見てた横顔。まっすぐで綺麗な長い髪。おっきな目がノートを取ろうとして伏目がちになった時に分かるまつ毛の長さ。時々前髪が垂れ下がるのをかきあげた時、教室に爽やかな風が吹いたような感覚になる。

「あれ?帰ってなかったの?一緒に帰ろうか?」
なんてセリフなんて絶対に言えない。というか、普段マトモに話ししたコトすらないのに。
でも…勇気を出して声かけなきゃ…

そんなちょっと甘酸っぱくなるような情景を思い出すような時間。
僕はこの時間帯が決して嫌いじゃない。

「28枚で宜しいですか?」
「はい。あ…今度は大丈夫だったかな?」
2部でちょっとしたドタドタがあったので、僕は軽い気持ちで受付の子に声をかけた。
「あ…大変失礼いたしました。全く問題ございません。このたびは、私どもの不手際で…」
「ちょ…ちょっと。そこまで大袈裟に謝ってもらわなくても…いいから、いいから。」
僕の顔を見て女の子がいきなり立ち上がって頭を下げた。
90度以上腰を折る、お詫びというには深すぎるお辞儀だ。
2部の時のコとは違う女の子だ。…なんにせよ、不手際の連絡が情報共有されているのは悪い事ではない。

枚数制限解除後なので、列に並んでる人は少なくなってるものの、その分進み方が遅くなる。僕の後ろには数人がいるだけで受付は締めきられた。

「何枚?俺今回7枚しか取れなかった。」
「俺も10枚だよ。なんか、ゆりあって3次でも取れなくなっちゃったよなぁ。」
「じゃあ、鍵閉めはお前かあ。」

鍵閉め厨が3人ほどで囀っている。その日の最後に握手する事に何の意味があるんだろう?
ゆりあのトコはそんなに酷い状況ってないけど、ほら…あそこの咲良のレーン…また、誰が鍵閉めかって揉めてるよ。なんかスマートじゃないんだよな。

「何枚お持ちですか?11枚…4枚。7枚…恐れ入ります。進行の関係上、枚数の少ない方は前に進んで頂けますでしょうか?あなたは…」
いつからこんなチェック始めたんだろう?係員が残り数人になった所でヲタ達に聞き始めた。
「28枚です。」
僕も持っている握手券の一番上の28と書かれた数字を見せて答えた。
「28枚以上の方、いらっしゃいますか?いらっしゃいませんか?恐れ入ります、お客様、一番最後に回っていただけますでしょうか?」

一瞬後ろに並んでた3人が不満そうな顔をしたが、すぐに大人しく僕を前に出した。
いいのかな…?何もわざわざ順番決めなくたって…僕もそう思って係員の顔を見たが、大人しくそのまま言う事にした。世の中には、高圧的な態度を取らなくても人に言う事をきかせる事が出来るタイプの人間が稀にいる。彼はまさにその種の人間だった。強面な訳でもない。もちろん脅したわけでも。それでも、この人の言う事に逆らっちゃダメなんだろうなって思わされる。

「お時間です~」
やっぱり今日は剥がしがキツイ。前の人も10枚以上あったはずだ。
「最後の方です。」
タイムキーパーがそう言ってカーテンをさっと締めた。
あれ?鍵閉めってカーテン締めちゃうんだ?それとも枚数が多いから?

「お~おかえりぃ。今日はもう来てくれないのかな?って思ってたよぉ。」
「そんなコトないよ。最後ゆりあに会わないと、一日が終わらないもん。」
なるほどね。みんなが鍵閉め争いするはずだわ。一日の最後の握手って、こんな感じなんだ。
さっきの回想っていうか、妄想っていうか、そんな感覚そのものだ。
夕陽が差しこむ教室。いつもは右側後ろ30度の角度でしか見れないコの顔が今日は真正面にある。

なに?話って?ねえ…はっきり言ってよ。
アナタが話あるって言うから待ってたんだよ?

告白なんか出来っこないよ…

「ん?そーなの?」
「へ?」
ゆりあの目がまん丸になっている。すぐに、くすっと笑い顔になる。
僕の大好きなゆりあの顔だ。やっぱり、ゆりあは笑顔が一番似合う。
「へ?じゃなくてさ。なに?話があるって?」
「いや…僕そんな事言ってないって。」
「あー、ゆりあと握手してて、何か他の事考えてたんでしょぉ?」
今度はほっぺを膨らませて怒ったふりをする。
ダメだ。もう僕には、まともな思考回路をこれ以上維持する事なんて出来ない。

なんでこんなに可愛いんだ…神様って絶対に罪つくりだと思う。
こんな天使を世の中に送り出しちゃうんだから。

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「LEVEL 7to17…18…No,now LEVEL MAX.We get super S class MATE.」
機械的な音声がエリアに広がる。無数のモニターのうち、20台以上のモニターが、男と木崎ゆりあが握手している姿を捉えている。上から右から左から下から…あるとあらゆる方向から、全ての角度を網羅していた。
オペレーターの手元には、数多くの数字やグラフが並んでいる。刻々とそのデータが変化している。数人の男がそのデータの全てをトレースするかのようにキーボードを叩いている。何かの分析が行われているようだ。

ホットラインの受話器を握ったまま、その様子を伺っていた小泉Jr.が笑みを浮かべ、話し始めた。
「素晴らしいです、秋元先生。彼は、我々が最も求めている素材そのもの…いえ、恐らくこのプロジェクト史上最高の品質といえるでしょう。既に本日一日で完全に最高レベルのスーパーSとして覚醒をしています。先生。これは今までとは違いますよ。リバイバルシナリオでお茶を濁すような事をせず、ぜひオリジナルを書いて頂きたい。絶対に失敗は出来ませんからね。明日、早速打ち合わせをしたいので、こちらにお越し頂けますでしょうか?」

「大蔵。明日から彼には最高レベルのインスペクトを。」
「はっ。心得ております。」
Jr.の目が輝いた。

12

握手会の翌日はなかなか仕事モードに入るのが難しい。
もちろん、やらなくてはならない事はいつだっててんこ盛りだ。
僕の「表の顔」はネットワークエンジニア。主な業務は「設計・構築」だ。

社内インフラから操業システム。官公庁のネットワークなんかの仕事も結構ある。
ただ、このところは大きなプロジェクトも入ってきておらず、比較的平和な日々が送れている。
もっとも、先日の一件のように保守のトラブルに駆り出される事が多いのだけど。

「先輩、今日は機嫌良さそうですね。」
オフィスのデスクは一人ひとりパーテーションで囲まれている。作業に集中しやすくするためだ。設計したシステムの簡単なテストも出来るよう、かなりのスペースがある。
「おお、正美か。そうか?いつもと変わんないけどな。」
同じチームの後輩、入社2年目の椛沢正美がコーヒーカップを両手に持って僕のスペースの入口に立っていた。
「ちょっといいですか?」
「ああ。午前中は特に急ぎの案件はないからな。」

僕は正美と一緒に社内のリフレッシュルームに向かった。
本格的なエスプレッソマシンや、マッサージチェアが備え付けてあり、大きな窓からはベイエリアの光景が一面に広がっている。月曜の午前中という事で僕と正美の二人しか利用者はない。

「こないだは悪かったな。おかげで助かったよ。」
「いえ、公演どうでした?」
「いや~良かったよ。生誕祭は初めてだったからね。ああ、そうだ、ちゃんとお土産買ってきたからさ。」
「ホントですか?」
正美の笑顔が眩しい。朝の光が入ってくる窓の明るさに負けていない。
「ああ、丁度月別写真の販売日だったからな。ちゃんとトレしてコンプにしといたからさ。」
「やったぁ。すみません、わざわざトレまでしてくれたって。」
「いいんだよ。いつもシフトとか合わせてくれるから。ほんのお礼だよ。」
正美もSKEのファンだ。ヲタとまではいかないけど、木本花音の事が好きらしい。

「ねえ、先輩。今夜遅くなります?」
「ん?いや、特には。まあ、さすがに定時って訳にはいかないだろうけど。」
「じゃあ、写真のお礼させてください。ご飯付き合ってくださいよ。」
「おい、お礼って。写真位でさそんな気にしないでいいよ。むしろ、お礼をしなきゃいかんのは僕の方だし。」
正美が笑顔のまま、ちょっと身を寄せてくる。
朝、シャワーを浴びてきてるんだろうか?シャンプーの香りがふわっと漂う。
「じゃあ、お礼して…もらえませんか?」
「わ…わかった。いいよ。何食べたい?」
「お任せしま~す。やったぁ。じゃあ、先輩、ワタシこれで。頑張って仕事片付けなきゃ。」

前から正美が僕に好意を寄せている事には気付いていた。でも、それは単なる仕事で頼りになる先輩として…そう思っていた。もちろん、実際はそうではないのだけど。その押した引いたの男女の駆け引きへの知識が全くなかった。何しろ、生まれて27年、女の子と付き合った事がないのだから。

奇跡的にヒマな一日だった。
僅かにあった軽い打ち合わせや、資料作成のMTGが悉くリスケになった。
おかげで、僕は夜の正美とのデートの店選びにたっぷり時間をかける事が出来た。
もちろん、女の子の喜ぶ店なんて、どうやって探せばいいかわからない。
だから、インターネットの情報だけが頼りだ。しかし、今のネットでは人しれない大当たりを見つける事に関しては難しいが、外れのない所を探す事はそんなに難しくない。

僕は東京タワーにが良く見える、センスが良く、そんなに高級そうでない多国籍料理の店をセレクトした。

13

正美って多分所謂「モテる」タイプの女の子だと思う。
はっとする程の美人ではない。背も高くなく、そんなにグラマーな訳でもない。
でも、笑顔がとてもチャーミングだし、一緒にいるととにかく楽しい。

らぶたんに似てるね。

僕は前から思ってた事を正美に言ってみた。

「え?ホントですか?え~嬉しいなぁ。らぶたん可愛いですよね~」
「だね。らぶたんみたなコって男からみたら、とっても魅力的なんだよね。」
そう言って、僕はしまった…と思った。
まるで、僕が正美を口説いてるみたいじゃないか。
案の定、正美が反応してきた。

「先輩、らぶたんも好きなんですか?」
「あ…ああ。昔は良く握手会にも行ったなあ。間近で見たらホント可愛いんだ。」
矛先を違う方向へ向けようとしたんだけど、全然出来てない。
「へ~そうなんだぁ。先輩、らぶたんみたいなタイプも好きなんだぁ。私、らぶたんに、そんなに似てますかぁ?そっかぁ。嬉しいなぁ。」

正美の頬が赤くなっている。ワインのせいだけではないようだ。
「先輩。先輩って、アイドルしか興味ないんですか?」

興味…恋愛対象としての興味という意味だろうか?
だとしたら、答えはノーでありイエスだ。もちろん、ゆりあが僕の事が好きだって言われたりしたら、天にも昇る気持ちになるだろう。でも、実際にはそんな事は起こり得ないのだから。
他の子…例えば、目の前にいる正美を恋愛対象に出来るかというと、それもノーだ。
だから、今の僕にとって、正美の質問は一番答えに困るものだ。

「ねえ…先輩。私の気持ち、わかってますよね?」
わかってる。本当にその気持ちは嬉しい。
僕も、君と恋に落ちる事が出来たら、どんなにか素晴らしいかと思う。
だけど、僕にはその気持ちに応える事が出来ないんだ。

27年間、女の子と付き合った事がないと言っても、これまで女の子と無縁だった訳ではない。
高校時代、新学校とはいえ共学だったし、女子生徒もちゃんといた。僕を好きになってくれる子も少なからずいた。こう言ってしまうと、自惚れと言われるかもしれないが、僕は意外と自分の事を客観的に見る事が出来る。僕は結構女の子にはモテるほうなんだ。
身長は185センチ。マッチョって訳でもなく、ガリガリって訳でもない。身だしなみにも気を使っているし、清潔感ある装いをする事に手も抜かない。
ルックスはそうだな…中の上と自分では控えめに評価しとこう。若い頃の藤井フミヤに似てるって良く言われるけど、自分では大和田獏の若い頃って思ってる。

最近の女の子は積極的な子が多い。肉食系って程でないにしても、正美みたいに。
でも、どんなに求められても、僕にはそれに絶対に応えられない。
最初は構わない。気にしない…そう言ってくれるかもしれない。
でも、僕は必ず彼女たちを失望させる事になるんだ。

Erectile Dysfunction
ちょっと前の言葉で言うと「インポテンツ」。

僕の最大のコンプレックスだ。


14

「ちょっと。もうなんでそうなるかなぁ。信じらんない!」
「そうですよ!ちゅりさんの言う通りですよ!絶対納得できません!」
数名のメンバーが支配人の芝智也を取り囲んでいた。
まるで、手段でイジメでもしてるかのように見える。
「仕方ないじゃないか。今回は特別だって言われてさ…」

「特別ってどういう意味なんですか?」
高柳明音の怒りがどんどん増幅していく。直情型の怒りだ。
その横で須田亜香里も腕を組んで芝を横目で睨みつける。
いつもの笑顔は完全に消えている。
「秋元先生がな…今回は、絶対に失敗出来ないって言っててな。」
「それで?絶対に失敗出来ない?それなら尚更の事、ウチがやるべきじゃないんですか?なんで、そんな大事なミッションをやるのが、ぱるる?川栄ちゃん?あの子達、第1の開拓しか出来なくて、二次覚醒の実績なんて全くないじゃないですか。最近じゃ一次だって減ってきてるし。何でそこまであの子達を重用しようとするんですか?」
明音が捲し立てる。
「それに…彼を覚醒させたのはゆりあでしょ?そりゃ、明確なルールがある訳じゃないけど、普通二次覚醒に貢献したコがミッションに当るのが大原則じゃないですか。ゆりあ…何とか言ってやりなさいよ。」
亜香里が突然ゆりあに話の矛先を向けた。
「え…でも、ワタシ…」
ゆりあはちょっと離れた場所でクッキーをかじりながら、まるで他人事のような顔をしていた。
思わず、明音と亜香里から笑いがこぼれる。

「ゆりあさあ…もっとガツガツいかないと。もう18歳になったんだから、変な遠慮なんてしなくていいんだよ?」

変な遠慮…ですか。いえ、ちゅりさん…ワタシ、そんな遠慮なんてしてる訳じゃないんです…
むしろ、出来る事なら…

ゆりあが言葉にする前に、横から玲奈が口を挟んできた。

「まだゆりあには実感がないんだよ。それに、ちゅりもあかりんもそんなに怒らなくても…」
「玲奈さんは黙っててください!」
ゆりあには笑顔を向けていた明音が急に再び厳しい顔になった。
「ちゅり…そっか。そうだよね。私の言葉は、もうちゅりには届かないんだね…」
「ワタシにもです。玲奈さん。」
玲奈の背中に声をかけたのは、古川愛李だ。
「あいりん…」
玲奈の目に涙が溜まりはじめた。
「ごめんなさい。玲奈さん。でも…わかってください。」
愛李が玲奈と顔を合わせる事もなく、横をすり抜けて芝の前に立つ。
「先生、新しいオリジナルシナリオ書いたんですって?いいわ。お手並み拝見させて頂きます。でも…芝さん、ワタシ思うんですけど。もう秋元先生に新鮮なシナリオを描く引き出しって無いと思いますよ。先生に言っておいてください。今回の件、もし失敗したら、次は私達に任せて頂きますって。」

「あいりん…やる気だね?」
明音がしたり顔で愛李の肩に手を置いた。
「任せて。」
「楽しみ~。愛李さん、ワタシにもちゃんと出番下さいよ~。」
亜香里も不敵な笑みを浮かべた。

15

「おはようございます。昨日はご馳走様でした。」
今日も正美がコーヒーカップを二つ手にして僕のデスクまでやってきた。
「ああ、おはよう。大丈夫だった?そうか、こうしてちゃんと出社してるって事は、無事に家まで帰れたって事だよね。昨日と洋服も違うし。」
「大丈夫?は先輩の方ですよ。もお…なんか静かだなぁと思ってたら、寝ちゃってるんですもん。先輩って、あんまりお酒強くないんですね。」
「いや…君が強すぎるんだよ。」
僕はそう言って笑った。正美も仕方ないなあといった表情で笑顔を見せる。
良かった…どうやら、酔い潰れたふりをしたのはばれていないらしい。
でも…きっと僕はずるいんだろうな。正美の気持ちを受け止めるのが出来ず、ただ逃げただけなんだ。
本当はちゃんと向き合って、しっかり断るべきなんだ。

そう、僕はいつまでたっても、こんな風に大事な事に背を向けて生きていくんだろうか。

「あれ?まさか、先輩また名古屋行くんですか?」
正美が僕のデスクのモニターに目をやって言った。
「おお、そうなんだよ。今度はKII公演当っちゃってさ。」
正美から受け取った熱いカフェラテを口に運びながら僕は答えた。
「ええええええぇ~何ですか?ソレ。私なんて、まだ一回も当ってないんですよ?劇場公演。E公演は毎回申し込んでるのに。先輩絶対くじ運良すぎですよ。」

確かに。こないだから、ラッキーが続いている。
特にKII公演は、ある意味今一番見たい公演だったし。

明後日急に休みを取るから、忙しくなる…
そう言って僕は正美との話を打ち切った。

「また飲みにつれて行ってくださいね。」
そう言う正美には、曖昧な笑顔を返す事しか出来なかった。
「そうだな。あ、そうだ、例の件の設計書の草案、君にチェックを頼まれていたヤツ。まだ見れてないんだ。明後日は日帰りで戻ってくる予定だから、その次の日…金曜日にレビューしようか。」
「お願いします。」
正美はそう言って笑顔で軽く頭を下げた。

しかし、僕の職場離脱は1日だけでは終わらなかったんだ。

16

自宅のマンションから新幹線乗るなら、品川からが一番近い。
でも、僕はいつも東京駅から乗る事にしている。
東京駅地下にある、今半の駅弁を買って車内で食べるのが楽しみだからだ。

ちょっと寝坊しちゃった事もあって、指定席を取っていた新幹線の発車ギリギリになってしまった。
僕は切符を見ながら自分の座席を探す。

平日のお昼すぎなのに、新幹線はかなり混みあっていた。
と言うより、東京名古屋間の新幹線がガラガラに空いてる事なんてあるんだろうか?
15号車6番の…B…と。僕は三人掛けの真ん中のシートに腰を下ろした。
両隣りに誰も来ないまま、新幹線は発車した。多分、品川か…新横浜で乗ってくるんだろう。僕は大して気にもせず、テーブルを出し今半の弁当を広げた。

外は今日もいい天気だ。本当は新幹線に乗る時はEの席をキープしたいところだ。
こんないい天気なら、きっと雪をかぶった富士山が綺麗に見える事だろう。
弁当を食べながらそんな事を考えていると、すぐに新幹線が品川駅に入った。
ここでも、沢山の人が乗ってくる。車内の空いている席が殆ど埋まった。
僕は両隣の席に誰かが来るんだろう…と思い、弁当を食べるのを一旦止めたが、どうやらその気配はない。おかずで一番楽しみにしてる豚肉を甘辛く煮たものに箸をつけようとした。

「すみません~奥いいですか?」
多分、他の車両から乗り込んで来たんだろう。品川を発車して、ちょっとして僕の隣の席のチケットを持った人が現れた。二人ともマスクをしているが、見た感じ若い女性、二人組だ。発車直前に指定を買って、並びの席が取れなかったというパターンなのかもしれない。

「どうぞどうぞ。」
僕は弁当を手に持って、テーブルを仕舞った。立ち上がって女性のうち、1人を窓際に通す。もう1人と席を交代してあげようか…そう一瞬思ったが、もう一人は座席に荷物を置くと、すぐに居なくなってしまった。トイレにでも行くんだろう。僕はそのままBの席に戻り、再び弁当を食べ始めた。

窓際の女性が、マスクを取り、んんん~っと小さい声を出して軽く背を伸ばした。
その声が、なんとなくユーモラスで僕は思わず、その女性の方に目をやった。それに気付いたのか、女性も思わず笑みを漏らす。
逆光にも関わらず、その笑顔はキラキラ輝いていた。僕は「文字通り」息をのんだ。数秒、呼吸も止まっていたに違いない。目の前に、島崎遙香の笑顔があったのだから。


「はー間に合ったあ。危なかったよお、漏れるかと思いました。」
座席で固まったまま、ぱるるに見惚れていると、賑やかにもう一人が席に戻ってきた。
僕はその子を見て、もう一度目を見開く羽目になった。
「しっ…りっちゃん。そんな事言うもんじゃないでしょ。もう…はしたないんだから。」
「あ、いっけね。あ…今聞いてたでしょ?この人。」

いや、聞いてたも何も…僕の席はここなんだから…聞きたくて聞いてた訳じゃなく…
悪戯っぽい笑顔で僕の隣の席に勢いよく腰掛けたのは、川栄李奈だった。
「ごめんなさい。この子、本当に失礼で…」
「あはははは。ごめんなさい~」

僕の幸運は続いているようだ。今をときめくトップアイドル二人に挟まれて弁当を食べている…
そんなラッキーな環境がそうあるとは思えない。
ただ…一つ困った事がある。せっかくの今半の駅弁なのに、全く味を楽しむ余裕が無くなってしまった事だ。


17

小田原を過ぎた後、しばらくトンネルが続く区間に入る。
その後、二人は特にはしゃぐでもなく、すぐに静かになった。
りっちゃんは小さな身体を余計小さく縮めるように、ぱるるは窓枠に肘をつき、頬をその手に乗せるようにして、あっという間に眠りに入ってしまった。
僕は食べ終わった弁当のカラを足元に置いて、お茶を一気に飲んだ。
妙に喉が渇くのは突然の事態に興奮しているのだろう。

相当疲れてるんだな…
僕は二人の寝顔を代わる代わる眺めた。ある意味、無茶苦茶幸せな状況だ。
トップアイドル二人の寝顔をこんな間近で、じっくり食い入るように見れるなんて。
りっちゃんの寝顔は、どこか大人っぽく見えた。テレビの中での無邪気に笑うあのおバカキャラじゃない。
正真正銘、本物の美少女だ。

「う…う~ん…」
りっちゃんの寝顔に見惚れてると、ぱるるが寝言のように呟いた。
僕がぱるるの方を向こうとした瞬間だった。
寝返りを打つようにぱるるが姿勢を変えた。そのまま頭をちょこんと僕の肩に乗っけるように倒れかかってきた。

目の前にぱるるの顔がある。小さな寝息を立てるぱるるの顔が。
無防備に少しだけ開いた口から、まるで天使が魔法の呪文を唱えるように見えた。
柔らかくて、僕をどこかに誘うようないい匂いがしてくる。
手を伸ばせば…いや、そんな事をしなくてもいい。
今の僕に必要なのは、ほんのちょっとの勇気だ。ほんのちょっとの勇気があれば、僕の手は、ぱるるの髪に、頬に、そして唇に…届く。誰もが夢に見るだろう甘美な感覚を味わう事が出来るのだ。

「楽しい時間はあっという間ですね。」
夕陽を見ていたかのイントロのセリフがぱるるの声で頭を巡る。
本当にその通りだ。
新幹線はあっという間に浜名湖に差し掛かった。あと30分も経たずに名古屋に着いてしまう。
「ふわあぁぁぁぁ。んーーーーー良く寝たぁ。」
りっちゃんの明るい声で、夢のような時間はあっさり終わりを告げた。

「ホント、良く寝てたね。」
「あ、寝顔見てたんでしょ?もーやだなぁ。」
「いや…見るなってほうが不自然な気が…」
僕はりっちゃんの方を見て困ったような顔をしてみせた。
さっきの大人っぽい寝顔はドコいっちゃったんだろう?
りっちゃんは、僕の良く知ってるりっちゃんになっていた。
「私も寝ちゃってた。ああ、もうすぐ名古屋?」
ぱるるも目覚めたようだ。あくびをかみ殺すようにして目を擦る。

「あ、コーヒー飲もうっと。すみません。ホットコーヒーお願いします。」
丁度通りがかった車内販売のお姉さんに、りっちゃんが声をかけた。
「私も飲む~。ミルクだけ入れてください。」
「ありがとうございます。600円になります。蓋はお付けしますか?」
「あ、大丈夫です。すぐ飲むんで。ぱるるさん、とりあえず建て替えときますね。」
りっちゃんが、お姉さんからコーヒーを受け取った。カップから芳しい香りが零れてくる。
僕も飲みたくなったが、もうすぐ名古屋だ。到着してからにしよう…

「はい、ぱるるさん…あっ!」
「わっ!あ…あちちちちちちち」
「わ…わ…すみませんんん…だ…大丈夫?????」
りっちゃんの手からコーヒーカップが滑り落ちた。
熱いコーヒーが僕のチノの膝の上あたりを直撃した。

「ちょ…ちょっと、りっちゃん。だ…大丈夫ですか?」
「あ…うん、大丈夫、大丈夫。」
りっちゃんは、完全に固まってしまった。ぱるるが落ち着いてハンカチを出し、ペットボトルの水を浸しそれで僕のパンツを拭ってくれる。その手際の良さに、僕はちょっと意外な感じがした。
それでも、コーヒーは完全に僕のパンツを湿らせてしまっていた。厚手のものだったので、どうやら火傷は免れたらしいけど。

その時、車内アナウンスが間もなく名古屋に到着する事を告げた。
「ありがとね。大丈夫だから心配しないで。僕、名古屋で降りるからさ。二人は?」
「私達は、このまま大阪まで…でも…あ、そうだ。」
ぱるるが、小さなハンドバッグの中から、小さなメモパッドを取りだした。
小さなペンで何かを殴り書いた。

「クリーニング代、お支払いさせてください。コレ…私の携帯番号です。ご連絡してもらえますか?」
080-4544-....
僕は一瞬状況を把握出来なかった。
「あ…コレ、私のプライベート用の携帯番号です。ちゃんとお詫びしたいんで…お願いします。」
新幹線が減速を始めた。名古屋駅のホームに入ったのだ。

そのままメモを受け取っちゃえばいいんだ。
そうすれば、またぱるると会える…
世の中の男なら、誰もがこの状況に直面すれば、迷うことなくメモを受け取るよ。
いいじゃんか、向こうが教えてくれてるんだぞ?

「ありがとう。でもさ…さすがにマズいって。そんな簡単に得体のしれない他人に電話番号なんて教えちゃいけないよ。ひょっとしたら、僕はタチの悪いストーカーになってしまうかもしれないし。」
僕がそう言うと、ぱるるは目を丸くした。
りっちゃんもびっくりした顔になっている。
「で…でも…あの…」

新幹線が完全に停車した。
「ありがとう、気持ちだけ頂いとくよ。それに…」
僕は荷物を持ち、席を立った。
「可愛い寝顔、十分楽しませてもらったしね。」

僕はそう言って新幹線を降りてホームに立った。
着替えのパンツ持ってきてないんだよなぁ。日帰りだし。
仕方ない…劇場行く前に買って行くか…
僕は、ちらっと新幹線の中を見ようとしたが、既に列車は西に向かって発車していた。

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「失敗しました…すみません…」
「見ていたよ。」
「すみません…本当に。私がもっと…」
「まあ、いい。そのまま新大阪まで行ってくれ。向こうでの仕事が待っている。」
「分かりました。」

島崎遙香からの電話を切った秋元康が大きくため息をついた。
「ご覧の通り…失敗してしまいました。まさか、あの男がメモを受け取らないとは…」
「秋元先生。あれが、渾身の新しいオリジナルシナリオですか?」
「ええ。島崎も川栄も上手くやってたと思うのですが…」
小泉Jr.が秋元に苦い表情を向ける。
「先生。あれがですか?もし、あなたがあのシナリオで、上手く行くと本気で思って書いたのなら…残念ながら、これ以上このプロジェクトのプロデューサーをお任せする事を考え直さなくてはならない。うたた寝で頭を肩に乗せる?コーヒーをズボンにこぼして、クリーニングするから後で連絡を…?昭和ロマンの映画でも、そんなチャチな演出はないでしょう。いいですか?彼は特別なんです。絶対に…絶対に失敗は許されない。」
これまでにない厳しい口調のJr.に秋元の表情に緊張が走る。
「は…はい。申し訳ありません…次は…必ず…」
「いや…次は…彼女たちに任せる事にします。」

Jr.がホットラインを手にした。
手もとの端末で「栄」への回線を開く。




18

KII公演は本当に素晴らしい。各チームの新公演が遅れに遅れまくる中、「シアターの女神公演」は、その完成度をますます高めていた。僕はもちろんゆりあ推しだし、Sの新公演はその魅力を最大限発揮したものになっていると思っている。でも、公演そのものの「楽しさ」はKIIに敵わない。
パフォーマンスの素晴らしさ、MCの楽しさ、輝く汗と笑顔。
まるでこの公演の1曲1曲が彼女たちの為に用意されたものかと思う程だ。

コーヒーで汚れたお気に入りのチノの代わりに買ったパンツの素材が今一気に入らない事なんて、全く問題なかった。センターで弾けるあかりんの姿に目を奪われ、阿弥ちゃんの「はじめまして。柴田阿弥です」にやられ(るみもいらっとする位には可愛いのだけどw)、あいりんとこあみの妖艶さにノックアウトされ、ちゅりの夜風にとどめを刺される。

僕は、色んなメンバーに何度も何度もレスを送られた。
そんな事、周りの皆が同じうように思ってるんだよ…そう言われるかもしれないけど、そうじゃない。
だって、今日の僕は下手最前列の席。入場順は3順目。
わざわざメンバーが僕の前まで来てくれるんだから。

ま…完全にただの妄想なんだけどね。

僕のラッキーは今日も続いていたようだ。
ラストの「僕たちの紙飛行機」。メンバーがそれぞれのメッセージを書いた紙飛行機を飛ばす。
真ん中付近から投げたあいりんの紙飛行機が軌道を曲げ、僕の胸に刺さるように飛んできた。
あいりんが、それを確かめるように僕の方を指差した。

ほらね。ちゃんとレスくれてるでしょ?

素晴らしい公演だった。メンバーの表情からもそれが伝わってくる。
1人1人の顔が輝いているのは、汗のせいだけではない。

「それでは、最後の挨拶をしましょう。」
メンバーが横一列に並んで手を取り合った。
ん?ちゅり声枯れてる?気合い入ってたもんなあ。フルメンの公演久しぶりだったし。

「せーのっ…ぐっ…がっ…ば…」
え?どうした?ちゅり。顔が真っ青だ。胸のあたりを掻きむしるようにして、その場に倒れ込む。
「きゃ----------------------っ!」
複数のメンバーの悲鳴が劇場に響く。ファンもスタッフも何かマズイ事が起こった事を一瞬で把握した。
しかし、誰もがその場を動かない。動けないのだ。

「そこ!スタッフ!何をしてるんだ?幕を。幕を引くんだ!早く!」
僕はステージの上に飛び乗って叫んだ。倒れ込んでるちゅりの隣に滑り込むようにして身を屈めた。
警備員が二人、僕を押さえようとステージに駆け上がってくる。
「触るな!僕は、救命救急の心得がある。一刻を争うんだ。この場に救命医、もしくは看護師がいるか?いなければここは僕が何とかする。早く幕を!」

僕の口調の強さと鬼気迫った表情で、事態の深刻さを感じとったのだろう。警備員が慌てて、身を翻した。さっと幕が引かれる。観客も一瞬騒然となったが、凍りついたようにその場から動かなくなった。

僕はちゅりの口元に耳を当ててみた。呼吸が無い。次に胸に耳を当てる。
同時に頸動脈に手を当ててみた。
ダメだ…脈が触れない。
「AEDだ!誰かAEDを持ってきてくれ!」
「き…君。これは…」
支配人の姿がステージの上に現れた。
「僕が誰なんて今はどうでもいい!早くAEDを持って来てください!芝さん、今すぐだ!それから、救急車を!」
「わ…わはああったはああぁあ。」
芝がアタフタとステージを去っていく。メンバーは周りで途方にくれたような顔をしている。
皆、一様に涙を流してその場に座り込んでいる。

「あかりん!あかりん!泣いてないで!こっちきて。こっちだ!」
「わ…わ…わた…し…イヤ…イヤイヤイヤイヤあぁぁぁぁあ!ちゅりさん…ちゅりさん。死んじゃイヤだ-------ちゅりさん。ちゅりさん!」
「あかりん!」
僕はあかりんの頬を張った。ちょっと強く力を入れ過ぎたか…でも、仕方ない。
おかげで、あかりんが我に返ったような顔になった。
「いい?この時計で…10秒毎に時間を教えて。いい?10秒だよ?」
「は…はああぃいいい。じゅ…10秒ですねえええ?」
「大丈夫。ちゅりは僕が助けるから。必ず。」
あかりんは、僕から受け取ったゆりあモデルのTIMEXを食い入るように見つめた。
祈るような視線を秒針に注ぐ。

「ちゅり…ゴメンね。」
僕はちゅりの胸の上で両手を組み合わせ、そのまま強く胸を押した。
「いち、に、さん、し、ご…」
まずは30回。肋骨が折れる位の力で胸部を圧迫する。心臓マッサージだ。
30数え終えると、今度は左指で鼻をつまみ右指で口を開かせる。口移しで人口呼吸だ。
2度呼吸を送りこむと、再び胸部の圧迫に移る。

「に…20秒…」
「あかりん!もっと大きな声で。」
蘇生に時間がかかる程、脳へのダメージが大きくなる。駆けつけた救急隊員に心肺停止してからの時間を正確に伝える事が大きな意味を持つ事がある。

何度目かのサイクルを経ても、ちゅりの呼吸と心音は戻って来なかった。
3分を過ぎようとした所で、ようやく芝がAEDを持ってヨタヨタと現れた。
「みんな、下がって!」
僕はAEDのパックを乱暴に開いた。電子音で使い方のアナウンスが流れるがそれを無視して、パッドを取りだす。
「ちゅり…助かったら、何度でも何度でも謝るから。今は…ゴメン!」
僕は、ちゅりの衣装を荒々しく引きちぎった。真っ白な胸元が露わになる。
AEDのパッドを二か所ちゅりに貼りつけ、僕は祈るように起動ボタンを押した。
軽くちゅりの身体が振動で揺れる。

「戻った!ちゅり!しっかり!」
「戻った?ホント?ねえ?ホントなの?大丈夫?もう大丈夫なの?ね?ね、ね、ね?」

あかりんが全身をブルブル震わせている。やっとの思いで、その場に座っているみたいだ。
まだ予断は許せない。でも…これ以上、この子に心配をかけさせてはいけない。
僕は、無理やり笑顔を作って、頷いた。
大丈夫だよ。あかりん、ありがとう。

それを見て、あかりんがその場に倒れ込んだ。小林亜実がその姿を慌てて支える。
「さ…3分じゅ…15秒…位です。」
それだけ言うと、気を失ったように目を閉じた。

救急隊員が到着した。僕は状況を簡潔かつ十分に説明した。
「完璧な対応です。あなたは医療従事の方でしょうか?」
「いえ、たまたま、その手のレクチャーを受けた事がありまして。」
「とはいえ、なかなか普通はここまで落ち着いて対応出来ないものです。恐れ入りますが、状況をもう少々ご説明頂きたいので、このまま病院までご一緒頂けますでしょうか?」

もちろん、僕は同意して救急隊員の後に続いた。
固唾をのんで状況を幕越しに見守っていた観客から拍手が沸き起こった。

19

ちゅりの状態はどうやら落ち着いているようだった。
蘇生までの時間がちょっと長かった事から、心配された身体の各機能への影響も今のところ異常は全く見られない。先ほどは自分で起き上がって水分も摂ったし、会話も出来ているそうだ。

「良かった。もう大丈夫ですね。安心しました。」
芝さんから説明を受けて、僕はやっと緊張を解いた。
そういえば、今何時だろう?僕は腕時計を見ようとして、ゆりあバージョンのTIMEXをあかりんに預けたままだった事を思い出した。多分、もう東京に戻る新幹線は無い時間になってしまっているだろう。
「失礼ですが、お住まいはこちらの方でしょうか?」
芝さんの妙に丁寧な口調に僕はちょっとおかしくなってしまった。さっきは、あんなに取り乱していたのに。きっと、本人もそれを自覚しててこんな風に大人の振る舞いを見せようとしれてるのだろう。
偉い人って何かと大変なのだ。

「いえ。実は東京からなんです。今、何時でしょうか?」
「そうでしたか。もう11時過ぎです。今日はお泊りのご予定で?」
「11時?そんなに経ってたんですね。そっかぁ…いや、今日日帰りの予定だったんですよね。」
僕は頭の中で、朝の新幹線の時刻表チェックしなきゃ…そう思っていた。明日は仕事の休みを取っていない。正美の設計書のレビューもしなくちゃならない。でも、まあ、朝一の新幹線に乗れば間に合うだろう。

「それはお困りでしょう。いかがでしょうか?今日は私どもの方でホテルを手配させて頂きます。もう遅くなってしまいましたが、そちらの方でお寛ぎ頂けたら…」
「いえ、そんな、申し訳ないです。名古屋では定宿にしてるホテルもありますし…」
「何をおっしゃいます。あなたは、高柳にとって命の恩人です。と、同時に私どもにとっても恩人と言ってもいい。どうか、ささやかではありますが、お礼をさせてください。そうでないと、私が高柳に怒られてしまいます。」
芝さんが真顔なのは、きっと半分マジなんだろう。
「私の恩人に下手な事しないでよねえぇぇぇぇぇ------キィィィィィィィ」
とまでは、言われてはないだろうけど。

「わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。」
「良かった。では、早速手配させて頂きます。あ、宜しければ、その間、高柳の顔を見て行ってやって頂けますか?先ほどはしっかり意識も回復しておりました。また、眠ってるかもしれませんが。」
「いいんですか?」
「ええ、ぜひ。起きてたら、アイツも喜びます。」

そう言って芝さんは、僕の前からバタバタと立ち去った。
そっか、病院内は携帯禁止か。

僕はちゅりが入ってる個室のドアをそっとノックした。
2度ノックしたが返事が返って来ない。やっぱり寝てるんだろう。そう思って僕は廊下のソファに腰を下ろした。ここで芝さんが戻ってくるのを待とう…
でも、やっぱり僕はそっとちゅりの部屋のドアを開いて中に入る事にした。
単純に心配になったのだ。少なくとも、ついさっきの事だ。ちゅりは僕の腕の中で一度は息絶えていたんだ。そこにはリアルな死の影があった。妄想や想像の中ではなく、手で触れる事の出来るリアルな死。
本当にちゅりが戻ってきたのか。僕は急に心細くなってしまったんだ。

ちゅりは、殆ど寝息を立てる事無く上を向いて静かに眠っていた。
あまりの静かさに、僕はまた不安になったが、ちゃんと息をしているのが、大きく動く胸の動きで分かった。
眠ってるちゅりの顔は本当に安らかに見えた。公演のメイクは汗で落ちたのか、誰かに綺麗に拭ってもらったのか、すっぴんの状態だったけど、とにかく肌が綺麗だ。閉じられた目元にも気の強さが残っているし、口元は意思の強さを物語ってる。でも、どことなく慈悲に満ちたような顔つき。そうだ、ネタで良く菩薩様のようだとか言われてたっけ。

ベッドの隣に立ったまま、暫くちゅりの寝顔を見ていた。
「ん…だあれ?」
ふと、何かに気づいたようにちゅりが目を閉じたまま言った。
「あ、ゴメン。起しちゃった?」
ちゅりが僕の声を聞いて、はっと目を開けた。思わず身体をベッドから起こす。
驚いたんだろう。無理もない。夜中の病室に見ず知らずの男が突っ立ってるんだ。
アイドルじゃなくても、驚いて警戒する。悲鳴の一つでも上げていい所だ。

「あ、僕は…決して怪しいモノじゃ…」
そう言いかけて、僕は言葉を自分で遮った。
十分怪しいモノじゃないか。どう言い訳しても、説得力の欠片もない。
ここは、素直に退散して…後で芝さんに言い訳しておいてもらおう…

「あの…ありがとう…ございました。」
へ?
ちゅりがいきなりお礼を僕に言った。
なんで?
「あ…ワタシの事、助けて下さった方ですよね?」
「助けたっていうか…たまたま対応して…それが、たまたま上手くいって…」
「ありがとうございます。すぐわかりました。一目見て。ああ、この人だって。」
「一目見て?だって、ちゅり…明音ちゃん…意識なかったでしょ?」

話してると、ちゅりの目が段々潤んでくる。少し、震えてるみたいだ。
「さ…明音ちゃん。休も?横になって。ね。もう少し眠ったほうがいい。」
僕はちゅりの横に立ち、そっと布団を身体にかけてあげようとした。
「怖かった…ワタシ…怖かった。死ぬかもしれなかったんでしょ?一度は死んだんでしょ?ねえ?もう、ワタシ…怖かった。怖かったよぉ…」
突然、ちゅりが僕の胸にしがみついてきた。身体が小刻みに震えている。
そうだよな…怖かったよな…幾ら普段は気丈に振舞ってるって言っても、まだ20歳ちょっとの女の子だ。一旦、自分の心臓が…呼吸が止まってたなんて話を聞かされたら、怖がるに違いない。こんな小さな身体を震わして…
僕は、自分の腕の中でしくしく泣くちゅりの事がたまらなく愛おしくなってきた。
そっと、肩を抱き頭を撫でてあげる。

暫くそのまま時間が流れた。
芝さん…遅いな。なかなかホテルが取れないのかな?
いや…もう少しこのままでいてもいいんだけどね…

「ねえ。どうやってワタシの事、助けてくれたんですか?」
ちゅりが急に顔を見上げて聞いた。僕の腕に抱かれたままだ。
瞳はまだ涙で濡れている。
「どうって…心臓マッサージと人口呼吸で…」
「心臓マッサージと人口呼吸?そっかぁ。それでかぁ…」
ちゅりが右の掌で自分の胸をそっと押さえた。
「あ、痛む?そうだよね。相当強い力で押したから。心臓マッサージって肋骨が折れる位の強さでやらないとダメって講習で聞いた事あってさ…ゴメンね。」
「はい…痛みます。すっごく。」
「ホント、ゴメン。でも…あの時は…」
僕は思わず弁解するような口調になった。それを見て、ちゅりが微かに笑う。
「痛いのは、強く押されたからじゃないですよ。」

じゃない?じゃあ…どうして…?
「それに…人口呼吸したって事は…スしたんでしょ?」
「え?」
「だから、キスしたんでしょ?ワタシに。」
ちゅりが悪戯っ子のような顔になった。さっきまで泣きじゃくっていたのに。
女の子って本当に理解不能だ…
「いや。あれは、そんなんじゃなくて…救命上止む無いって言うか。」
「責任取って。」

え?責任って…いや、あの…あれはそんな意味じゃなくって…
だから…え…ダメだって。君は僕にとって…そんなアイドルが僕に…

大して力を入れられた訳ではない。ちゅりの涙と小悪魔のような笑顔にまるで魔術をかけられてしまったかのように、僕の身体は一切ちゅりの為す事への抵抗力を失ってしまっていた。
僕はベッドの上に押し倒されるような格好になった。その上に、ちゅりの身体が覆い重なるようになる。
両手で頬を包まれたまま、ちゅりが自分の唇を僕に重ねてきた。

これは夢だ…夢じゃなかったら、こんな事態が起こる訳がない。
そうか…夢なのか。夢なんだったら、無理に理性なんか働かせる必要もないのか…
とても素敵なキスだった。僕だって、何度かキスをした事くらいある。
でも、それは小さな子供が抱く好奇心を満たす程度のモノだ。
これは違う。本物のキスだ。男と女がお互いを求めあってる事を確認するかのような熱い、本物の。

ちゅりは唇を離すと、僕の目をじっと見た。
僕の身体からは完全に力が抜けおちてしまった。
また、ちょっとちゅりが微笑んだ気がした。

なるようになれ…
僕はちゅりの唇と舌が、僕の身体を溶かしていくような、甘美な感覚に身を委ねる事にした。
柔らかな髪が、僕の胸に…腹に触れていく。

ただ…芝さん…
このタイミングで戻って来ないでくださいよ。ホントに。

20

「ゴメンなさい。突然でビックリさせちゃったんですよね…」
「いや…あの…謝らないで。悪いのは僕なんだから。」

またやってしまった。
毅然とした態度で拒絶すべきだったんだ。
僕は激しく後悔した。ただ、一つだけ言い訳させてもらえるなら、あの時、ちゅりの柔らく熱い舌使いに身を任せる事無く、身体を離す事なんて出来やしなかったんだ。それ位、彼女は素晴らしかった。

恥じらいを残した少女のような仕草が、徐々に淫らな妖艶なモノに変わっていく。
ステージの上で時々見せるあの表情だ。
「夜風の仕業」で魅せるお淑やかさと「愛のストリッパー」で魅せる、男を魅惑の世界へと誘い込むようなあの表情。その両面を見せながら僕を求めるちゅりの姿。真っ暗な病室。僅かに窓から入ってくる月明かりに照らされたちゅりの身体は、まるでヴィーナスの化身のように見えた。

僕は興奮していた。掛け値なしに。捲るめく快感を感じ始めていた。
しかし、僕の身体は反応出来なかった。
ちゅりは僕を温かく包んでくれた。そして優しく僕を誘ってくれた。
もっともっともっと…ワタシの事を好きにしていいよ…

しかし、僕の物はまるで堅くなる事を拒むかのように、反応をする事が無かった。


「やっぱり、ワタシって魅力ないのかなぁ…」
僕は答えに窮した。こんな時、なんて言えばいいのかが全く分からない。
「そんな事ないよ。君はとっても魅力的だ。」
前にそんな風に言って女の子を烈火の如く怒らせてしまった事がある。
気休めなんて言わないで…って事になるのだろう。

ちゅりが素肌に寝巻を着始めた。
僕も、肌蹴たシャツのボタンを留め、露わになった下半身を隠すようにフィットトランクスを履いた。買ったばかりで馴染んでいないパンツをその上から履く。

気まずい…
出来る事なら、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。
ちゅりが咎める事無く、僕に悪戯っぽい顔で笑ってくれるのがせめてもの救いだ。
「ごめんねSummer」の♪僕のいたずら~ってトコで見せる時のような、べええええ~って顔。

「いやいや、お待たせしちゃって。」
さっきまでは、来るなよ…戻ってくるなよ…そんな風に思っていたのに、芝さんが現れた事にスゴクほっとした。身勝手なものだな…僕は苦笑した。
「ホテルが確保出来たので、ご案内します。お、明音、目を覚ましてたのか?ちゃんと、お礼言ったか?」
「はい。でも、これ位じゃお礼になんか…ね?」
ちゅりが僕に意味ありげにウィンクしてくれて、僕はドギマギした。
まさか芝さんに見られて…なんかないよな?そしたら、ものスゴイ勢いで止めに入ってきたに違いないし…

「じゃあ、明音ちゃん…お大事にね。」
「はい。ありがとうございます。また、握手会とかでお待ちしてます。」
ちゅりは明るい顔で僕に手を振ってくれた。

間違いなく、僕は彼女を傷つけてしまった。損なってしまった。
彼女の笑顔には、その事が色濃く浮き出ていた。
僕にはわかるんだ。
これが、初めての事ではない。


-------------------------------------------------------------------------------
「くっそぅ!なんて事だ!あそこまで行ってて。」
モニターを食い入るように見つめていたJr.が目前のデスクを拳で激しく叩いた。
置いていたカップが倒れ、冷めてしまったコーヒーが書類に染みを作っていく。
慌てて、それを片付けようとする杉村大蔵に目もくれる事無く、Jr.はモニターを睨みつけていた。
「完璧だった。これこそ、渾身のシナリオだ。高柳の文字通り命を賭けた迫真の演技、古川が作った高度なストーリー展開、須田のサポートも素晴らしかった。芝の大根ぶりにはハラハラさせられたが…どこも完璧だった。なぜだ?大蔵!彼は間違いなく、二次覚醒を済ませてるんだろう?」
「は…間違いありません。こちらのデータをご覧ください。」
大蔵が手もとのキーボードを叩く。顔写真と共に、様々なデータが表示された。
「…確かに間違いない。なら、どうして?これまでもEDに病んでいるメイトは幾らでもいたはずだ。しかし、例外なく二次覚醒を終えた者はミッションをクリアさせてきたはずだ。なぜだ?なぜ、彼は…?」

「ミュータント…ではないでしょうか?」
大蔵がJr.に耳打ちした。
「ミュータント?突然変異体という事か?あり得ない。アレは、様々な学者がその想定の可能性を徹底的に論じたはずだ。机上の空論にしか過ぎない…そう結論付けたはずだ。だからこそ、システムの中にその対処法を組み込んでいないんだから。」
Jr.が画面上のデータをスクロールしていく。
「見ろ。彼の素晴らしいポテンシャルを。このプロジェクトは彼を見つける為にあったと言っても過言ではない。それだけの逸材なのだ。まさに、想定外だ。これだけの、優秀な素材を確保する為には…」
Jr.がそこまで言って、思わず視線を上げた。
モニターには、名古屋ヒルトンのフロントに芝に案内されてチェックインしていく男の姿を映し出していた。
「想定外の逸材…か。なるほど。データでは推し量れないとはこの事か。」

Jr.の目が暗く輝く。
様子をうかがっていた大蔵が思わず息をのむ。
「大蔵。」
「はっ…」
「東海地区のインスペクターを集結させろ。他のメイトのインスペクションは多少手薄になっても構わない。彼を…囲い込むぞ。この機会をみすみす逃す事のないようにな。」
「かしこまりました。すぐに手配を。」
「それから…」
「はっ。他にも何か施策を?」

「木崎だな。木崎ゆりあに明日朝一で、再度レクチャープログラムを。」

21

ヘッドフォンから聞こえてくる声が段々小さく…遠くで聞こえるようになってくる。
これじゃダメなんだ…本当は話の内容がどんどん心に響いてこなきゃ…
隣のブースで、同じようにヘッドフォンをして大きなモニターに映し出される映像を見てる柴田阿弥の顔を横目で見た木崎ゆりあは小さくため息をついた。
夢見るように…そして、何かを決意するかのような力強い視線。きっと、あれが正しい「あるべき姿」なのだろう。

多分、私はすごく周りの大人達に期待されていたんだと思う。
ゆりあがその事に気づいたのは、SKEに入ってすぐの頃だった。
一早く研究生の中からエリート集団のチームSに入れた。
同期のゆっこと須田ちゃん。3人でもがきながら一生懸命ついていこうと頑張ってきた。
特に須田ちゃんの事をむちゃくちゃ意識してた。須田ちゃんは、自分だけの力でどんどん周りから認めてもらえるようになっていった。先に18歳になってた須田ちゃんからは、色んな話を聞いていた。私達がなぜ、SKEとしてファンに夢を与える仕事をさせてもらえているのか。そして、その役割…須田ちゃんは、良くその事を「任務」って言ってるけど…の大切さ、その仕事に関われる事がどれだけ誇らしくって幸せな事かって事をいつもいつも聞かされてた。だから、そんな須田ちゃんみたいに、18歳になったら、もっともっと輝ける…そう思ってた。

くーちゃん…
小木ちゃん…

二人とも今どこで何をしてるんだろう?

大好きな二人がいなくなってもうどれくらい経ったんだろう?
いつの間にか、その長さを感じられなくなっていた。

SKEを辞めていった子との関わりは大きく二つに分かれる。
芸能活動を続ける子とそうじゃない子だ。
矢神久美と小木曽汐莉は後者だ。人気絶頂の時にむしろ潔い程あっさりの芸能活動から身を引いた…
と、世間では思われている。

ゆりあはもう知っている。きっと、二人は「離れていった」んだろうと。
噂では、玲奈さんの卒業もそうなんだって聞いた。

ゆりあは知っている。
多分、二人とだけでなく、玲奈ともそうだ。
二度と会える日が来る事は無いんだって事を。

22

カーテンを開けていた大きな窓から冬の朝日が差し込んで来る。
名古屋ヒルトンのスイートルーム。僕は結局あれから一睡も出来なかった。
必要以上の広さと豪華な調度品に圧倒された訳でもないだろう。
枕が変わったから眠れなくなるような、繊細さなんかも持ち合わせていない。
ハードな一日だった。泥のように眠ってしまっても良かったはずだ。

いや、ひょっとしたら眠っていたのかもしれない。
僕の脳裏には昨夜の事が焼き付けられていた。
月明かりに浮かんだちゅりの美しい身体。
艶めかしい表情、そして温かく湿った吐息を今も感じる事が出来る程だ。
しかし、その顔が刻々と変わっていく。
あかりん、玲奈、そして最後にはゆりあ…へと。
僕は首をぶんぶんと振った。何をやってるんだ、僕は。
彼女たちをそんな疾しい目で見ていたのか?

ピンポン~
ピンポン~

高級ホテルのドアチャイムとしては、間抜けな音が2度鳴った。
僕は時計を見た。そして、慌てた。
時間は7時を過ぎていた。いかん…そういや、外がイヤに明るい訳だ。
目覚ましは5時にセットしたはずだった。僕はホテルの時計に目をやった。
確かに5時にセットされている。しかしアラームの表示はOFFになっている。
これじゃ、今から飛び起きて新幹線に飛び乗った所で始業には到底間に合わない。
参ったな…仕事自体は特に急に休んでも構わない。今までも、逆の立場で急に休んだヤツの代わりの対応はしてきた。お互い様じゃないか…そう言いながら、今まで僕が急に休んだ事は一度も無い。一度や二度の急な休みでとやかく言われる事はないだろう。だけど、正美には何で言おうか?彼女は、僕が今日名古屋に来てる事を知っている。昨夜のステージで起こったハプニングの事もメディアが知らせる事になるだろう。そして、彼女なら僕がそこに何か関わった事を察知するかもしれない。いや…それも事実だし、その事自体特に疾しい事ではない。
しかし…昨夜、僕とちゅりとの間に起きた事を、どう伝えればいいんだろう…そう伝える必要はないだろう。その事実を抱えたまま彼女にどういう顔で会えばいいのかを、考える時間が欲しい…そう思った。

チャイムはしつこく鳴り続けていた。
早く出てこい。お前は完全に包囲されている…
そんな風に諭されてるような音だった。

ドアののぞき窓から外を見る。
芝さんがモーニングのルームサービスでも頼んでくれたんだろうか?
僕の想像力はその程度だ。
まさか、そのチャイムを笑顔のまま鳴らしてるのが、あかりんだなんて事、まさかにも思いつかなかった。

「ちょ…ちょっと待って。」
僕は慌てて、ナイトガウンを身に付けた。
普段は寝る時は真っ裸なのが習慣なんだ。

「おっはよ~ござるぅ。」
あかりんの弾けるような笑顔が目の前にあった。
日が当らないはずの廊下からも眩い日差しが差し込んでくるようだった。
「おはよう。どうしたの?あ…入る?」
「えええ~オトコの人が泊ってるホテルの部屋にぃ?あかり、緊張しちゃうよぉ~」
「あっそ。じゃあ。僕はもうちょっと眠るから。」
僕は思わず軽口を叩いた。不思議だ。こうして二人っきりで会う事なんて、あり得ないシチュエーションなのに気軽に話せてしまう。普段の握手からそんな感じだからなのだろうか。

「入ります、入ります。もう、意地悪。」
そう言って、あかりんは僕の部屋に入ってきた。
周りをキョロキョロしながら、僕に続いてベッドルームに足を踏み入れる。
「ホントに今起きたばかりなんだね?」
「うん。ホントは朝一の新幹線で東京戻って会社行こうと思ってたんだけど…見事に寝過ごしちゃった。」
「そうなんだ。昨日は大変だったもんねぇ。」
「だね。でも良かった。ちゅり、すぐ元気になれるってよ。」
僕がそう言うと、あかりんの顔がまた一段と明るくなった。
本当に素敵な笑顔だ。この笑顔が見れるだけで、この子を応援して良かった。そう誰もが思う笑顔だ。
きっと、あかりんなら笑顔で世界を平和にする事だって出来るんじゃないかな。

「あ、そうそう。コレ返そうと思って来たんだ。早くからゴメンね。」
あかりんがバッグの中から時計を取りだした。
僕が昨日あかりんに渡したゆりあバージョンのTIMEXだ。
「おお。良かったあ。どこかに失くしちゃったかと思ってたんだ。そうだよね、あかりんに渡してたんだ。」
僕はあかりんから時計を受け取った。
きっと、本当に見つかって良かった~って顔をしてたんだろう。
「ね?ゆりあ推しなんだね?」
「え?あ。そっか、この時計か。推しっていうか…そうかな。あ、でも、あかりんの事も推してるよ。もちろん。だから握手にも毎回行ってるし。」
「え~でもぉ、あかりの事、一推しじゃないんでしょ?」
あかりんが、首を傾けて笑う。握手会の時以上に全開の笑顔だ。
「ちょっと、あかりん。ココあかりんレーンじゃないし。」
「もー嫌だ。釣ってるとか思ってるんでしょぅ?違うよ。あかり、ホントにね…」

あかりんが、ベッドに腰掛けてる僕の隣にちょこんと腰かけた。
急に真顔になる。
「ワタシ、あんな風に怒られたの…初めてなの。」
「怒られた…って。ああ…ゴメン。痛かったよね?」
「うん。ほら、まだ熱持ってる。」
あかりんは、僕の手を取ってそのまま自分の頬に持っていく。
確かに、ほんのりとした温かみを感じる。
「ちょ…あかりん…」

きっと僕には、そのうち何かとんでもない不幸が降りかかるに違いない。
じゃなきゃ、昨日はちゅり。今日はあかりん。
誰もが羨むに違いない。間違いなく、二人に僕は誘われている。
好意…そう思っていいだろう。を寄せられている。
あり得ない。

今日こそちゃんと断らないと…
でも、そんな事僕に出来るのか…

そんな葛藤する心配は今日はしなくて済んだ。
あかりんのシャンプーの香りがする髪の匂いから、僕は一本の電話で逃げ出す事が出来た。
芝さんからだった。
「宜しければ、今日こちらにいらっしゃいませんか?秋元がぜひお礼を申しげたい…と。」
「秋元…さんって…?」
「はい、秋元康です。」

「あかりん、朝ごはん食べた?僕、用意はじめなきゃ。」
「もう…意気地なしぃ。」
あかりんが、意地悪そうに笑った。

23

僕は何かを勘違いし始めてるのかもしれない。
こうして、目の前に秋元康が座っていても、特に驚きの感情もなければ緊張してるという事もない。
それだけ、昨日から僕の周りで起こった出来事が衝撃的過ぎるという事なのだろうけど。

本当にこの人が秋元康なのか?
僕の第一印象はそんな感じだった。
もちろん、僕の前でランチセットのポークソテーに面白くもなんともないといった表情でナイフを入れている姿は、間違いなくテレビやインターネットの動画で見る秋元康そのものだし、ぼそぼそと話す声も紛れもない本人のものだ。
そんなものなのかもしれない。抱いていたイメージと大きく違うのを本人の責にしてしまうのは、こちらの身勝手というものだろう。有名人というのもなかなか大変なものだ…

「どうかな?お口に合うかな?」
「はい。とても。普段こんな上品なランチを頂く事がないので、ちょっと戸惑ってはいますが。」
僕は答えた。決してご馳走になっている事へのリップサービス等ではない。ランチといっても決して手抜きをしていない。僕がオーダーした名古屋コーチンのグリルは本物の味がした。付け合せのサラダも、しゃきっとしてたし、スープは喉を滑るようにして流れていった。せっかく名古屋に来たんだから、名古屋メシを食わなきゃっていう庶民の感覚の僕とは根本的に考え方が違うのだろう。どこにいても、美味いものは美味い。そういう所でメシを食うのは秋元康にとって普通の事なんだろう。

「君はSKE48が好きなんだね。今は、そういう人が増えてきた。彼女達の勢いは本物だ。いや、もはや勢いという言葉は適切ではないかもしれないね。」
一通り昨夜の礼を言われた後、秋元康は僕にそう切り出した。
無難な話題だ。礼を尽くす為の席に実に相応しい。
「礼節を尽くす為の会食での会話」とタイトルがついたマニュアルがあるなら、1ページ目に紹介されても良いくらいだ。

「そうですね。最初はAKBからだったんですよ。でも、今はSKEの方が応援してて楽しいですね。」
僕もそのマニュアルに載せても良いくらいの型どおりの答えを返した。
その裏で、この「会食」で秋元康が狙っているものを読み取ろうとしながら。いまや日本でもっとも忙しい男の一人である彼が、メンバーの命を救ったとはいえ、わざわざ時間を割いて食事を共にするという事に、僕は何か意図があるのではないだろうか?と思えて仕方なかったのだ。ただ、礼節を尽くすというのであれば、菓子折りの一つでも秘書に持たせるだけでも十分だ。より丁寧にするなら、その後電話の一本でももらえれば、それで万全といってもいい。

会って少しして僕はある事に気がついた。
僕の職場での上司にそっくりなんだ。
年齢や少しヲタクっぽい風貌だけではない。

彼はエンジニアとしては超が付くくらい優秀な男だった。元々は保守のエキスパートとして活躍していたが、設計構築に回ってからもその才覚を如何なく発揮し、人事評価でも最高のものを得、昇進も早かった。しかし、彼が優れていたのは「ネットワーク」を相手にしていた時であって、「マネジメント」の適正は持ち合わせていなかった。しかし、周りは彼の華々しい実績から、何でも出来る男という歪んだ評価を彼に与えていた。そして、彼自身もその適正があるものと自分で自分を評価しようとしていた。周囲の評価に答えようとして必死だったのかもしれない。
だから、言葉の一つ一つに説得力が無かった。部下をある方向に導こうとしても、その戦略そのものに迷いがあった。

その上司とそっくりなのだ。迷いのある表情、ちょっと怯えたような目。下を向いて話すところ…
大事な事を話したい時程、その傾向が強くなる。
だから、直感したんだ。きっと、秋元康は何かを僕に伝えようとしている。そうに違いないと。
僕は上司に働きかける時のように、こちらから誘導してみた。
分かりやすく言うと「カマをかける」って事だ。

「秋元さん、新公演、何とかなりませんかね?こう延期延期じゃ、ファンも痺れを切らしちゃいますよ。」
「新公演か。確かに、申し訳ないとしか言いようがない。ファンの方にはお詫びする言葉もない。」
「ファンもですが、メンバーはどうですか?一番残念がってるのは彼女達じゃないんですか?」
「メンバーか…そうだな。確かにそうだ。私の仕事は、彼女達が本当に何を求めているかをちゃんと理解して、それに応える事のはずだよな。うん。良く分かっているんだ。分かってはいるんだよ。君には言い訳にしか聞こえないかもしれないが…」

やはりそうか…
僕の直感は強まった。
間違いない。この人は何かのジレンマを抱えている。
わかってはいる…わかってはいるんだが…
僕の上司も良く口にする台詞だ。
自分が行わなくてはならない事はマネジメントだ。
しかし…自分がやりたい事は…出来る事は…そんな事じゃない。
ネットワークと向合って、エンジニアとして素晴らしいシステムを作ることなんだ…

この男は分かっている。秋元康もそう直感してくれたらしい。
波長が合うとはこういう事を言うのであろう。
なら、言葉をオブラートで包む必要など無いじゃないか?そう思われるかもしれない。実際、僕もそう思う。言いたい事をストレートに言ってくれればいいのに…と。
ところが、そうは行かないのが大人の世界だ。色んな事情で言葉を何かで飾りたてたり、逆に何かを削ったり。分かりにくい言葉でわざわざ行間を読ませるように伝えようとする事が珍しい事ではない。
秋元康の場合、何が彼をそうさせているかは分からないが、とにかく僕は彼の抽象的な言葉の中から何かを読み取らなくてはならないようだ。

「秋元さんも大変ですよね。グループがここまで大きくなると、自分の思った通りに冒険したりなんか出来なくなっちゃうんじゃないですか?昔はずいぶんヤンチャしましたもんね。じゃんけんでセンター決めるなんて、今じゃパターン化して面白くも何ともなくなっちゃいましたけど、最初はなんて無茶するんだ?って思いましたもん。」
僕は色んなボールを投げてみる事にした。まずはストライク・ゾーンに、そしてウエスト・ボール、効き目が無ければブラッシュ・ボール。
「冒険か。確かにね。しかし、それが出来ないのはグループが大きくなったからじゃないさ。単に私の力が及ばないだけだ。」

僕は何かを勘違いし始めてるのかもしれない。
しかし、その勘違いからの行動が何かを変えるかもしれない。

それも僕の直感だ。しかも、余り良くないカン。
僕は動く事を求められている。
誰に?
秋元康?高柳明音?須田亜香里?それとも…?

僕のカンは良く当たるんだ。
しかも、悪い事ほど。

24

その日の夜、僕は昨日に引き続き劇場に入ることになった。
チームEの「僕の太陽公演」だ。
ただ、今日は入場順にやきもきする事はない。
overtureが鳴り始めてから、観客の目がステージに集中し始めてから、その死角に入るかのようなサイド側のエリアに入る。隣には秋元康と芝智也の姿があった。
会場の熱気と一体になってステージを見る事は出来ないが、これはこれで貴重な経験だ。第一、KII公演に入った翌日にE公演を生で見る機会に恵まれるなんて、日本中に殆どいない…いや、皆無のはずだ。

どうせ、今日は金曜日。仕事は休んだんだ。明日からの週末は3連休のカレンダーだ。快適なあのヒルトンのスイートにもう少し泊まっていっては?とのお誘いを断る理由はどこにも無かった。僕は元々遠慮深い正確なんだけど、今夜の公演はやはりフルメン。明日も名古屋で全握があるときた。これは、どう考えても名古屋に滞在しない理由を探す方が難しい。

「僕の太陽公演」は今まで散々みてきた公演だ。「シアターの女神」と同じ…いや、こちらの方が劇場で見た回数としては多いかもしれない。
秋葉原の劇場しか行ってなかった頃は、チーム4や研究生公演でこのセットリストが行われることが多かった。抽選も他チームよりも当たりやすかったし。
しかし、今日の公演はチームE。どんな公演になるんだろう?僕はワクワクしながら公演を見守っていた。

松井玲奈の卒業を間近に控えている貴重なE公演。しかも、フルメンという事で観客のボルテージは高かった。メンバーもそれに応えようと、目いっぱいのパフォーマンスを繰り広げていた。特に古畑奈和ちゃんの素晴らしさが目に付いた。まさに変幻自在。花音や金ちゃんも良かったけど、菅なな子の弾けるような動きと共に、一番目を奪われたのは間違いなく奈和ちゃんだった。
逆に玲奈は、ある意味影が薄かった。
ユニットでもアズマリオンに譲っているのか、それとも単に力関係がそうなのか…昔見た「雨のピアニスト」で見た時の狂気すら感じさせる存在感は、その色を失っているように見えた。

時々、こちらの方をチラチラ見るのも、その感覚に拍車をかけていたような気がする。集中力を欠いているかとも思える。ファンにレスを送る時の、あの挑むような誘うような表情とは少し違う。

それでも、楽しい公演には違いなかった。SKE48は間違いなく、そのレベルを段違いに上げたようだ。昼間、秋元康が僕に言ったように、もうただの勢いだけで片付ける事など出来ないであろう。
僕は、公演のお礼を言って劇場を後にした。今日は、一人で先日見つけたバーに行くつもりだ。一人になって静かに考え事をしてみたいんだ。僕は一体何を求められているのか?どう踊ればいい?正しいステップを踏まなくては、ダンスは上手く踊れない。


良いバーというのは、いつ行っても同じ雰囲気で客を迎えてくれる。
ここは、まさにその定義上、最高のバーだ。
前回と同じ空気、前回と同じ明るさ、まるでそこにいる客すら、前回と同じ面子なような気さえしてくる。
僕は、前回と同じ場所に座り、前回と同じようにバーテンダーに目線だけで声をかけた。バーテンダーが前回と同じように2ミリ分だけ、僕に笑顔を向けた。
「目が覚めるようなお酒を。」
僕の無理難題のようなオーダーにも前回と同じように3ミリだけ頷いてバーテンダーはまだ余計な造作を一切排除した見事な動きで僕の前にカクテルを置いた。
彼が出したドライ・マティーニが、本当に目を覚ましてくれる効能があるかなんてどうでもいい。彼が僕のオーダーを受けて、出してくれたんだからきっとそうなんだろう。事実、そのカクテルを口に運んでいるうちに色んな事がはっきりと分かるようになってきた。
誰かが僕を遠くから…いや、そう遠くない場所から見守るというより、もっとシビアな視線を送っている事にも。
そして、それは前回も心のどこかに引っかかる程度の違和感を残した事を僕に思い出させた。更に、その視線は前回のものよりも更に鋭く、そして数を増している事にも気づいた。
そう…監視といってもいい。尾行に気づいた時なんかは、きっとこんな感じを抱くのだろう。

なぜ、僕は監視されてるのだろう?
その疑問はその時には起きなかった。むしろ、その事実を冷静に受け止めた。そう、直感が確信に変わってきている。僕は、何か大きな渦の中に巻き込まれつつある。もちろん、その渦が僕にとって、今一番大切なものを含んでいる事にも。

「あちらのお客様からです。」
僕はバーテンダーから差し出されたカクテルを見て、ちょっと驚いた。
古典的な手法だ。古き良き映画でも、ハンフリー・ボガード位にしか許されない芸当だ。ましてや、僕のような男をこんな手で口説いてくる女性がいるなんて。これは高等テクニックだ。このバーテンダーなら、そんじょそこらのレベルの女性でなければ、オーダーを受けないだろう。しかも、差し出されたカクテルは「X-Y-Z」だ。僕は冴羽獠じゃないし、ここは新宿駅の伝言掲示板でもない。

僕が軽くその女性に会釈を送る。ご馳走になります…その意思を示す仕草だ。つまり「助けてほしい」というリクエストに答えよう…そういう事だ。おそらく、シティハンターで言うとそうするのが流儀なのだろう。
「こんな突然ですんません。驚かれましたやろ?」
僕の予想を裏切って、女性の声には強い関西訛りがあった。
どことなく、その横顔に見覚えがある。
「自己紹介は後で宜しいやろか?今は、とにかく急がなんとアカン状況やさかい。ええかな?」
「ああ。構わない。ここではないどこかに?」
「ウチが先に出る。5分や。きっちり5分後にこの店を出て欲しい。そしたら、まっすぐココに来て欲しいんや。タクシーなら表に出ればナンボでも捕まるし。」
女性が差し出したメモには、今池のラブホテルの名前が書いてある。
参ったな。幾らいい女の誘いとはいえ、ダイレクトすぎる。新手の美人局の可能性だって十分ある。しかし、僕にその疑問は全くなかった。
女性が隣に来た瞬間から、ずっとあった僕を監視する視線が完全に消えうせていたからだ。
「君の名前だけ聞いておこうか。そして、そこで何が起こるのかも。」

女性はにっこり笑って僕を正面から見た。
名前を確認する必要などなかったのかもしれない。
僕は彼女の事がすぐに分かったのだから。
「今出舞といいます。上から読んでも下から読んでもいまでまい。そこで、お話ししたい事があります。玲奈さんとかおたんが待ってます。」
「分かった。5分だね?」
僕は自分が、ジェームス・ボンドにでもなったように思えた。
ゆりあモデルのTIMEXに視線を落とす。

25

今出舞に言われたとおり、彼女が店を出てからきっかり5分後に僕はバーを出た。今思えば、この数ヶ月僕に纏わりついていた…なぜ、今まで気づかなかったのだろう…誰かに監視されているような感覚は綺麗になくなっていた。
今は、それが何故かを深く考える事はしない。
それよりも、一体何が起きているのか、何が起ころうとしているのかを知りたい。その気持ちの方が強かった。
しかも、行く先に待っているのが松井玲奈と松村香織、それを呼びに来たのが卒業生の舞だって事が僕の胸を高まらせた。
だって、こんなあり得ない事態に臨むには、最適なメンバーに思えたから。


舞に言われたとおり、店を出たらタクシーはすぐに捕まった。
今池交差点に行くようにだけ告げる。
名古屋に行ったらタクシーは「名タク」に乗れ。これは、代々名古屋で暮らす家庭なら遺言レベルで語られる事実らしい。僕が乗ったタクシーはまさにその「名タク」だった。名古屋タクシー。確かに素晴らしいサービスだった。
「ご利用ありがとうございます。名タクの○○と申します。今池交差点までですね。かしこまりました。」
まるで、お茶と和菓子でも出てきそうな程丁寧だ。しかも、こちらが急いでる空気を醸し出すと、巧みなレーンチェンジで先を急いでくれる。
タクシーはあっという間に目的地の今池交差転に差し掛かった。

指定されたラブホテルは、周囲のホテルの中に見事なまでに溶け込んだ、特徴のないホテルだった。派手でセンスがなくて下品で怪しげ…思いつく、その手の単語のどれを並べても違和感が無い、見事なくらいなラブホテルだった。
407号室…舞と玲奈とかおたんが待つ部屋だ。
僕は部屋のチャイムを鳴らした。返事無くそのドアが開く。
たちの悪いシナリオなら、ここで戸賀崎さん辺りが顔を覗かせるはずだ。もしくは湯浅さん。この怪しい展開に彼らの顔は実に良くマッチする。逆に芝さんは合わないな…そんな風に一瞬緊張した僕だったが、顔を出したのがかおたんだった事で、妙な安心感を持った。ある意味、このシチュエーションで一番相応しいメンバーなのかもしれない。
そんな風に言うと、かおたんは怒るかもしれないけど。

「入って、早く。」
かおたんは僕の顔を見るなり、いきなり手をぐいっと引っ張った。
すごい力だ。普段から剥がしに力技で抵抗してる…そんな評判は嘘じゃないんだな…僕は、勢い余って部屋に転がるように入った。

狭い部屋にダブルベッドが一つ。草臥れたソファとテーブルがあるだけの部屋。正真正銘「ヤルため」だけに存在する部屋だ。
ソファの上に玲奈が座っていた。眉間に深い皺が刻まれている。僕を見て、一瞬ほっとしたような表情になる。
舞はその隣でモニターを覗いていた。表示されているのは地図だ。今池から栄、そして名駅辺りまでの地図の上に、おびただしい数の赤いドットが点滅しており、それが細かに移動を繰り返している。

「かおたん、あとどれ位いける?」
「ん-----15分。頑張って30分かな。」
「なんやて?もう、ホンマに使えんやっちゃなぁ。せめて40分は何とかせんかいな。それしか脳がないんやから。」
「あんだって?」
「ホンマの事やろ?」
舞とかおたんが激しい口調でやりあってる。難しい顔をしてはいるが、やり取りがどことなくユーモラスだ。
「二人とも…こんなトコで言い争わないで…」
玲奈がアワアワと間を取り持つように二人に言う。
「1時間。どんなことがあっても1時間は持たせてみせる。」
「さすがやな。キャンキャン言うだけやなく、やる時ゃやる。さすが松村香織や。」
「褒めてるのか、けなしてるのか、どっちかはっきりして欲しいわ。」
「玲奈さん。今聞いたとおりです。1時間しかありません。すみません。」
「ありがとう。」

「かなり切迫してるみたいだね。分かった。シンプルに行こう。まずは…僕はどうやら監視されている。追われてると言ったほうがいいのかな?どうやって監視の目を誤魔化してるのかは、後回しだ。まず、その理由と僕が何をすればいいのか。それを先に聞かせてくれ。それでいいね?」
僕の言葉に玲奈が頷いた。
「お願いがあるの」
握手会の時、剥がしに遮られたその先を伝える為に、3人は恐らく危険が差し迫るこの環境を作ったのだろう。

26

「ちょ…ちょっと待って。いや…ここまで来たら、もう何を言われても疑おうとかそんなつもりはないんだけど。」
玲奈の口から聞かされた話は僕の想像を遥かに超える事だった。

「君達が何者かによって洗脳を受けている事は分かった。そして、運営の指示で[ターゲット]になった若い男性を言葉巧みに、時には巧妙に仕組まれたシナリオで誘い込み関係を持つに至る。メンバーは加入時より、その事が、全ての人を幸せにする手段で、それを行う事が大きな使命でありそれを果たす事が出来るのは、選ばれた者だけに許された行為なのだ…と。」
「その通りです。」
玲奈が頷く。
「それで…君達が僕に求めている事は、彼女達を解放して欲しいということ。しかし、なぜ僕がそれを出来ると?」
「あなたが特別な存在…だからです。」
「特別?」
「ええ。あなたと関係を持つこと。今までもミッションは同じでした。これまで結構失敗は許されてきたんです。でも、今回は違うって。失敗は絶対に許されない…だから、私は思ったんです。きっと、この人は私達にとっても何か特別なものを持っているに違いないって。」

僕は玲奈の説明を聞いてもっとも気になっている事を尋ねる事にした。
個人的な感情でなく、重要度が高いと判断したからだ。
「じゃあ、新幹線の中での事も、昨夜の事も…みんな、仕組まれたシナリオだったいうの?ちゅりは…あの時、心配停止にまでなったんだ。それが、予め誰かの手によって書かれた筋書きだと?」
「はい…その通りです。」

参ったな…あの涙も、僕を誘ったあの目も…全部お芝居だったのか。
少しでも自惚れた自分を僕は心の中でなじった。

「しかし…その説明だと、今まで多くの男が君達の誘いに乗ってきたことになる。少なくとも、君達の誘いを断れる男がこの世にいるとは、到底思えない。もちろん、健康的な男なら…僕と違って…なら、間違いなく君達の誘いに乗り、君達の目的は達成されているだろう。それなのに、何一つそんな噂なんか広まっていない。そもそも、考えてごらん?これは、ある意味組織売春に近い事だ。玲奈ちゃん…かおたん…君達がそんな事を…」
そこまで言って僕には次の疑問がわいてきた。
いや、最初に一番気にかかっていた点だ。次は、この問題をクリアすべきだろう。
「何故、君達は洗脳から解けているんだ?」

「稀に自我が洗脳に勝つケースがあるんです。上の人は[解脱]って言葉を使っています。そうなると…私や今出のように…」
「そうか、卒業って形を取るのか。ん?かおたんは?」
「私は、そもそも洗脳されてないんだ。フリをしてるだけ。今出もそう。私達二人だけだと思う。洗脳されてないのも、フリをして通せたのも。」
「じゃあ、解脱して卒業の形を取らされたメンバーはどうなるんだ?」
「卒業といっても、解脱した者だけじゃありません。ちゃんと、使命を果たして卒業するってパターンもあります。ノルマを達成し終えたって表現が分かりやすいですね。今も、芸能活動を続けていたり、一般人になっても今出のように消息がしっかりしてる子みたいに。」

「…くーみんや、ゴマちゃんは?真野ちゃんや、エリカは?彼女達は、卒業以来、綺麗過ぎるほどに僕らの前から姿を消している。」
「…私もそうなります。この使命を果たして卒業する事は、何よりの名誉とされます。将来にわたり、幸せな生活が保障されている。そう聞かされています。でも…そうじゃない人間は…生きる価値すらない…そう教わりました。」

「なんて事だ…」
玲奈の答えに僕は絶句した。許せない。
この感情をどう表現すればいいのか。
誘いに乗った男達がどうなるかの予想もなんとなくついた。
しかし、それはどうでもいい事だ。
何よりも、純粋な少女達の思いと体を汚してまで、そんな事をする事の意味が全く分からない。分かったとしても、それを許し理解する事など、僕には絶対に出来ない。

「ヤバいで、かおたん。ヤツラ、感づき始めた。こっちに集まり始めてる。おい、まだ45分しか経っとらんやんか。」
「う~…マズいわ…こりゃ、兄さんだけでも逃げてもらわないと…」
「かおたん、パソコン借りるよ?」

僕はかおたんの使っていたノートブックを奪い取った。
舞がモニターを見ていたほうのPCも手元に持ってくる。

「そうか…僕とメンバーを監視してたのが、こんなに居た訳か。これを…かおたん、なかなかやるね。上手くシールドを使って僕らが別の場所に移動したように見せかけたのか。という事は…ヤツラは自分の目で僕達を追っている訳ではない?まさか…ロボットなんてオチはないよな…」
「かおたん。このPC無いとコメダ投稿できない?」
「いや…それは大丈夫だけど…ただ、これが一番スペックが高くって…」
「ごめん。今度新しいPCプレゼントするよ。もちろん、大須で売ってる奴で一番ハイスペックな奴を。」
僕は、2台のPCに同時にコマンドを打ち込み始めた。
ブラックアウトした画面に呪文のような文字が並び始める。

「な…何やってるんですか?」
玲奈が僕の手元を見ながら目を丸くする。
僕は笑顔を浮かべながらひたすらキーボードを叩いていく。

「よし…と。これでたぶん1時間は時間が稼げる。」
再び画面が地図表示になる。赤いドットが一気に名古屋駅方面に向かっている事を示し始めた。ある何点かは東名の名古屋インターの方へ。残りのある点は恐らくセントレア方面に向かい始めたのであろう。
「所詮付け焼刃だけどね。さあ、ここから出よう。かおたん、このPCは借りてくよ。色々と調べなくちゃならない事がある。」
「兄さん…何者?私が2年近くかけて作ったモノをこんな簡単に…」
「かおたん、君は天才だよ。きっと、僕と同じね。」
僕はかおたんにウインクを送った。

とりあえず、ホテルに戻ろう。
そして、いくつかの仕掛けをしなくては。
まずは、今日僕達が接触した事を事実から消去しなくては。
何かのシステムトラブルに見せかけてもいい。
何か方法は見つかるだろう。

しかし、僕がやらなくてはならない事は、もっともっと奥の方に潜んでいる。

27

おいおい、こんなブロック意味ないって。一見、頑丈に見えても、ちょっとしたハッカーなら簡単に破れるんだよ。高さの同じブロックを何重にしたって意味ないってのは、セキュリティの原則なんだけどなぁ…
僕じゃなくたって、AKBに興味を持ったヤツがちょっとしたハッキングの技術持ったらこんなもの…

僕はヒルトンの部屋に戻り、かおたんから借りたPCを使ってAKBGのネットワークシステムの中に侵入を試みていた。相当手こずる事を予想したのだが、全く手ごたえが無い。逆に心配になってしまう程だ。
まず、玲奈・かおたん・舞との一連の絡みを消す事からだ。かおたんは、相当優秀なスキルを持っていた。ハッカーとしてというよりは、システムヲタクとしてのスキルなのかもしれないけど。
それをちょっと使わせてもらった。僕達は、あの時間帯、それぞれ違う場所に居た。僕はバーを出てそのままホテルに真っすぐ帰ったし、玲奈はE公演の後、明日の握手会に備えて真っすぐ帰宅。舞は一日バイトだ。かおたんは…敢えて、消息不明って感じにしておいた。彼女なら大丈夫だろう。

全部を解明出来た訳ではないが、僕達(恐らく彼女たちメンバーも監視されているのだろう)は、人の目だけで監視されている訳ではなさそうだ。もちろん、「誰かが」僕達を張っていた事は間違いない。しかし、人の目だけで監視しているのであれば、少なくともかおたんが張ったトラップだけで、あそこまでの混乱は起きないだろう。逆に言うと「人の目」では監視していない…という事にも推察出来るのだが。

かおたんのPCは、そのもののスペックは結構陳腐なものだった。これで、良く動画を編集し投稿してたよな…僕は彼女にプレゼントする事を約束したPCを自分の家にあるお古から選ぼうかと思っていた。もちろん、無事に家に帰れたらの話だけど。
このスペックではハッキングなんかしようにも、なかなか上手くいかない。なので、僕は手っ取り早く近くにあるもっとスペックの高いシステムを「乗っ取る」事から始めた。
今の世の中、全てのネットワークはどこかで何かの繋がりを持っている。それを、色んな壁を作ってエリア分けしてるだけに過ぎないんだ。僕は、恐らくこの辺りで最もハイスペックのコンピュータの「機能」を拝借する事にした。別に近くじゃなくたって構わないんだけど。地理的にっていう意味では。金沢郊外にあるIBMのデータセンターに潜り込んでもいいし、シリコンバレーのMSやシスコ本部でもいい。でも、僕は「地元」に拘った。まあ、ゲン担ぎのようなものだ。
10分程ネットワークを弄ると、画面にトヨタ自動車のスーパーコンピュータにアクセスした事が表示される。京の単位の計算を27億分の1秒で行う事が出来るコンピュータだ。これなら、作業がはかどる事間違いない。

僕が驚愕したのは、そんなスパコンを使うまでもない程陳腐なセキュリティに守られている割に、中に潜んでいる情報が実に生々しいものだった事だ。
そこには、彼女たちを「洗脳」する為のプログラムがあった。古今東西ありとあらゆる方法で効果を上げている、全ての洗脳手段によって、いかにして彼女たちの精神と身体を蝕んでいったかを克明に記録したデータだ。誰が、いつ、どのプログラムを受け、どの程度まで洗脳が進んでいるかを100段階で査定している。

ちゅり、あかりん、ぱるる、りっちゃん…
みんな数値は「100」だ。

そして、その各人データには、こんな項目があった。
一次開拓数、二次覚醒数、ミッションクリア数。それぞれが、クリックすると時系列に獲得(?)した数がどれだけなのかが分かるようになっている。
この数字が何を意味するのか…僕は、その先を辿ろうとする。

-----------ピィン--------------------
システムがエラーを返す。ココから先は、別のデータベースにアクセスする必要があるという意味だ。
そこへは、後ほど侵入するとして、別の気になってる事を先に調べよう。
僕のデータだ。玲奈は僕の事を「特別な人」と呼んだ。
もし、玲奈が違う意味でそういう風に僕の事を思ってくれたら、きっと僕は天にも昇る気持ちになるだろう。しかし、この場合は違う。なぜ「彼ら」…今は、その正体がわからない。仮にそう呼んでおこう…が、僕とメンバーに関係を持たせる事に失敗を許さない、そう求めているのか。


-----------ピィン--------------------
ここもシステムエラーだ。なるほど、小枝を隠すには森の中か…
そう考えると、ここのセキュリティが弱いのも頷ける。
しかし、AKBGの大スキャンダルに間違いなく発展する、このソースが軽いレベル…となると、この奥にはどんなおぞましい秘密が隠されているのだろうか…

これも…エラーだろうな…
僕は、卒業したメンバーで消息が公にされていないメンバーの事を調べてみようとした。
矢神久美、小木曽汐莉、間野春香、山田恵里伽、中村優花、赤枝里々奈、藤本美月…

システムはすぐに答えを返した。
玲奈の言葉が頭をよぎる…

「…そうじゃない人間は…生きる価値すらない…そう教わりました。」

なんとしても…
どんな事をしても、これ以上彼女たちを損なわせてはいけない。
僕が果たすべきは、まさにそれだ。

僕は、その先へと歩を進めようとした。
自分のデータを取りに行ってみるか…
僕は蜘蛛の巣のように張り巡らされたネットワークの海を、まるでサーフィンでもするかのように渡って行った。時々巧妙やトラップを見つけては、それを避け、時には潰して前に進む。
いつもやってる事だ、特に大きな問題はない。
トラップには幾つかの法則がある。人間が作り出したトラップだ。必ず逃げ道はある。
そして意外に簡単な所に。誰もが、目にした事があるだろう。機密情報が入ったPCのパスワードを付箋に書いてモニターに貼っておくような人種もいる事を。

-----------ピィン--------------------
-----------ピィン--------------------
-----------ピィン--------------------
-----------ピィン--------------------

何度やっても同じだ。同じ場所で何度も跳ね返される。
おかしい…僕が今やっているのは、Aのドアを見たら鍵がかかっていた。じゃあ、Bに回ってみよう。Bもロックされている。じゃあCだ…そんな作業だ。なのに、どのドアに行っても、必ず「ここはAのドアです。ロックが掛かってます」というアナウンスが聞こえてくるのだ。

こんな事は今まで無かった。一度たりともだ。
いや…あった…な。正確に言うと「聞いた事がある」だ。
あの9.11後、ウサマ・ビン・ラディンによるテロが米国防総省(ペンタゴン)によって仕組まれたものだという事実を暴こうと旧東側諸国が莫大なギャランティで世界中の精鋭ハッカーに依頼をした時の話だ。
「ペンタゴン・トラップ」として、誰も解明する事が出来なかったという、いわば「伝説」だ。

この話…
とんでもない裏がありそうだ。

こうなった時、ネットワークの世界だけで解決策を探しまわるのが、並のハッカーだ。
優秀なハッカーは、そうではない場面から打開策を見つける事が出来る。
そう…リアルな世界だ。

僕はゆりあモデルのTIMEXに目をやった。
時間は朝の5時ちょっと前。まだ寝てるだろうな…
僕は芝さんにメールを打つ事にした。
恐らく、かなりワガママを言ってもすんなり通るに違いない。

何しろ、僕は「特別」なのだから。




28

ポートメッセなごやには、朝早くから大勢の人でごった返していた。
実は、僕は全国握手会には、実はそんなに行ったことがない。
特に毛嫌いしているという訳ではない。ミニライブは毎回志向を凝らしたセトリを組んでくれるし、当日の気分で好きなレーンに行けるのは、なかなか楽しいものだ。

芝さんへのちょっと無茶なリクエストは、僕の予想通りすんなり認められた。僕は、ホテルの貸衣装で借りたスーツに身を包み、スタッフパスを首からぶら下げて会場内をぶらぶらと歩いて回っていた。

特になにをしてるわけではないが、運営側の立ち位置にいるだけで、色んな事が見えてくる。その多くは、ファン側でいる時には不平不満でしかなかった運営の不手際が、いかに未成熟な組織がマネジメントしてるかという事に他ならないという事だ。
ファンの動線、入場順の公正化、グッズ販売の管理、待機中の会場管理、エトセトラ、エトセトラ…
今までに何度となく、イベントを開催してきたノウハウが全く活かされていない。PDCAなどという言葉を持ち出すまでもなく、「行き当たりばったり」なのだ。これが、数百億のお金を動かすビジネスを展開している組織の管理体制なのか…

杜撰な部分がこうしてリアルで見えてくればくるほど、昨夜僕が目の当たりにした、強固すぎる程厳重なセキュリティの奥にあるものが、いかに重々しいものなのかを実感する事が出来る。
何かヒントが欲しい。そして、そのヒントは実はネットワークの中でなく、リアルな場に転がっていることが多いものだ。どんなにシステマチックに完成されたシステムでも、そのコントロールを行うのは最終的に人だ。ましてや、今回そのコントロールの対象は、メンバーであり、(僕を含めて)ヲタ達だ。きっと何かヒントがあるに違いない。

ミニライブが終わって、暫くの待機時間があった後握手会が始まった。
僕はそれぞれのレーンをゆっくり観察しながら回ってみた。ファンの顔は笑顔でいっぱいだ。握手し終わった後、レーンを出て行く通路でニヤニヤしてしまう気持ちは僕にも良く分かる。しかし…その裏に何かがある事を知ってしまった僕は、その笑顔がまるで飼いならされた羊達が与えられた餌で仮初の笑顔を浮かべているのでは?という猜疑心を拭えなくなってしまっていた。
僕は、やはりやらなくてはならない。
僕が、もう一度この瞬間を心から楽しめるようになるためにも。


全国握手会は一つのブースに複数のメンバーが入るレーンと、一人きりで対応するソロレーンがある。玲奈・珠理奈・ちゅり・あかりんがソロレーンのメンバーだが、最近ここにゆりあも名前を連ねるようになっていた。先日のアクシデントもあって、今日はちゅりが不参加となっている。
玲奈やあかりんのレーンが長蛇の列を作っている。珠理奈のレーンもなかなかに活況だ。
その一方でゆりあのレーンにはそんなに人が並んでいない。時折、人が完全にレーン内にいなくなる、所謂「過疎」状態になる事もあるほどだ。最近握手人気を上げているゆりあとはいえ、さすがに全握のソロレーンを任されるまでにはなっていないのだろうか。

ゆりあの立っている場所からは、他のレーンの様子を直接見る事は出来ない。しかし、なんとなく感じてはいるのだろう。自分の所に余り人が集まっていないのを。考えてみれば、この握手会というのは実に残酷なシステムだ。
人の列が途切れると、ゆりあは自分の前に置かれた机から身を乗り出すようにしてレーンに人が来ないかチェックする。そのとき、ちらっと見える他のレーンに並んでるヲタ達に手を振ったり、笑顔を見せたり…
ゆりあ…そんなにまでして…でも、君もそうなのかい?君も、任務に忠実なソルジャーの一人なのかい?僕は信じたくないよ…

僕の足はゆりあのレーンの裏手でぴったりと止まってしまった。
時々見せる寂しそうな顔、その顔がファンがやってくると、途端にぱあっと花が咲いたような笑顔に変わる。
そして、また人がいなくなると下を向く。腕を後ろ手に組んで、何かを口ずさんでいるようだ。

ふと、ゆりあの視線があがり、僕の方へと向けられた。
「なんで、そんなトコにいるの?」
一瞬だけ、そう言いたげな表情になったが、すぐにその視線があさっての方向へ向いた。明らかに僕に気づいていて、無視するかのような表情だ。
ん?僕が今日はスタッフとして居る事は…ゆりあも知っているはずだろう。何しろ、僕は彼女達の「特別な」ターゲットなのだから。

ゆりあが何度も何度も僕のほうにチラチラと視線を送る。
僕はずっとゆりあの事を見ているので、その度に当然目が合う事になる。ゆりあは、僕と目が合うたびに、またわざと目線を大げさに逸らす。
そんな事を何回繰り返したのだろう?まるで、我慢比べをしているかのような状況に痺れを先に切らしたのはゆりあの方だった。

「何ですか?何で、ずっとそんなトコに立ってるんですか?なんで、ずっとワタシの事見てるんですか?もう。気になっちゃうじゃないですか。」
ゆりあがちょっと怒ったような顔で僕に言った。
いや、怒ってるというよりは、ちょっと拗ねてるような感じ。
その顔が、堪らなく可愛い。
いや…ここは冷静に対処しなくてはならない。

「いや…暇そうだなって思って。」
僕は、すごく失礼な言葉をゆりあに浴びせた。
レーンに立っていて「暇」なのは、もっとも屈辱的な事だ。その事がわかってるから、決してスタッフも「今日は暇だね」なんて事は口が裂けても言わない。
「そうですよ。暇です。ワタシなんか、まだソロレーンなんて荷が重いって事だってわかってます。でも…仕方ないじゃないですか。でも…ワタシ、どんなに過疎ってても、来てくれたファンの方には一生懸命対応してるつもりです。今のワタシにはそれしか出来ないじゃないですか!」

ゆりあの余りの剣幕に、剥がしのスタッフが僕を非難するような視線で見る。何も言わないのは、偉い人しかつける事が出来ないスタッフパスを僕が身に着けているからだろう。

涙ぐんだゆりあを隠すように、僕はブースのカーテンをさっと閉めた。
こんな事はしたくない。言いたくない。
でも、僕は心を鬼にして言った。
「君には、まだ玲奈やあかりんに及ばないところがあるんだよ。それが分かってるのなら、それを補う努力をするしかない。」
「あなた…ファンの人とばかり思ってました。いつも、握手に来てくれる人。すごく熱心な…ワタシ…てっきりあなたの推しメンだと思ってました。」

僕はゆりあの瞳をじっと見た。
いや、潤んだ瞳から目が離せなくなったと言ってもいい。

ふと、僕は何かを感じた。
感じ取った。
サイン…そう解釈してもいい。何かの「兆し」だ。
怯え、戸惑い、ちょっとした怒り…
僕に向けられた感情。これまで、接した子達からは伝わってこなかったものだ。
ぱるるにも、りっちゃんにも、そしてちゅりにも、あかりんにも。

僕は仮説を立ててみた。
僕が見ることが出来たデータ。
あのデータが予め見られる事を想定されていたものであるとしたら…
どこかに綻びがあるはずだ。きっと、どこかに…


僕はスタッフを目線だけでブースから追い出した。
「ゆりあ…」
僕の表情が変わったのが、ゆりあにも分かったようだ。
「はい?」
「後で…かおたんに声をかけてごらん。」
「かおたんに?」
「うん。そして、僕の事を聞いてみて。」
「あなたの事?ごめんなさい。ワタシ、意味が分からない…」
「大丈夫だから。」
僕はそれだけ言ってその場を離れた。

賭けなのかもしれない。
勝てる確率は高くない事もわかってる。
でも、勝負しなくてはいけない時があるはずだ。

そういう勝負は、勝った時大きいんだ。

29

「木崎ゆりあが?自分からか?」
小泉Jr.が横須賀の港を見渡す公園で手にした携帯電話に話している。
電話の相手は、杉村大蔵だ。
「はい。先ほど芝氏から連絡が入りました。自ら、ターゲットのところへ乗り込みたい…と。自分のミッションは理解しているとの事でした。」
「しかし…彼女はまだ完全に洗脳が済んでいないのでは?」
「ええ…データによると、まだせいぜい70%程度かと。[解脱]とまではいきませんが、要留意のレベルです。ですので、松井玲奈との接触等は極力回避させています。そういう状態下です。」

「大蔵、ターゲットは恐らく[ミュータント]なんだろう?高柳明音の失敗を受け、急遽新たに行ったシュミレーションによると、ミュータントは二次覚醒を起こさせたメンバー本人でなければミッションを果たす事は出来ない。だから、木崎ゆりあの洗脳が100%になるまで、君達インスペクターが全力で彼を包囲する…そういう戦略だったと私は理解してるのだが。」
「その通りです。しかし…木崎がその気になったのです。時を急ぐ必要があるようにも私には思えるのですが。」
「時を急ぐ?なぜだ?木崎が失敗した場合の事は考えているのか?彼を、見逃すという選択肢はないぞ?どんな事があっても、ミッションを達成しなくてはならない。」
「理由は…わかりません、としかお答えようがありません。申し訳ございません。私の直感としか…」

直感…か。
Jr.は電話を右手から左手に持ち替えて少しの間だけ考えた。
思えば杉村大蔵という男は実に不思議な男だ。
父の「自民党をぶっ壊す!」との旗印の下に、劇場型総選挙で誰もが予想もしない形で国会議事堂に登院する事になり、その後もまるで自らの立つべき場所を先読みするかのような転身を鮮やかに繰り返した。
Jr.がこのプロジェクトを引き継いだ時、その影として父から推薦されたのがこの杉村だ。
彼の、その機を見るに敏なセンスはこのプロジェクトの大きな武器になっていた。彼の直感が成果に繋がった事が何度あったことか。

「秋元先生は?なんとおっしゃってるんだ?」
「先生は、木崎の演技力について、そのポテンシャルを最大限評価しています…と。」
Jr.は珍しく迷っていた。
結論を出すのに時間をかけてはならない。
これも父の教えだった。

「よし。木崎ゆりあをターゲットに向けろ。何度も言う。絶対に失敗は許されない。」

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